13.複雑な感情
「何だ、ソレ」
私の話を聞いた野島くんの第一声は、ぶっきらぼうなそれだった。
自分の不注意から私と先生の関係を話さざるを得なくなり、仕方なく話をしたけれど。
改めて説明していると、自分でもよく分からない関係…かもしれない。
「つまり、付き合ってはいないけど、お互い好き、ってことか。ふーん…」
「…変、かな」
何か言いたそうな野島くんの表情に、思わず尋ねてしまった。
放課後の教室は、夕日が眩しい。しんと静まり返った教室内は、自分たちの声が響いてしまいそうで思わず声が小さくなる。他には誰も居ないのだけれど。
「別に、変ではないけど。大っぴらにできるわけじゃないしさ。でも…意味分かんねー」
「何でっ」
「わざわざ付き合わない意味」
それは。
先生なりの、ケジメだから。
まだ『教師と生徒』である私たちの関係を考えての決断。卒業まではこのままでいようと、あの日きちんと先生が伝えてくれたことだから、私はそれを理解したのだ。
「だって今の状態で付き合ったって、何の問題もないんじゃないの?今までやってこれてるんだし、それで何か変わるわけでもなし。変に目立つ行動さえしなければいいだけだと思うけど」
「…でも、気持ちの問題もあるし」
「何だよソレ、先生のくせに」
一刀両断。野島くんはフンッと言い捨てて、眉間に皺を寄せている。
「うーん…」
「まあ、俺の意見だけど。俺は折角好き合っているのに、そんな不安定な状態にはさせたくない」
「おおっ」
ハッキリと言い切った野島くんの台詞には、どこか実体験に基づいているような強い意志を感じて…。私は思わず感嘆の声を上げた。
これが彼の恋愛観とでもいうものだろうか。
「…何だよ」
興味津々になって瞳を輝かせる私と目が合って、野島くんも妙な気配を感じたのだろう、少しだけ体を仰け反らせた。
「それって、もしかして野島くんの経験談?もうちょっと詳しく…」
「嫌だ」
強い口調と、鋭い視線。その二つに挟み込まれたら、もう何も言えない。
「ちぇー」
「俺のことはどうでもいいから。ていうか、友紀はそれでいいの?」
話は直ぐ元に戻ってしまった。できればこれ以上野島くんの追及を受けたくはないのだが。
「いいの!ちゃんと理解したんだから」
「そうかなあ。それってただ物分り良い女演じてるだけじゃないの?」
何故か、ギクッとした。
今までそんな風にマイナスに捉えたことはなかったけれど。
(先生には迷惑かけないように)
自分のことはできるだけ自分で解決しないと。余計な心配はかけさせないように。自分の不安な気持ちは奥に仕舞い込んで…。
先生の前では、いつもそう心掛けて振る舞っていたこと。それが急に思い出させられたのだ。
「…そんなことない」
「ふーん。友紀は良く出来た女だね」
チクチクと嫌味のように言われる言葉。そんなこと、気にしちゃいけない。
「どうせ野島くんは、意地悪で言ってるんでしょ。捻くれてるから!」
「はあ?せっかく人が親切で言ってあげていることを。そっちの方が捻くれてるんじゃないか」
「ムカーッ」
「ムカじゃないよ。別に俺だって友紀たちの関係、拗らせたいわけじゃないし。でも普通、不安にならない人なんていないだろ、そんな状態で」
「…そう、だけど」
何だかんだ言って、野島くんは真面目に話を聞いていて、真剣に話をしてくれている。
本当は自分でも分かっているのに、認めるのが怖いだけだ。
先生との今の関係について、少しの不安も抱いていたくないから…。そんな感情は見えないようにして、ないことにしていた。だからそこに土足で踏み込んでこられるのが嫌なだけなのだ。
「先生はそこんとこ、分かってんのかな。友紀の気持ち」
ポツリと呟いた、野島くんの言葉。
先生が私のことを考えてくれていることは、色々な場面で感じる。そうやって先生の気持ちを感じ取って、嬉しくなって、幸せだなぁと実感できて。
だからこそ、先生の前ではいつも通り明るく振る舞っていたいのだ。
「そんなこと、分からなくていい。先生に、余計なこと考えさせたくないから」
「でもさぁ、本当のこと言えなくて辛くないの?」
「本当のこと?」
「『こんなこと言ったら迷惑かも』とか『これ言ったら嫌われるかも』とかって振る舞ってる自分って、本当の自分じゃないだろ。そうやって付き合うのは変だと思わないか?それに、そんな風に接してくる相手ってすぐ分かるだろう。先生はそういう気持ちに気付いてやるべきなんじゃないの?気づいてないなら鈍すぎるし、もし気づいてたとしたら余計性質が悪い」
そう言い切って、野島くんはフウッと大きく一息ついた。
色んな考え方があるけれど…、自分では考えたこともなかった。ずっと考えないようにして、逃げていたから。
『教師と生徒』、その関係を今は変えることができない。その事実が大きすぎて、今まで私たちはそれを中心にして物事を考えていた。けれど、もしお互いの気持ちを一番に考えるとしたら、野島くんのような考え方になるのかもしれない。
「まっ…男の意見も必要かなあと思ってさ」
少し言い過ぎたと思ったのか、野島くんが頭を掻きながらそう呟いた。
「…うん」
「だから、怒らないで聞いてほしいんだけど」
「うん」
「考え直せよ、先生のこと。友紀には、別の人の方が良いよ」
こんな風に言われるのは初めてで。
聞き流してしまいたいのに、その言葉が頭の中でぐるぐるぐると回転し続けていた。
(何て簡単に言ってしまえるのだろう…)
そんなことできるわけないし、したくもないのに。
野島くんに言わなきゃ良かった、なんて諦め悪く後悔したりしていた。




