18.告白
進路指導室の前で深呼吸をして、呼吸を整える。
先生に告白した日のことを思い返す。あの時も、今みたいに緊張しながら進路指導室に向かった。先生が来るのを待ちながら、もう後戻りできないことを感じていた。
正直になること。
嘘を吐くのでも何でもなく、自分の思うままに振る舞えばいいだけなのに、どうしてこんなにも難しいのだろう…。
自分を偽ることが悪いわけじゃない。常に本音で行動することが裏目に出ることだってある。だからどうするのが一番良いのかなんて判断できるのは、いつも全てが終わった後でしかない。
だからこそ、後悔しないように。
ガラリと扉を開けると、こちらに背を向けて窓の外を眺めている後ろ姿が飛び込んできた。夕日が眩しく光って、暗い人影を作っている。
「桜井先生」
扉を閉めながら声を掛けると、先生がゆっくりとこちらを向いた。
「ああ、日高さん。急に呼び出してごめんね」
「いえ、そんな」
久しぶりに会った先生は、今までと何も変わらず暖かく出迎えてくれる。どこか緊張して張りつめていた気持ちが、少しだけ緩んだ気がした。
「このまま会えなくなるんじゃないかと思ったんです。だから、こうして」
いつもは私が先生のスチールデスクの傍に腰かけて、二人で話をするのだけれど。今日は私が近づく前に、先生がこちらに歩み寄って来た。
見上げると、優しい瞳が私を映し出している。
「私も…。先生に会いに行こうと思ってました」
「本当?」
「本当です。もう、素直になろうって決めたから…だから」
絞り出すように発する私の言葉を、先生は何も言わず、黙って聞いていた。その表情からは、先生の感情を読み取ることができない。
「それは、野島くんのお蔭かな?それとも他の影響?」
「え?」
「きっと、前者だろうね。…実は僕も、彼に言われたんです。日高さんのこと、素直になれって」
そう言って桜井先生は恥ずかしそうに微笑んだ。私は少しの間ポカンとしていたが、その言葉の意味を理解して、カアッと頬が熱くなる。
「え、ええっ!?野島くんが、せ、先生に!?」
開いた口が塞がらない。全く状況が理解できなかった。なぜ、野島くんが先生にそんなことを言うのだろう。というか何時の間にそんなことがあったのだろう。つい先程会ったときは、そんな素振りなど微塵も感じさせなかったのに…。
私の反応に、先生は「ビックリですよね」と頷きながら面白そうに笑っていた。そして、頭を掻きながら呆れたように呟く。
「彼には負けます。初めから気になってはいたんだ…僕に分かるように、日高さんとの仲を見せつけてきていたから。だからそんな挑発には乗るまいと気にしていないフリをしていた。だけど今回は…。彼はただ単に僕から日高さんを奪おうとしていたわけではなくて、本当に日高さんのことを想っているんだって実感させられた」
先生が私たちのことをそんな風に見ていたなんて、思ってもみなかった。大体、いつも私一人であれこれ思い悩んで必死になっていたから、先生がどんな心境だったのか、きちんと考える余裕も無かったのかもしれない。嬉しさや恥ずかしさで、胸の中がぐちゃぐちゃだ。
「野島くん…、先生に何言ったんですか」
「それは…、色々です」
「い、色々って…」
「秘密です」
「ええーっ!」
もしかして、私が野島くんに相談したあれやこれやは、全部先生に筒抜けになっているんじゃなかろうか。チラリと先生の表情を伺ったが、ニコニコと微笑むだけで何も教えてくれなさそうだ。
「正直、嬉しかったです。沢山日高さんを悩ませてしまったけれど、その分僕のことを沢山考えてくれていたって知ることができたから。…ほら、日高さんは何も言ってくれないし」
「…すみません」
照れくさくて、反射的に謝ってしまった。何と返せばいいものやら、自分でもよく分からない。
「だけど、こうやって野島くんの力を借りなければ、僕たちは素直になれないままだったのかもしれない。本当に自分が情けないです。あの時だって、自分にウンザリするほどだったのに、また同じことをしてしまっている」
あの時、とは、私と先生がお互いの気持ちを素直に告白しあえた時のことだろう。先生は自分の立場を意識し過ぎていたし、私も近づくことを恐れていたせいで、ぎこちない距離間のまま動けなかった。
狭い進路指導室。陽に照らされて、ゆらゆらと揺らめく白い光の影。時間がとてもゆっくり流れているような、そんな心地良い空間。
今、先生は静かに私を見つめている。穏やかな瞳で、けれど真っ直ぐに。私に何かを伝えようとしてくれている。
「こんなことになるなら、いっそ初めから君を僕のものにしておけば良かったんだ。僕が君のためにこうすべきだと思った事は、全て上手くいかない…本当に自分が嫌になるよ。もう黙って見ていることなんてしない。頭で考えてたって、その通りにいくわけじゃないんだから…。だから、日高さん。僕と、付き合ってください」
その言葉一つ一つが重たくて、胸にゆっくりと刻み込まれる。
嬉しいのに、泣きたいような。頬がじんわりと熱くなって、目頭に沢山の想いが込み上げる。
「…はい」
震え声なんてみっともない。こんな時こそ笑顔で先生を見つめたいのに、顔を上げると涙が零れそうで、俯いたまま動けなかった。そんな、固く力の入った私の肩を、暖かい掌が包み込む。
「ごめんね、こんなに情けない男で。心配ばかりさせて。だけど…ありがとう」
長い指が私の頬を拭って、一筋の涙を消し去った。
幼さも不器用さも、先生は全てを受け止めてくれている。
「今日からまた、新しい僕たちをはじめよう」
目の前の瞳が微笑んだ。
唇と唇の触れ合いは、新たなときめきをもたらす。これで何かが変わるわけではないけれど。こんなにも愛しいと思える感情はそうそうあるわけじゃないから、大切にしたい。
どんなきっかけからでも、何度でもスタートできる。
だから今日は、そのうちのはじまりの一つだ。




