(2)三十路男の妄想と瑛花さんのお師匠
瑛花の両親である南城英隆34歳と理緒31歳の夫婦は、時臣にとっては母校・命路大学での同じサークルの先輩後輩である。なので英隆のことは「南城先輩」と、理緒のことは「理緒ちゃん」と学生時代と同じ呼び方をしている。
瑛花との関係上、義理の父母ということになる───まあ実際にはまだ気の早いことではある───訳だが、とてもじゃないがそんな風には呼べないし思えない。大体トシも近いんだし。それにそもそも、実はあの二人はなんとなく苦手なのだ。時臣は。
───懐かしき学生時代。南城先輩はどういう訳だかさっぱり解らなかったが時臣をかわいがってくれ、理緒ちゃんは理緒ちゃんで「ガミ先輩っ、ガミ先輩っ」と何故だか懐いてくれていた。それでも微妙に苦手だった。なにしろ二人とも学内では有名人だったし、学生結婚して子供まで作っていたのだ。住んでるセカイがあまりにも違い過ぎた。
まさかその二人の子供の一人に惚れ込むことになるなんて───いやはや運命とは皮肉なものである。
だがまあ。
そんな二人に時臣が感謝していることが3つばかりある。
1つ目は言わずもがな、瑛花というかわいい女のコを産んでくれ、ここまでかわいく育ててくれたこと。
2つ目はこれまた安直だが、自分と瑛花の婚約を認めてくれたこと。
そして3つ目。それは、瑛花にちょっと変わった夫婦像を植えつけてくれたこと、である。
朝食を終えた時臣と瑛花は、部屋着姿でリビングのソファに座ってくつろぎタイムに入っていた。
このくつろぎタイムでの瑛花の行動が、ちょっと変わっているのだ。
時臣はソファに普通に座っている。
その膝の上に瑛花は腰を下ろしているのだ。
同居生活始めの頃は少し恥ずかしそうにしてはいたものの、今ではごく自然に、当たり前のような顔で平然と。時臣を椅子代わりにしている。
ふとももの上に深くお尻を沈め、小さな背中は完全に時臣の胸に預けていた。
ぶっちゃけ密着。
膝の上抱っこ状態なのである。
これは何も時臣から要求してのことではなかった。
瑛花が自発的にしていること。
なので、どれだけ密着しようとも、これに関しては瑛花に叱られる心配など全く無いのである。
さすがに最初は割と面食らって訊いてみた。「いきなりどうしたの?」と。
訊かれた瑛花はきょとんとして、
「家では妻は夫の膝の上に座るのが普通ですよね? お母さんも、いつもお父さんの膝に乗ってました」
と返答してきた。
両親に許しを得て婚約した上での同居生活。
戸籍上はまだ夫婦になれなくても、
瑛花にとっては既に、
「わたしは時臣さんのお嫁さん」
ということらしい。
そう思ってくれてるだけでもめちゃめちゃ嬉しいのに、さらにこの『密着膝の上抱っこ』である。
一昨日からスタートした就寝時の抱き枕役を除けば、これまで唯一、ベタベタしても叱られない至福の時間。
わざわざ「ちょっと違うんじゃないかな」などと訂正するような愚行は犯していない。
こんな幸せをむざむざと手放すものか。
「瑛花さん♡」
両のふとももの付け根辺り───というよりぶっちゃけ股間の真上───にキュッとしたお尻の感触を味わいながら、時臣は両手を伸ばして瑛花を肩越しに抱き竦めた。掌を瑛花の下腹部に当てるようにすると、自分の腕が丁度瑛花の慎ましい胸の上にくるのだ。言わばわざとじゃないおっぱいタッチ。まあ、わざとやってるのだが。
ふにふにとした幸せな柔らかさがとても心地良く───ちょっとアレがムクムクしてきたりする。そもそも瑛花の温もりがすでにサイコーだ。自然と頬がふにゃふにゃと弛んでしまう。
「瑛花さん。今日はどうしようか? どこかドライブにでも行く?」
天気は晴れ。絶好のドライブ日和である。
「河口湖の方にすっごく美味しいチーズケーキが食べられるお店があるらしいんだけど」
聞いた話では本当に美味しいチーズケーキらしい。特にカボチャのチーズケーキが絶品だとか。
それを一緒に食べて瑛花のご機嫌をとり、さらに夕暮れの湖畔でムードを盛り上げていけば…あるいはちゅーをOKしてもらえるのではないか───という算段だ。
「うん。そうしよう? 今から支度して出れば───」
壁掛け時計に目をやると午前10時42分。
「ちょうどおやつの時間くらいには現地に居られるだろうから。ね? そうしようよ瑛花さんっ」
瑛花の後頭部に頬擦りしながら提案する。
ちなみに膝の上抱っこの状態においては、よっぽどのこと───例えばおっぱいを揉むとか、うなじをぺろぺろ舐め回すとか、お耳をはみはみするとか───に及ばない限り、こうしたスキンシップはお咎めなしである。そのあたりもきっと、南城夫妻が子供たちの目も憚らずにいちゃいちゃしていたんだろう。そう時臣は踏んでいる。
ありがたい話だ。心底そう思う。子供の情操教育かくあるべし!
「言ってませんでしたっけ、わたし」
両手に持った編み棒を淀みなく操り、毛糸の編み物をしながら瑛花が答える。
「今日は午後から道場でお稽古ですよ?」
「えーっ」
「えー、じゃありません。だからドライブはまた別の機会ですね」
こちらを振り向きもせず、
「あなた、わたしの予定くらい把握しておいてください。仮にも…んん、旦那さま……なんですから。大体そもそも、」
───旦那さま♡
───旦那さま♡♡
───いい。すっっごく、いい。
時臣、ここで夢見心地。
ぽわわ~ん、と脳裏にあれこれ妄想が浮かび上がってくる。
『おかえりなさい、アナタ♡ ん…ちゅっ♡』
『お風呂にします? ごはんにします? それとも……わ・た・し?』
『あんっ……だ、ダメです、よ……んぁっ♡……はぅん…こ、こんなの…んんっ♡』
『───きて、ください♡ アナタのぜんぶ……わたしが受けとめてあげます♡』
『あぁ…んっ♡ あ、アナタが欲しかったしあわせ……みんなあげちゃいます♡』
「───なんですからね。って時臣さん、聞いてますか?」
「……へ?」
ハッと我に返ると、ジト目で振り向いている瑛花にペチペチと頬を叩かれていた。
「ん、わたしの話……聴いてませんでしたね?」
「い、いや……そんなことは」
冷や汗が頬を伝う。
ぶっちゃけミスったといっていい状況だった。
自分の話を聴いてもらえないというのは、瑛花にとってかなりイヤなことなのだ。
話を聴いてくれない=相手にされていない=コドモ扱いされてるんじゃないか、と感じるようだ。
時臣は瑛花を決してコドモ扱いしない。瑛花のことを常に最優先で考えて、瑛花の話は何でも聴く。
これは瑛花にとってかなり好感度が高い、時臣の数少ない美点のハズ。
───ヤバい。割とピンチかも。
「じー……」
「あはははは……」
「時臣さん。あなた、鼻がピクピクしてます。それって、えっちなことを考えてる時のクセです」
「え……いやいやいや。まさか俺が瑛花さんの話を聴かずにえっちなことを考えてたなんてそんな」
見る見る内に瑛花の眉間にシワが寄っていく。細身のフレームレスメガネのブリッジを指で押し上げ、
「ん、じゃあテストです。わたし、さっきなんて言いました?」
と訊いてきた。
「ええええっ、えっと……ええっと……瑛花さんが俺の████を████してくれて、それで瑛花さんの████に俺の████を███んで、██の一番██で███████を全部██████してもいいよって───」
「ば、バカ! そそそそっ、そんなえっちなこと誰が言うんですかぁぁぁぁぁッ!」
顔中真っ赤になった瑛花は、ふとももの上で器用に身を反転させると、とても小学六年生女子とは思えない華麗なアッパーカットで時臣の顎を鋭くエグり上げた。
「グは───ぁ!?」
時臣、完全KOである。
意識がブラックアウトしていく中で、
「サイっっテーです! まったくもう!」
という瑛花のプンプン怒る声が聞こえた───気がした───。
◇◇ ◇◇
シルバーの『にゃがー』ことJAGUAR・X-TYPEが、秋晴れの午後の空に輝く陽の光を浴びながら武蔵玉川市内を東に走っていた。ボンネットの先端では「がおーっ」とでも言いたげに獲物に襲いかかるポーズをしたネコ科のマスコットがキラリと光を反射している。
その車内ではステアリングを右手で握りながら、時臣が苦笑いをしていた。
「だからホントごめんってば。そろそろ機嫌直してよ瑛花さん」
「ん、もう怒ってません」
「怒ってるじゃん」
「怒ってません。しつこいです」
瑛花は助手席で不機嫌そうに唇を尖らせる。膝の上には大振りなスポーツバッグを抱えていた。ジト目で右側───時臣の苦笑顔を睨む。
「大体なんですか、その人を小馬鹿にしたようなカオ。わたしのことコドモっぽいとか思ってませんか? 思ってますよね。すごくイヤな感じです」
「思ってません。それに顔は生まれつきこんなんだって」
とほほ…っといった風に時臣が身を前後に揺らす。総革張りのシートが、ぎゅむっ…と音を立てた。
「えっちなのがいけないんです。あんな……あんなえっちなこと考えてただなんて、まったくもうっ」
「だからゴメンって。もう何度も謝ってるじゃない。瑛花さんがご機嫌ナナメだと、俺…困っちゃうよ」
「ふぅ…。ホントしょうがないヒト」
瑛花は溜息を漏らすと前に向き直る。
「今度あんなえっちなことを口にしたら、もう口利いてあげませんから」
「そんなぁ~。瑛花さん最近そればっか。ちょっとくらいいいじゃん……あのくらい」
「あなたへの一番のおしおきですから───って、またあんなこと言うつもりなんですか?」
「そ、それは…ほら、なんていうか……その、ねぇ? 言うっていうかするっていうか、今後の進展次第ではイロイロとごにょごにょ……」
「ありませんからッ。そんなの」
「えーっ」
「えー、じゃありませんッ」
「───っと、着いたね」
二人を乗せたジャガーは車道の路肩側に寄りながら減速し、左に曲がって歩道を越える。砂利敷きのやや手狭感の否めない駐車場に入って停まった。
木造平屋建ての古びた純和風家屋の門柱に『剛厳流空手道武蔵玉川道場』と縦に墨書された看板が掲げられている。
時臣はその達筆な文字を横目にしながら、前を行く瑛花の背中を追って敷地内へと進んだ。
正面玄関を左手に逸れて建物をぐるりと回り込み、結構な長さの縁側に辿り着く。雨戸もガラス戸もすべて開け放たれた状態の板敷きの向こうには、何畳あるだろうか、かなりの広さの座敷が見えている。鮮やかなブルーの畳が敷き詰められたそこは薄暗く無人だが、ピンと張り詰めた空気が漂っていた。上座と思しき方の天井近くには神棚と『美・愛・心』とこれまた達筆で墨書された大きな板が見てとれる。
慣れた様子で靴を揃えて縁側に上がった瑛花は、
「先生! ロナルド先生!」
と奥に向かって声を響かせた。
すると───
「Oh! プリティレディ・エーカ! 来ましたネ!」
微妙に金属質を思わせる大声を轟かせ、漆黒の帯を腰の辺りに締めた白い道着姿のマッチョな白人男性がドタドタと裸足を踏み鳴らして出て来た。
お腹の前で手を組み、真っ直ぐ背筋を伸ばした瑛花の目の前までやってきたマッチョは、
「Good afternoon! レディ・エーカ、今日はイチバン乗リですヨ!」
と言って破顔した。
その顔つきはどことなくスティーヴン・セガールに似ている。角刈りにした鈍い金髪と碧眼、そして大柄な体躯はどこまでも筋骨隆々マッチョマン。
このマッチョこそ、瑛花と姉の瑛実の空手の師匠、ロナルド・ラペイユ・デッゴギーン師範である。
「こんにちは先生。今日もよろしくお願いしますっ」
瑛花はペコリと頭を下げた。
その表情は可愛らしい微笑み。
縁側に腰を下ろした時臣は、そんな瑛花を横目で見ながら少し不機嫌な顔になった。
瑛花はこの胡散臭いマッチョを尊敬している。しかもマッチョを見る時の表情がまるで「お慕いしてます♡」というような雰囲気なのだ。ハッキリ言って、おもしろくない。むしろムカつくのである。
───大体なにが「プリティレディ・エーカ」だ。馴れ馴れしい。俺の瑛花さんだっつの!
だからちょっと刺々しく、
「おぅおぅセンセぇ。俺の瑛花さんをヨロシクご指導してくださいや。怪我なんかさせんでくださいよォ?」
と言ってやった。
「オゥ! ミスタ・セガーミ! ダイジョブ、ダイジョブですヨ!」
こちらの皮肉をまったく解さず、ニコニコ顔での返事。
それが益々ムカついて、
「チッ……この腐れ外人め」
と思わず舌打ち混じりに呟いてしまった。
途端、
「Noooooooooooooッ! ノゥノゥノォォォォォォォォォォォォンッ! ワタシはガイジンなんかじャあリません! 国籍ニッポンですヨ! もうズイブン前にニッポンに帰化してますヨ! Because! アイム・ニッポン人! そこラのファッキン女子高生なんかよリずっと長くニッポンで暮ラしてますヨ! ムッキィィィィィィィィィィィィィィィィッ! ファック! ファック! ファック! ファック! ファァァァァァァッッキュゥゥゥゥゥゥゥゥッッ!!!!」
マッチョは顔を真っ赤にして地団駄を踏んだ。こちらを修羅の如き形相でギロリと睨みつけてくる。青白い炎のようなオーラが滲み出ていて、今にも飛び掛かってきそうだ。
その勢いに圧倒された時臣は、慌てて掌を前に突き出す。
「いやいやいやいやいやいや、これは失言でした! すみません謝ります!」
「そうですよ時臣さん。ちゃんと先生に謝ってください」
瑛花までもが腰に手を当ててこちらを睨んでくる。
たまらず時臣は平身低頭した。
「と、とんだご無礼いたしました! 心よりお詫び申し上げますっっ!」
「Oh……わかってくレレばいいのですヨ」
マッチョは怒りをおさめたのか、口調が急に穏やかになった。時臣の傍にやってくると、
「顔を上げてください、ミスタ・セガーミ。……ワタシ、ニッポン人。OK?」
肩にゴツい手を置き、ニカッと笑顔になった。
「OK? ミスタ・セガーミ?」
重ねて問われ、時臣は冷や汗混じりで頭を上げる。
「お、おーけー」
「Good! ここはニッポン。和のクニです。お互いを思いヤル心を忘レないでくださいネっ」
「は、はぁ……」
危ないところであった。なにせ相手は空手の師範。しかも話によれば、アメリカ合衆国海兵隊員としてベトナム戦争に従軍していたという猛者だ。下手をすればなまっちょろい時臣ごとき、畳鰯にでもされかねない。
「あ、そうだ先生」
二人を見ていた瑛花が、思い出したようにスポーツバッグから茶封筒を取り出した。
「来月分のお月謝です」
両手でそれを差し出す。ちなみにこの道場の月謝は小学生だと7,350円である。
受け取ったマッチョは封筒の口を開け、逆さまにして掌の上で軽く振った。
「サンクス、レディ・エーカ。念のため確認させてくださいネ」
そのゴツい掌に、チャリンチャリンと小気味好い音をたてて小銭が転がり落ちる。
「ヒー、フー、ミー、Oh…丁度あリま、す、ネ───アォウッ!」
突如、マッチョは顔を真っ青にして小銭を放り出した。
縁側の板敷きの上に百円玉が3枚と五十円玉が1枚転がる。
「せ、先生?」
不思議そうな顔をする瑛花。
時臣も「なんじゃらほい?」と訝しむ。
マッチョは二・三歩後退るや尻餅をつき、ガクガク震えながら転がった硬貨たちを───その中の五十円玉を指差した。
「オゥマイガッ! や、ヤツが……ヤツがいますっっ!? ひーッ! ガッデムファッキンサノバビッチ!?」
「先生落ち着いてくださいっ」
駆け寄る瑛花にマッチョは涙まじりで、
「オゥ、レディ・エーカ! 五十円玉は入レたラダメダメと言っておいたハズですヨ!? ヤツはダメです! ナニか企んでます! 地獄の使者ですヨ! ノォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォンッ!!?」
と叫ぶと四つん這いになって座敷の奥にガサガサっともの凄いスピードで逃げ込んだ。
隅っこまで辿り着くと膝を抱えて丸くなり、何事かブチブチ呟き始める。
「せ、先生……」
瑛花は尊敬する師匠の突然の奇行に呆然と立ちすくむ。
隣に立った時臣はマッチョの丸くなった背中を眺めながら、
───こいつアホなんじゃね?
と内心で呆れた。
その後、まるで戦争後遺症の兵士のように恐慌状態で意味不明なことを呟き続けていたマッチョを、時臣と瑛花はなんとか落ち着かせることに成功した。
件の五十円玉は時臣が十円玉5枚と交換することで、なんとか月謝も受け取ってもらえた。
「ちョっと頭を冷ヤしてきますヨ……」
マッチョはそう言い残して屋敷の奥に引っ込んでしまった。
瑛花は更衣室代わりになっているという奥の間に入って道着に着替えている。
座敷の畳の上に胡座をかいた時臣は、独りボーッとしていた。
まだ練習時間には間があるのか、道場生は誰も来ない。
鳥の囀りや木の葉が風に揺れる音だけが聞こえる静かな座敷。
ふと、
───瑛花さんの着替え覗いちゃおっかな。
そんな考えが過ぎった。
しかしすぐに頭を振る。
以前お風呂を覗いた時は本当に口を利いてもらえなかったのだ。二日間も。あの時の苦しみと切なさを忘れたわけでもあるまいに。
「や…でもさ。ちょっとだけ、ちょっとだけなら大丈夫じゃね?」
……どうやら学習能力は低いらしい。
「うるせー。外野は黙ってろっての。確か今日の瑛花さんはベビーピンクのフリル付きパンツを穿いてるはずなんだよな。……じゅるり」
時臣はやおらいやらしい眼つきになると、この男にしては稀なる敏捷性を発揮して音もたてずに奥の間へと続く襖に忍び寄った。屈み込んで襖に耳を当てる。
「この向こうで瑛花さんがお着替えシーンを……むふふ♡」
「なにしてるんですか?」
「ひぐぅッ?!」
いきなり背後から声をかけられ時臣は跳び上がった。
振り向くとそこには茶色の帯を締めた道着姿の瑛花がきょとんとした表情で立っている。
普段は三つ編みにしている髪を下ろしてストレート。さらにカチューシャで前髪をアップにしている。白い額がなんともかわいらしい。
「ええええっ、瑛花さん?! 着替えてたんじゃあ……」
「ええ。着替え終わって、ちょっとお手洗いに行ってたんですけど───って、まさか」
「べべべべべ、別に何もないよ? なぁ~んも、ないよ! あはは…はははははっ」
「ふ~ん…ならいいんですけど。もしわたしの着替えを覗こうとしてたんだとしたら、大変なことになりますからね?」
腰に手を当てた瑛花にジト目で見られ、時臣の背筋に冷や汗が流れ落ちる。
誤魔化すようにポンっと手を打ち、
「あ、そうそう。俺さ、見学してもいいかな? どうせ予定もないし。瑛花さんの空手の練習って見たことないじゃない?」
と話を逸らして訊いてみた。
言って自分でもナイスアイデアだと思う。
空手の道着を着た瑛花は凛とした佇まいでとっても美味しそう。これが練習で動き回って手脚を上げたり振り回したりするのは、きっとものすごく絵になることだろう、と。
さらには汗びっしょりになったりしてそれもまた───じゅるり♡
瞬時に色んな妄想が頭を過るが、
「ダメです」
という瑛花の一言で霧散してしまった。
「えー、なんで?」
「時臣さん。また鼻がピクピク動いてます。えっちなこと……考えてましたね?」
じーっ、という視線が痛い。
「そんなえっちなヒトには、神聖な道場でのお稽古なんて見せられません。終わるのは6時半ですから、その時に迎えに来てください。帰りに一緒にお夕飯の材料の買い出ししましょう。はい、じゃあ出てってください」
瑛花はパンパン、と手を叩いて追い討ちをかけてくる。
「えーっ。瑛花さんの勇姿見たい見たい」
「時・臣・さん♡」
「……わかりました」
にっこり笑顔にマジな瞳で瑛花に言われ、時臣はそれ以上駄々をこねるのを諦めざるを得なかった。
砂利敷きの駐車場に戻った時臣は、ジャガーに乗り込むと羽織っているジャケットの左の内ポケットに右手を入れた。
黒いスマートフォンを取り出し、タッチパネルを操作する。電話ボタンに触れ、履歴からとある人名を選んで通話を開始。耳に当てて待つこと7コール目で相手が出た。
『うぃーす』
寝起きなのか、いやにくぐもった声である。
だが時臣はそんなことにもお構いなし。
「おいーっす。今電話平気?」
『あぁ……。なんか用?』
「ちっと時間空いちまったから、暇潰しにファミレスあたりでダベらねぇ?」
『……カネがない』
「ドリンクバーくらいはゴチるからさ」
『んだよ…たりぃなぁ。フィアンセちゃんといちゃついてればいいじゃん』
「瑛花さんは空手の練習。んで俺、追い出された」
『ザマぁwww リア充爆発しろwwwww』
「るせー。貸してるカネ、今すぐ取り立てんぞ?」
『わぁーったよ、ったく。んで? オレはどうすりゃいいの?』
「迎えに行くから味噌汁で顔でも洗って待ってろ」
『あいよー』
ブツッ…
通話を終えた時臣はスマートフォンを内ポケットに仕舞うと、
「おっと、そうそう」
忘れてたとばかりに身を乗り出して助手席シートの座面に頬擦りをし始める。
「瑛花さんのお尻が乗ってたトコロ♡ ぬふふふふ♡」
すりすりすりすり……
ひとしきり頬擦りを楽しむと、ニヤついた表情のままで元の位置戻る。
今度は左手をジャケットの右の内ポケットに突っ込んだ。
取り出したのは純白のパンツ。フリルでかわいらしく縁取りが施され、前面上部の真ん中にはピンクの小さなリボンが付いている。これはもちろん、瑛花の使用済みパンツコレクションのひとつだ。
そのお尻の部分に顔を擦り付けて思いっきり匂いを嗅ぎまくる。
「すーはーすーはー♡ んん~♡ いい匂い~♡ すーはーすーはー♡」
二・三分ばかりそうしてから、
「ぬっふふっふふ~♡」
鼻歌混じりに今度はそれを口に銜えた。
「んじゃ、出ますかねぇ」
独りきりの車内で変態行為をしながらエンジンをかけ、すぐさまアクセルを踏み込む。
変態オーナーに駆られたジャガーは、砂利を踏み鳴らして発進したのだった。
連載は始まったばかり。今後の執筆の励みになりますので、感想・批評・ご意見・点数評価をお待ちしております!酷評大歓迎!ボロクソに貶してプリーズ!