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~転換師~美幸の場合  作者: 有里谷 翔悟
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序章


 台風の接近に伴い、強さを増してきた雨風が容赦なく雨戸を叩きつけている。

 信州の山奥。

 かつて栄華を極めた新川一族が住んでいた広大な屋敷だが、今ではすっかり見る影もなく、廊下の至る所には天井から滴り落ちた雨水で水溜りができ、壁の一部が崩れているなど、まさに廃墟同然の有様だった。

 しかしそんな屋敷にも、一人の少女が住んでいた。

 母屋ではなく離れだが、その家屋だけはリフォーム済みのようで、きれいな様だった。

 そんな離れの十畳ほどの和室で、少女は眠っていた。

 切り揃えられた前髪と、腰まで届きそうな長い黒髪。まだ十代と思われる少女は、雪のような白い肌の美少女だ。

 熱帯夜で不快なのか、はたけた浴衣から肢体もあらわに寝返った。


 そして時刻は午前3時を過ぎた頃。

 叩きつける風雨の音に紛れ、何者かが表の玄関の扉を叩く音がした。

 すると少女は目を開いた。いや、この嵐でそんな音は聞こえない。人の気配で目をさましたようだ。

 しかしこんな時間の来訪者には何も不審に思わないのか、ゆっくりと布団から起き上がると照明を点けた。そして大きな瞳を閉じ、ため息交じりに、

「だりぃ……」

 可憐と言っても間違いないはずの少女の口から出た言葉だった。

 衣紋掛けからカーデガンを取りパジャマの上から羽織ると、切り揃えられた前髪に腰まで伸びた黒髪を軽く撫でた。

 そして部屋のどこを見てという訳でもなく、

「行くよ、イズナ」と言った。

 それに答えるかのように、部屋の隅で小さな物体が現れると、ひゅんと素早く少女の肩に飛び乗った。

 小型犬くらいの大きさで、全身が白く長い毛に覆われた生き物で、狐のようにも見える。

 少女にイズナと呼ばれた生き物は、口を大きく開けて欠伸をした。

「ふぁあ……眠みぃよ」

「うるさい。黙れ。仕事だ」

 少女は無表情で前を見据えたまま、それでいて口答えを許さない三連打をイズナに浴びせ部屋を出た。

 離れから母屋に入ると、その暗く長い廊下は雨漏りで濡れ、床板は所々が剥がれ落ちていた。そこを危なげもなく少女は、びちゃびちゃと足を濡らすのも構わずに進んだ。

 廊下の両側には開け放たれたままの部屋がいくつも並んでいて、その暗闇の中には数え切れない程の和洋様々な人形たちが、無造作に山積みにされていた。

 さらにいくつかは部屋に収まりきれなかったのか、それとも転がってしまったのか、何体かは廊下に転がったまま、うつろな目で少女を見ている。


 軋む引き戸を開けた途端、少女の頬に風雨が叩きつけた。

 手のひらを翳して外を見ると、中年の男性と目が合った。その手には毛布に包まれた大きなものを抱えている。隣には大きな袋を持った若い女性がいた。年の差はあるが、おそらく夫婦だろう。二人ともずぶ濡れだった。

 男は少女を見た途端、名乗り出ることも、こんな時間の来訪も詫びることなく、

「この子の病を移してくれ。金ならある」

 と言って抱えていたものの毛布を少し捲った。それは十歳くらいの男の子だった。

 すると女も、持っていた袋の中から日本人形を取り出し、無言で少女に押し付け、さらに厚みのある茶封筒を強引に手渡した。

 少女は人形を抱えながら茶封筒の中身を覗いた。それは帯付きの札束だった。

「お願いします。もう他に頼るところがないんです」

 女が憔悴しきった表情で頭を下げた。

 しかし少女はこんな状況にも慣れているようで、顔色ひとつ変えず、

「お話を伺います。中へどうぞ。ここでは濡れてしまいますから」

 と、一応接客の対応は心得ている口調で少女は告げた。


 この新川一族とは、江戸時代に東西を結ぶ街道の要として幕府から広大な領地を授かった武家だった。当時は山賊盗賊が多く出没し、もののけが畏怖の対象だったため、人々が行きかう街道を治安の面からだけでなく、霊障の面からも安全を守るのが主な役割だったのだ。

 そのため街道の要所要所に分家を置き、そこを中心に宿場町をつくり、旅人から道中の情報を聞き集めると宿場町間で共有するという、当時としては珍しく情報ネットワークを構築していた。

 そして、それらの指揮を執っていたのがこの新川家の本家であって、その所在は当時から不明とされていた。


 そして現在の新川本家。

 幾重にも仕掛けられた結界のため、ここに辿り着ける者は限られている。本当に〝必要としている〟者だけしか結界を越えられないようになっているのだ。

 少女は三人を祭殿場へと案内した。それぞれの建物は渡り廊下でつながっているが、所々崩れた壁から風雨が入り込んでいる。

 祭殿場は二十畳ほどの広さでガランとした板の間の空間だ。中央には囲炉裏があり、そこには膝の高さほどに組まれた木の櫓があった。

「どうぞ」

 囲炉裏に火を点けると座布団を敷き、男の子を両脇から両親が支えるような格好で三人を座らせた。そして囲炉裏を挟むようにして少女は腰をおろすと静かに尋ねた。

「憑き物ですね」

「は、はい。高名なご住職様にも診ていただいたのですが、どうにも祓いきれないと匙を投げる始末で……」


 話によると、この男の子は生後まもなく原因不明の病を患い、以来十歳になる今日までずっと苦しんできたそうだ。そして最近になって容体が悪化すると「次に高熱が出たら覚悟するように」と、医師から言われたのだという。

 居ても立ってもいられず、方々の寺をまわって御祓いをしてもらう毎日だったが、一向によくなる気配がなかったそうだ。

 そんなある日、体中に青黒い帯状の模様が現れ、それを見たある寺の住職が「転換師の新川さんなら祓えるかもしれない」と言うので、藁をも掴む思いで遠路はるばる訪れてきたのだという。


「しかし……貴女がその転換師の新川さんでいらっしゃるのですか? 随分とお若いようですが……」

「新川美幸といいます。今年で十五になります。ですが、先代より引き継いで五年目になりますので、ご心配なく」

「……そ、そうですか。こんな時間に大変失礼をしました。どうかお願いします。この子を助けてください」

 冷静さを少し取り戻したのか、今頃になってこんな時間の訪問を詫びてきた。

 話を聞く限り、呪念ではなく憑き物の類、それも蛇憑きで間違いないと美幸は思ったが、しかし眉をひそめ、じっと少年を見つめた。


――蛇憑。

 生後間もない赤ん坊に憑依し、一緒に成長しながら妖気を高めていく蛇の憑き物。

 だがその場合、憑かれた本人に症状が現れるということは稀で、周囲も気付く者などいない。そして数年もすれば誰に気付かれることなくそのまま去っていくのが普通なのだ。

 しかしこの男の子の場合、生後すぐに憑依されて症状が現れ、現在に至るまでの十年間、男の子から去ることなく一緒に成長し、宿主の生命を脅かしている。

 つまり、悪霊に近い存在ということだった。

 こういう場合、妖力は桁違いに強力だ。転換に使用する人形は一体では足りないだろう。

 美幸は深くため息をついた。

 これまでにも厄介な憑き物達はいた。

 怨念が強く、美幸の力では押さえ込むことが難しい相手だった。

 だが、そういう場合の対処方法も代々伝授されている。使い魔のイズナを使い、憑き物の体を引き千切り、複数の人形に分散させて封印する。口にすればそれだけのことなのだが、これにはいつもの儀式の何倍もの気力と体力、そして霊力を消耗する――


 美幸は一度席を離れると、巫女装飾に着替えてから転換の儀式を執り始めた。

 少年の両脇を両親にしっかりと支えてもらい、両親が持ってきた日本人形の他にも予備の人形を二体、美幸は自分の前に並べた。

そして清酒で満たされた朱色の大杯に榊を軽く浸し、火の焚かれた櫓にパッとかけた。

 次に懐から大きな金色の指輪を二つ取り出すと、右手の人差し指と中指にはめ、その指を口元近くで水平にして、交互に上下させた。

 すると擦り合わされた指輪から響くような金属音が奏でられ、美幸はその音に祝詞を合わせ唱えた。

「こりゃただの蛇憑きじゃねえな。黒蛇こくだだ。予備の人形も使わせてもらうぞ」

 イズナはずっと美幸の右肩に乗っていた。だが普通の人には姿も見えず、声も聞こえない。美幸は祝詞を唱えながら、イズナの言葉に頷いて答えた。

 黒蛇とは、人に憑依してその生命力を喰らい続けるという、蛇憑きの中では最も性質の悪い憑き物だ。

 少年が唸り出した。

「これから暴れるかもしれませんから、しっかりと押さえておいて下さい」

 指輪の奏でる霊音がその強さを増した。美幸の唱える祝詞も口調が強くなる。

 少年はその場から逃げ出そうとしたが、両脇から両親に抑えられると苦しみ悶えた。

「お子さんを助けたければ、絶対に離さないで下さい」

 美幸の言葉に、両親は更に力を入れて暴れる息子を押さえ込んだ。

 すると少年は、目を見開き天井に顔を上げ「がはっ」と言って大きく口をあけた。そして口の中から、黒く長い霧のような物を吐き出したのだ。

「ひいいっ」

 黒蛇が少年から引き離された瞬間だった。

 これを捕らえて封印しないと、再びどこかで赤ん坊に憑依する。

「ふんっ」

 イズナが宙に跳ねた。そして両前足の爪が一瞬で巨大化すると、その鋭い刃であっという間に黒蛇を三つに切り裂いた。

 それに合わせて美幸は、指輪をした指で宙に梵字を描くと、三つに裂かれた黒蛇を絡め取った。そして祝詞を読み終えると同時に、黒蛇を三つの人形に封印した――



続く




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