第1話 聖女ではない
第1話です。
白銀の髪が、祈りの風に揺れた。
王都の大聖堂前広場には、数え切れないほどの民がひざまずき、祈りを捧げていた。石畳の隙間から舞い上がる埃に、聖光が柔らかく反射している。人々の顔には希望と緊張が入り混じり、わずかに震える唇が神に祈る言葉を紡いでいた。
「――どうか、安寧を」
柔らかな声で告げると、天から淡い光が降り注いだ。聖光は広場を満たし、黒く淀んでいた霧を静かに払いのける。霧が消え去ると同時に、歓声が広場を包み込む。
「聖女様……!」
「やはり第四王子殿下は、聖女の再来だ……!」
微笑む。完璧に。穏やかに。慈しむように。人々を包み込むその微笑は、まるで伝説の聖女そのものだった。
――聖女じゃない。
心の奥で、小さく舌打ちした。俺は男だ。ただの王族の四男。だが、誰もそれを望まない。望まれるのは、“聖女に似た王子”という偶像だけ。
「お疲れ、リュシアン」
背後から豪快な声。振り返れば、巨躯の長兄が腕を組んで立っている。日差しに照らされるその姿は、筆頭王位継承者としても威圧的で、しかし兄としての優しさも滲んでいた。
「今日も綺麗だったぞ」
「からかうのはおやめください、兄上」
外向きの声音で返す。にこりと微笑む。内心では、いつものように兄の視線を避けながら、偶像としての自分を演じていた。
その隣では次兄が面白そうに目を細め、三兄は無言でこちらを見ていた。三兄の視線は、いつもどこか鋭く、言葉にせずとも多くを伝えてくる。
「……疲れてるな」
三兄がぽつりと呟く。
「いいえ、問題ありません。私は王族ですから」
そう答えながら、心の中では微かな疲労が重くのしかかる。王族として生まれ、聖女の姿を演じ続ける日々。誰も、俺という人間そのものを見てはくれない。
そのとき、広場の騒ぎをかき分けるように伝令が駆け込んできた。
「ご報告! 辺境にて黒霧の大規模発生! ですが――」
「ですが?」
「雷に打たれたように覚醒した少女が、霧を斬り払ったとのこと!」
……斬った? 黒霧を?
その瞬間、心がざわついた。興味など、今まで微塵もなかったのに。剣が霧を切り裂く――その光景を想像するだけで、胸の奥が熱くなる。
「剣聖と、呼ばれているそうです」
聖女ではなく、剣聖。
その言葉は、俺の心に小さな炎を灯した。
――会ってみたい。
そう思ってしまったのが、すべての始まりだった。
広場の人々は歓喜に沸き、聖光を浴びて顔を輝かせる。だが俺の視線は、遠くの辺境の黒霧に向いていた。剣聖――その存在が、今の俺の世界を揺さぶると直感した。
長兄が腕を組んだまま、にやりと笑った。
「本当に……王族とは大変だな。人々の期待に応えつつ、自分を隠す」
次兄が軽く鼻で笑う。「まぁ、リュシアンらしいけどな」
三兄の沈黙が重い。言葉はないが、その瞳に宿るのは、弟としての複雑な感情と、少しの羨望かもしれない。
俺は微笑みを返し、聖女としての姿を崩さない。だが心の奥底では、未知なる剣聖への好奇心が静かに膨れ上がっていた。
――この世界は、偶像で満たされている。だが、偶像では触れられないものがある。
そう気づいたとき、俺は初めて、自分の人生に小さな変化の兆しを感じた。
辺境の少女、黒霧、そして剣聖――すべてが、これからの運命を大きく変える前触れなのだろう。
広場に響く歓声、聖光のぬくもり、兄弟の視線――そのすべてが、俺を静かに、しかし確実に覚醒させていく。
――俺は王子であり、偶像であり、そして――ただの男でもある。
しかし今、初めて、偶像を離れて、自分の意思で動きたいと思った。
その思いが胸を突き抜けた瞬間、俺の視線は、遠くに立つ黒霧の向こう――剣聖の姿を求めて、自然と動いていた。
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