第24話 選ばれたいという願い
第24話です。
夜は、静かだった。
黒霧の気配も薄れ、森はようやく本来の静寂を取り戻している。
焚き火の火がぱちりと爆ぜ、橙の光が揺れた。
フィアナは、少し離れた場所で、剣の手入れをしている。
鼻歌まじりだ。
無防備な背中。
警戒という言葉を知らないような姿。
リュシアンは、その背を見つめていた。
(彼女は、私を優先した)
昨日の光景が、胸の奥で何度も反芻される。
元恋人がそこにいた。
過去を共有した相手。
剣を交え、言葉を交わし、時間を重ねた男。
それでも彼女は、迷わず自分の隣に立った。
――私はリュシアンと行くよ。
あまりにも自然で、あまりにも無自覚で。
「……ずるい」
思わず、零れる。
「ん? なにか言った?」
振り向く声に、はっとする。
「いや、独り言だ」
「変なの」
くすりと笑い、彼女はまた剣に向き直る。
リュシアンは視線を落とした。
聖女と呼ばれてきた。
祈れば病が癒え、触れれば安らぐと噂され。
民はひざまずき、貴族は媚び、誰もが“正しい王子”を求めた。
だが。
(あれは、私ではない)
求められていたのは、役割だ。
清らかで、穢れず、嫉妬も欲も持たない偶像。
兄たちは違う。
長兄バルドは豪胆で、力で信頼を掴む。
次兄ルシウスは軽妙で、言葉で人を繋ぐ。
三兄ガレスは寡黙で、背中で守る。
彼らは“選ばれている”。
臣下に。兵に。民に。
それは、彼ら自身が選ばれているのだ。
だが自分は。
(私は、崇められているだけだ)
対等ではない。
隣に立つ存在ではない。
だから。
昨日、彼女が迷わず隣に立った瞬間。
胸が、震えた。
「……僕は」
気づいてしまう。
嫉妬していた理由。
元恋人の存在が、怖かった理由。
過去を持つ彼女が、自分ではなく“あちら”を選ぶ可能性があったから。
聖女だからではない。
王子だからでもない。
「僕が欲しかったのは――」
選ばれることだ。
肩書きでも、祈りでもなく。
リュシアンという一人の人間として。
静かに息を吐く。
それは、あまりに身勝手な願いではないか。
彼女には彼女の人生がある。
過去も、未来も。
それでも。
「リュシアン?」
いつの間にか、フィアナがすぐ目の前に立っていた。
「顔、難しい」
「そうか?」
「うん。考えすぎてるときの顔」
図星だ。
「君は……どうして私の隣にいる」
思わず問う。
彼女は瞬きをした。
「え? だって一緒に戦ってるし」
「それだけか」
「それだけって何さ」
少し頬を膨らませる。
「強いし、優しいし、ちゃんと怒るし。あと、隣にいると落ち着く」
さらりと言う。
「聖女だからじゃないのか」
「は?」
きょとんとした顔。
「なにそれ」
「私は、そう呼ばれている」
「私は呼んでないよ」
即答だった。
「リュシアンは、リュシアンでしょ」
当たり前のことのように。
胸の奥で、何かがほどける。
「……そうか」
「うん。変なの」
くすっと笑い、彼女は焚き火の隣に腰を下ろす。
自然な距離。
触れそうで、触れない。
だがその近さは、祈りで得られるものではない。
選ばれている距離だ。
リュシアンは静かに目を閉じる。
(悪意は消えない)
嫉妬も、欲も、消えはしない。
だが。
それを抱えたままでもいい。
選ばれたいと願うことは、罪ではない。
彼は初めて、自分の欲を認めた。
聖女ではなく。
王子でもなく。
一人の男として。
「フィアナ」
「なに?」
「……ありがとう」
「だから急に何?」
笑い声が夜に溶ける。
焚き火の火は、静かに燃え続けていた。
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