第26話 帰還
第26話です。
王都アストリアの白壁が見えたとき、胸の奥がわずかに重くなった。
門前には既に兵が列をなし、聖女王子の帰還を待ち構えている。
歓声はない。代わりに、張りつめた空気。
黒霧は王都の周辺でも発生している。
祈りの王子の不在は、想像以上に不安を広げていたらしい。
「殿下、お帰りなさいませ!」
門兵が深く頭を下げる。
リュシアン・アストリアは静かに頷いた。
隣にはフィアナ・カルディア。
彼女は門の高さを見上げ、ぽつりと呟く。
「でっかいねぇ」
「田舎者の感想だな」
「うるさいなあ」
軽口を交わしながらも、彼の視線は王城へ向いている。
兄が負傷した。
王都で、悪意が増幅している。
胸の奥のざわめきが、再び顔を出す。
玉座の間ではなく、呼び出されたのは私室だった。
扉を開けた瞬間、豪快な笑い声が飛ぶ。
「おう、帰ったか聖女!」
長兄、バルド・アストリアが椅子から立ち上がる。
腕には包帯。だが立ち姿は揺るがない。
「兄上」
その隣、窓辺に寄りかかる次兄ルシウス・アストリアが片手を振る。
「顔に出てるよ、リュシアン」
そして奥のソファ。
三兄ガレス・アストリアが静かに座っていた。左肩に布が巻かれている。
「……無事で何より」
低い声。
リュシアンの胸が、締めつけられる。
「負傷されたと聞きました」
「かすり傷だ」
ガレスは短く答える。
バルドが豪快に笑う。
「王都の黒霧は質が悪ぃ。嫉妬やら猜疑やら、煮詰めたみてぇな匂いがする」
ルシウスが肩をすくめる。
「貴族街が震源地だ。誰かが意図的に煽ってる可能性もある」
悪意は、自然発生するだけではない。
利用されることもある。
「父上は?」
「陛下は調査を指示中だ。お前の帰還を待っていた」
視線が集まる。
祈りの力。
浄化の象徴。
それを求められている。
(また、役割だ)
喉がわずかに渇く。
「……兄上方」
言葉が、少しだけ重い。
「私は」
三人が黙って待つ。
逃げ場はない。
「私は、嫉妬しました」
静寂。
ルシウスが片眉を上げる。
「ほう?」
バルドはにやりと笑い、ガレスは目を細める。
「フィアナに、元恋人がいました」
「ああ、報告は受けてる」
さらりと返すルシウス。
「何もなかったそうだな」
「はい」
「で?」
促される。
リュシアンは、拳を握る。
「それでも、胸がざわついた。選ばれないかもしれないと思った」
聖女らしくない告白。
「私は、聖女と呼ばれてきました。だが」
視線を落とす。
「欲しかったのは、崇拝ではない。選ばれることだった」
静かに、言い切る。
部屋の空気が変わる。
バルドが腕を組み、低く笑う。
「やっと言いやがったか」
ルシウスが、くつくつと肩を揺らす。
「可愛い弟だ」
ガレスが、ゆっくりと立ち上がる。
「それで」
短い問い。
「どうする」
どうする。
その言葉が胸に刺さる。
王都は危険だ。
黒霧は、増幅している。
フィアナを巻き込めば、標的になる可能性もある。
彼女は強い。だが無敵ではない。
「……私は」
守りたい。
だが、選ばれたい。
二つの願いが、胸でぶつかる。
「明日、彼女に話します」
声は静かだった。
「王都を離れるよう、告げるつもりです」
ルシウスの目が、細くなる。
バルドは、何も言わない。
ガレスの視線だけが、真っ直ぐに突き刺さる。
それでもリュシアンは、目を逸らさない。
「危険から遠ざけたい」
それは本音。
だが。
胸の奥に、もう一つの声がある。
――それは逃げではないか。
自分が傷つかないための。
部屋の外、遠くで鐘が鳴る。
王都は揺れている。
悪意は消えない。
だが。
誰を選ぶかは、自分で決められる。
そして。
選ばれたいと願うなら――。
その代償も、自分で背負うしかない
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