3.再会の挨拶
東校舎の職員室。
広い床を箒で綺麗に払って、各先生のデスク下にある塵箱のゴミを集める。職員室の中なんて普段はそうそう入ることなどないから、少し居心地悪さを感じてしまうが、それでもきちんと室内を一周して、ゴミが落ちていないかを確認した。
「よーし、もういいぞ」
担当の先生の声に、私を含む掃除の班員5名は職員室入口へと集合した。班長が持っていたカードに担当の先生が判を押すと、掃除は無事完了である。
ポツポツと皆が退室していく中、何気なく私は職員室全体に視線を巡らした。
(…いた)
掃除当番のお陰で、桜井先生のデスクの場所はもう完璧に把握している。学年が変わり、進路指導室の掃除当番はなくなってしまったけれど。今年は何と、桜井先生がいる東校舎の職員室が掃除場所に含まれていたのだ。運が良ければ、また先生に会うことも出来る…。嬉しくて、普段なら面倒臭い掃除時間も、職員室なら楽しみに思えるくらいだ。
視線の先にいる桜井先生は、窓際にあるコピー機の前に立って何やら印刷をしているようだ。進路指導室の掃除は週に3日だけなので、どうやら今日はお休みの日だったらしい。
気付かないかなぁ、と軽い気持ちで桜井先生に向けてチラチラ視線を送っていると、そんな私の念が通じたのか、先生がパッとこちらを向いた。
(わ!通じた!)
目が合うと、先生は軽く眉を上げて、僅かに微笑む。
…おつかれさま。
声には出さないけれど、その口の動きで伝わる。私だけに対して告げられた言葉。
(お疲れさまです!)
嬉しくて、だけど周りに気付かれると困るので、退室と同時に控え目にペコリと頭を下げた。
(先生と挨拶できた!)
ソロソロと職員室の扉を閉めて、隠す必要の無くなった喜びをニヤリッと表情に表した時。
「楽しそうだね?」
「!?」
突然背後から肩を叩かれて、心臓がドクンッと飛び跳ねた。
「…ゴメン。また驚かせた?」
そう言って隣に現れたのは、昨日下駄箱で会ったばかりの男子生徒だ。急だったのと、「彼」が話しかけてきたことの両方に驚いて、驚きの言葉すら呑みこんでしまった。
「だ、大丈夫。ビックリは、したけど…」
「アハハ、ごめんごめん!」
彼は悪びれる風もなく、面白そうに笑った。それは決して、相手を嫌な気持ちにさせるものではなく、ただ気さくな人なのだな、ということがその雰囲気から伝わって来るだけだ。
まぁ、初対面の私に話しかけてくるぐらいだし。
「何か嬉しそうだったから。いいことでも、あったの?」
私の顔を覗き込むようにして、彼はそんなことを尋ねた。途端に先生の顔が頭に浮かんで、妙にぎこちない返答になってしまう。
「う、ううん?何にも!」
「何だそれ、怪しー」
「ほ、ホントに何にもないんだってっ!」
「ふーん?」
彼はニヤニヤと笑いながら、全く納得していないような表情をしていたが、それ以上は何も言わなかった。
「そういえばさ、次補習あるよね?世界史」
昨日の会話を思い出したように、彼はふと右手を掲げた。その手には、世界史の教科書やノートなどが携えられている。
「あっそうそう、今から行くトコ?」
「うん。きみも取ってるならさ、どーせなら一緒行こうよ」
掃除ついでに私も荷物は持ってきていたため、そのまま二人で補習の教室まで向かうことになった。ここから歩いて直ぐの場所。扉を開けると、既に半分ほど生徒達は集まっていたが、まだ授業まで時間があるため、教室内はザワザワとダラけた空気が漂っていた。
いつも座っている座席に腰を下ろすと、彼は私の前の席に座った。そして直ぐに、あ、と言葉を発して後ろを振り返る。
「そういえば、まだ名前聞いてなかったね」
「あ!そうだ、昨日聞き忘れてたんだった!」
彼の言葉で、ハッと思い出した。今更、というような気もするが、ようやく自己紹介をするということで、何となく改まって姿勢を正す。
「3-Aの、日高友紀です」
「俺はC組の野島義人。ね、何て呼べばいい?」
「え?うーん、何でもいいよ。呼び易いように…日高、でもいいし」
「ん、じゃー友紀で」
「え!…あ!うん、分かった」
ふいに名前を呼ばれたせいで、返答に戸惑ってしまった。そんな私の態度を予想していたかのように、彼はタイミング良くアハハッ!、と楽しそうに笑って、こちらを眺めた。
「ホント、きみって分かり易いよね…。いいよ、分かったよ。日高さんって呼ぶし」
「そ、そういう意味じゃなくて!まさか突然そう来るとはって!」
「あーあ、ただ俺は仲良くなりたいと思って言っただけなのにさぁ、残念だなぁ」
「だっ、だからそんなんじゃないってえ!」
一見、爽やかな好青年という印象の野島くんだけれど、どうやら人をからかうのが好きなようだ。彼にとって、私は『からかい甲斐のあるヤツ』と認識されてしまったようである。
(もう…)
相変わらず野島くんは楽しそうに笑っている。そんな彼を見ていると、私の方も次第にどうでも良くなって、釣られて笑ってしまった。




