第8話 金槌が振れないドワーフ―②
私はアルバート、アリアとともに、ガンツがいるという工房へと向かう。旅立つ準備をしていたらゼノスが「俺のことはどうするのだ?」と昭和のお父さんみたいなことを言ってきたが「お留守番」とだけ告げて放置してきた。
「以前はあのおっさんも明るく元気だったんだけどな。十年前くらいに肩を痛めてからはすっかり変わっちまった。金槌が振れなくなって、注文も来なくなったみたいだからな」
十年前から痛みが出ているのか……。それだけ治らないということはもしや……。
ギルバートの案内で訪れたのは、街外れにある薄暗い工房だった。本来なら鉄を打つ音が響いているはずのその場所は、火の消えた炉のように静まり返っている。
「帰れ。誰が来ようと、わしはもう金槌は握らん」
工房の奥。散乱した鉄屑の山に埋もれるようにして、そのドワーフは座り込んでいた。
ガンツ・アイアンハンド。
伝説の鍛冶師と呼ばれる男だが、今の彼はただの偏屈な酔っ払いだ。左手で肩を押さえ、右手で酒瓶を煽っている。
「まあそう言わずに。今日は腕利きのリハビリ屋を連れてきたんだ」
「……リハビリだァ? 神官が何度祈っても治らんかった『石化の呪い』だぞ。そんなわけもわからん詐欺まがいで、どうせまた、高い金をふんだくって……」
ガンツが顔を上げ私を睨む。
「んん? あんたの顔どっかで……?」
「ん?」
充血した目。目の周りにはクマもある。そして何より、右肩を少し動かすだけで顔をしかめる動作。
「(典型的な苦悶様表情。……あの痛がり肩は、関節の中で炎症が起きている証拠。十分な睡眠も取れていなさそうだ)」
私はギルバートを押し退け、ガンツの前に立った。
「初めまして。理学療法士の能登律です。……ちょっと失礼」
「のと、りつか……。あ? いきなり何を……」
私はガンツの返事を待たず、彼の肩に触れると同時に空中に手をかざした。まずは基本情報の収集からだ。
「――電子カルテ、展開」
『ピロン♪』
脳内に電子音が響き、薄暗い工房の中に青白いウィンドウがポップアップする。
【電子カルテ No.005】
氏名: ガンツ・アイアンハンド
年齢: 152歳
種族: ドワーフ(鍛冶師)
主訴: 右肩の石化(自称)、および夜間時痛
私は表示された「主訴」の項目を見て、鼻を鳴らした。
「(石化ねえ……。文字通りの石化なら皮膚組織まで硬化するはず。でもそんな所見はない。表面は普通の皮膚だ)」
レベルアップで解放されたばかりの新機能。その性能を試す時だ。
「検査オーダー。肩の単純X線。正面、およびスカプラY撮影」
『ピロン♪』
脳内にオーダー承認の音が響く。次の瞬間、私の視界だけにモノクロの映像が投影された。ガンツの身体が透け骨格が白く浮かび上がる。
「(……すごい。本当に骨が見える! MRIはないけれど、これなら整形外科的診断は格段に楽になる!)」
私は興奮を抑えつつ、浮かび上がった骨の像を凝視した。
「(骨折線なし。脱臼なし。石灰沈着……もなし、か。となると、問題はスペースね)」
私は画像の一部を指で拡大する。注目すべきは、肩峰と上腕骨頭の隙間――AHIと呼ばれる場所。
「(よし……! AHI、つまり肩にある関節の隙間は広く保たれている。これなら少なくとも、腱板断裂のような致命的な損傷はないと言える)」
もしここで腱が切れていたら無理に動かすことは禁忌だ。だが切れていないなら話は別。骨にも腱にも異常がないのに、動かない。
それはつまり――
「(関節包が癒着して、ガチガチに固まっているだけ。……典型的な拘縮肩か)」
さらに観察を続けると、ドワーフ特有の興味深い構造が見えてきた。
「(へえ……。人間と違って肩甲骨にある関節の窪みが深くて、それを覆う肩峰が分厚く発達している。重いハンマーを振るうために進化した肩、というわけか)」
頑丈なのは良いことだ。だが、今はその頑丈な関節を覆う袋――「関節包」が炎症で分厚く硬くなり、関節を縛り付けている。
「なるほど。欠陥ですね」
「あ? 欠陥だと?」
私がレントゲン画面を消すと、ガンツがムッとして酒瓶を置いた。
「わしの肩は鋼鉄より頑丈だ。欠陥などあるものか!」
「頑丈なのは肩の骨であって関節を包む膜は違う。使いすぎで炎症を起こし、それが治る過程で関節の膜が癒着して固まってしまった。今はそれが肩の動きを邪魔してるんです」
私は自分の肩を指差しながら解説する。
「あなたの肩は肩関節周囲炎。それに伴う拘縮……要は、五十肩のこじらせ版です」
「ご、五十肩……? 呪いかなんかか?」
「呪いなんてロマンチックなものじゃありません。ただの老化と使いすぎです」
私が断言すると後ろで聞いていたアリアが不思議そうな顔で口を挟んだ。
「あの、リツさん。なんで触ってもいないのに、骨の厚みとか、中のスジの状態まで分かるんですか?」
「え? なんでって……」
私はレントゲンのことを説明しようとして、ふと考え直した。
この世界に放射線の概念はない。説明してもややこしいだけだ。だから、もっと根本的な知識ベースの話として答えることにした。
「それは、解剖学を学んでいるからだよ」
「カイボウガク……?」
アリアが聞き慣れない単語に首を傾げる。
私は違和感を覚えた。神官やヒーラーがいるこの世界なら、人体の基礎知識くらいはあるはずだ。
「なんというか……亡くなった方の身体をお借りして、メスを入れて、中身の構造を知る学問のこと。骨がどう繋がっているかとか、筋肉がどこに付いているかとか。実際に見て学ぶんだよ」
私がそう説明した瞬間、アリアとギルバート、そしてガンツまでもが信じられないものを見る目で私を凝視した。
「な、亡くなった方の身体の中身を……見る?」
「うん。献体といってね、医学の発展のために――」
「ま、待ってください、リツさん。……《《死体》》なんて、どうやって見るんですか?」
アリアの声が震えている。彼女の言葉の意味が一瞬理解できなかった。
「は? どうやってって……解剖室で……」
「だって、人は死んだら……光の粒子になって、神の御元へ還るんですよ?」
「…………あ」
今度は私が呆然とする番だった。
「そうだった……。だから肉類を食す文化が無いんだった。え、それって全部の命がそうなの?」
「はい。魔物なら魔石を残して塵になりますし、人間なら綺麗な光になって消滅します。……魂の抜け殻が残るなんて、そんな恐ろしいこと、あるわけないじゃないですか」
アリアが「怖い」と言いたげに身震いする。私はその言葉を聞いて雷に打たれたような衝撃を受けた。
――死体が……残らない。
それはつまり、死後の身体を切り開いて調べることが物理的に不可能だということか。
「……でも昨日アリアが作ったのはハンバーグだったじゃん。あれって何かの生き物の肉だよね?」
「あれは大豆を加工したものです。生きとし生けるものはすべて、例外なく光の粒子となって消えます。肉を食す種族は唯一、悪魔族だけです」
「あー、そうですか……」
なんてこった。病理学も、解剖学も、外科学も。
現代医学の根幹を支える「死者からの学び」が、この世界には一切存在しない。
「(……ははは。なるほど、通りで)」
私は乾いた笑いを漏らした。この世界の医療がなぜ「祈り」や「魔法」に偏っているのか。なぜ骨折や筋肉痛といった物理的な不調へのアプローチがこんなにも未発達なのか。
答えを見ることができないブラックボックスだからだ。
「リツさん? どうかしましたか?」
「……ううん。なんでもない」
私は頭を振って気持ちを切り替えた。
郷に入っては郷に従え、とは言うが――医療に関しては従うわけにはいかない。
解剖学がないなら私がこの世界の「解剖書」になるまでだ。
「とにかく、……ガンツ氏でしたっけ? あなたの肩の中身は、私の頭の中に全部入っています」
私はガンツに向き直り、不敵に笑ってみせた。
「原因が分かってるなら治し方も分かります。あなたがどうなろうと対して興味はありませんが、あなたのその肩が死滅するのは許せない。……その呪い、私が解いてあげましょうか?」
ガンツは疑わしそうな目を向けていたが、やがて痛む肩をさすりながら重い口を開いた。
「十年も……十年も動かないんだぞ。……金槌が、握れるようになるなら、なんだってやってやるさ」
「なりますよ。ただし――」
私は工房の隅に転がっている鉄屑を指差した。
「治療費は金貨じゃありません。私の技術を提供する代わりに、あなたの技術《鍛冶》を私にください」




