第27話 手を離す
第27話です。
王都の朝は、静かに曇っていた。
高い塔の窓から差し込む光は白く、冷たい。
中庭では兵が慌ただしく行き交い、黒霧発生の報告が次々と運び込まれている。
その喧騒から少し離れた回廊に、二人はいた。
リュシアン・アストリアと、フィアナ・カルディア。
「……で?」
腕を組み、フィアナが首を傾げる。
「話ってなに?」
彼女はいつも通りだ。
王都の緊張も、重苦しい空気も、どこ吹く風。
それが、救いであり――痛みでもある。
「フィアナ」
呼ぶ声が、思ったより硬い。
「しばらく、村へ戻れ」
一瞬、風が止まった気がした。
「……は?」
「北の森は落ち着いた。君の役目は果たされた」
「王都は?」
「王族が、対処する」
淡々と告げる。
感情を殺すように。
「黒霧は、王都内部の問題だ。貴族間の軋轢、権力争い。君が踏み込む必要は、ない」
「でも、剣が必要なんでしょ?」
「足りている」
嘘だ。
足りていない。
だが足りていないのは、剣ではなく――浄化だ。
聖女と呼ばれる力。
自分が立てばいい。
「危険だ」
それだけは本音だった。
「君は目立ちすぎる。剣聖として名が知れ渡った今、利用しようとする者も出る」
貴族の駒にされる可能性。
暗殺、誘拐、脅迫。
王都は美しく、醜い。
「だから?」
フィアナの声が、低くなる。
「だから帰れって?」
「そうだ」
沈黙。
彼女はじっとこちらを見る。
まっすぐな目。
「……リュシアン」
「なんだ」
「それ、本音?」
胸が、わずかに揺れる。
「君を守るためだ」
「違うでしょ」
即答だった。
「私、強いよ?」
「分かっている」
「じゃあなんで」
一歩、近づく。
「隣にいちゃ、駄目なの」
その言葉が、胸を貫く。
隣。
選ばれたいと願った場所。
「君が、傷つく可能性がある」
「戦えば傷つくよ」
「王都は、戦場とは違う」
「どう違うの」
言葉に詰まる。
王都の悪意は、見えない刃だ。
噂、陰口、策略。
純粋な彼女には、向かない。
「私は」
喉が乾く。
「私は、聖女だ」
「私はそう呼んでない」
「だが王都は呼ぶ」
強く言い切る。
「私の傍にいれば、君は“聖女の剣”になる。道具にされる」
利用される未来が、はっきり見える。
「私は、それを望まない」
守りたい。
傷つけたくない。
――そして。
もし、王都の悪意が増幅し、自分が揺らげば。
嫉妬も、欲も、黒霧の種になり得る。
その中心に、彼女を置きたくない。
「リュシアン」
彼女が手を伸ばす。
無意識に握っていた彼女の指先。
温かい。
離したくない。
だが。
「……帰れ」
そっと、その手を外す。
指先が離れる瞬間、胸がきしむ。
「君の村には、君を待つ人がいる」
「でも」
「私は王族だ」
境界線を引く言葉。
「ここは、私の戦場だ」
彼女の瞳が揺れる。
「一緒に戦うって言った」
「森での話だ」
「ずるい」
小さく呟く。
胸が痛む。
それでも、視線を逸らさない。
「君は自由だ。縛られる必要はない」
「縛られてないよ!」
声が強くなる。
「私が選んでるの!」
その言葉に、心が揺らぐ。
選んでいる。
分かっている。
だからこそ、怖い。
彼女の選択を、自分の事情で歪めたくない。
「……なら、私の選択も尊重してくれ」
静かに告げる。
「君を遠ざけると決めた」
沈黙。
長い、長い沈黙。
やがてフィアナは、唇を引き結ぶ。
「……わかった」
その一言が、刃のように落ちる。
「王子様がそう言うなら、従うよ」
王子様。
距離を置く呼び方。
「今日中に出る」
「馬は用意させる」
「いらない。走る」
くるりと背を向ける。
足音が、遠ざかる。
呼び止める声は、喉まで出かかったまま消えた。
回廊に一人、取り残される。
手のひらに、彼女の温もりが残っている。
(これでいい)
守るためだ。
危険から遠ざけるため。
選ばれたいと、願ったくせに。
自分から、手を離した。
曇天の空の下、鐘が鳴る。
王都は、揺れている。
悪意は、消えない。
そして今、胸の奥で疼くこの痛みも――消えはしない。
お読みいただき、ありがとうございました。




