第13話 胸のざわつき・偶然の遭遇
第13話です。
森を抜ける細い山道で、朝の光が、木々の間から差し込む。
鳥のさえずりが静かに響く中、リュシアン・アストリアは、馬車のそばで、剣を手入れしていた。
野営の朝は、いつも清々しいはずだが、今日は、胸の奥に、妙なざわつきが残っていた。
戦闘の緊張感は、すでに消えたはずなのに、心のどこかが落ち着かない。
「王子さま、見て!」
フィアナ・カルディアが、小さな花を差し出す。
無邪気に笑う彼女の横顔に、リュシアンは思わず視線を止めた。
その微笑みに、胸が軽くきゅっと締め付けられる。
「……そういえば、昔の話だけど」
フィアナは、手元の花を弄りながら、少しためらいがちに口を開いた。
「昔、ちょっとだけ付き合ってた人がいて……もう結婚が決まったんだって」
その言葉を聞いた瞬間、リュシアンの胸は思わず跳ねた。
元彼……結婚? ヒロインは過去のこととして軽やかに話しているのに、王子の心は突然もやもやと揺れた。
「そ、そう……か」
言葉は小さくしか出なかった。
普段は冷静で、戦場でも動揺しない自分が、ただ心の奥で、ざわつくのを感じる。
そのとき、道の先から、軽やかな足音が近づいてきた。
馬車の陰から現れたのは、まさにフィアナの元彼――落ち着いた雰囲気で、上品な笑みを浮かべている。
結婚間近であることを思わせる誠実そうな表情。
「おや、フィアナ。久しぶりだね」
元彼の声は柔らかく、軽い驚きと礼儀正しさを含む。フィアナも自然体で立ち止まり、軽く会釈した。
「久しぶりね。元気そうで何より」
会話は短く、どこか穏やかだ。元彼には未練はまったくなく、フィアナも、昔の関係を気にしていないことが、表情や仕草から伝わる。
しかし、リュシアンの心はまったく違った。
胸が締め付けられるようにざわつき、視線が自然と二人の間に集中する。
元彼の仕草や声、笑顔……どれも特別ではないはずなのに、心の奥で何かが刺激される。
嫉妬? 独占欲? 自分でも正確に言葉にできない、複雑な感情だ。
「……王子さま?」
フィアナの声が耳に届くが、リュシアンは一瞬、心を落ち着けようとして答えを探す。
だが、胸のもやもやは消えず、目の前の元彼をただ意識してしまう。
元彼は、礼儀正しく、別れの挨拶をして去っていく。
ヒロインは、その背中に軽く手を振り、笑顔を見せる。
その自然な姿に、王子の胸のざわつきは、さらに増す。
心の中で、戦場での緊張感よりも強い、未知の感情が芽生えていることを、自覚した。
「……俺……なんだ、これは」
リュシアンは小声で呟く。
戦いでは、冷静に祈りを集中できる自分が、ただ一人、恋心や嫉妬という感情に翻弄されている。
フィアナに、未練はない。
元彼は結婚が決まっている。
なのに、胸がざわつき、視線が勝手に追ってしまう。
森の静けさ、鳥の声、焚き火の煙……すべてが穏やかに流れているはずなのに、王子の内面だけは、嵐のように揺れ動いていた。
初めて、自分が誰かを、特別に意識してしまう。
感情の重さに、気づく朝。
フィアナは、何も気づかず、花を差し出し、笑顔を向ける。
王子だけが、その微笑みと、元彼の存在の間で、心のもやもやを抱えたまま、歩き出すのだった。
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