第4話 四肢が麻痺した元魔王―④
「……っ、な、貴様……何を……ッ!」
青白かったゼノスの顔が、屈辱と困惑で一気に赤く染まる。
「動かないで。……いえ、動けないんでしたね。不随意運動で蹴られる心配がないのは助かります」
私は無機質な手つきで、露出したゼノスの大腿部から股関節周辺へと指を滑らせる。魔人としての威厳をかなぐり捨て、ゼノスは情けない声を漏らした。
「ま、待て……そこは……そこは不敬であろう……! あ、あぁっ……!」
「不敬かどうかは私の管轄外です。……ここ、感じますか? 仙髄の感覚残存を確認したいんです」
「な、何を……っ、妙なところをなぞるな! 指が、そこは……あ……」
ゼノスの声が微かに震えた。どうやら私の冷たい指先が通る温度と、皮膚を弾く刺激は脳へと通っているようだ。
「……感度良好ですね。痛みへの反応もありますか? 少し強く圧迫します」
「――ッ!? ば、馬鹿者、どこを握って……っ、やめ、……あぁッ!!」
ゼノスの絶叫がリハビリ室に響き渡る。背後の騎士レオンが「ゼノス様ーっ!」と叫んで剣を抜きかけるが、振り向きもせず、私は脳内で事務的にカルテを更新した。
「よし。表在感覚、深部感覚ともに残存。球海綿体反射も陽性……。神経回路は完全に断裂しているわけではないようですね」
ゼノスの装束をクイと引き上げると、何事もなかったかのように立ち上がった。
「おめでとうございます、ゼノス氏。下部神経節の反応は生きています。これなら、あなたが再び自分の足で地面を蹴る日は、そう遠くないかもしれませんよ」
「……貴様……絶対に……絶対に許さぬぞ……」
息も絶え絶えに涙目で睨みつけるゼノス。だが私の目には、もはや彼という「人格」ではなく、明日から叩き直すべき「筋肉」のビジョンしか映っていなかった。
一通り検査を終えると、私とゼオンのやり取りに呆気をとられていた二人――鎧の騎士レオンと、ローブの少女に向き直る。
「さて、そこの付き添いの方々。ボサッとしてないで手伝ってください」
「は、はいっ……!」
「な……ま、まだなんかあるのか!?」
「ええ。次は環境調整です。この部屋、ジメジメしすぎ。カビは呼吸器に最悪だし、このフカフカすぎるベッドもダメ。身体が沈み込んで寝返りが打てない」
私はパンパンと手を叩き、現場監督のように指示を飛ばした。
「窓を開けて換気! それと、もっと硬いマットレスか木の板を持ってきて! 今日からここは豪華な寝室ではありません。――リハビリ室です」
***
「ぐぬぬ……なぜこの俺が、こんな雑用を……!」
大男――レオンが、ブツブツと文句を言いながらも、指示通りに部屋の窓を全開にし、古びたカーテンを引きちぎるように取り外していく。
態度は悪いが、仕事は早い。
「はいはい、文句を言わない。口を動かす暇があったら手を動かして。……それにしても、素晴らしい筋力ですね」
私は感心しながら、彼の背中に視線を向けた。重厚なプレートアーマーを着たまま、巨大な木材のタンスを軽々と持ち上げている。常人離れしたパワーだ。
私は試しに、彼にも【電子カルテ】を発動してみる。
『ピロン♪』
【電子カルテ No.002】
氏名: レオンハルト・ガレス
年齢: 45歳
種族: 竜人族
主訴: 易怒性、高血圧疑い
備考: 筋密度がヒトの8倍。非常に優秀な介護要員
「(なるほど、竜人。どうりで人間離れしているわけだ。血圧が高そうだから、あとで塩分控えめの食事指導が必要か?)」
私は「優秀なリハビリ助手」を確保できたことに満足し、次はベッドサイドでオロオロしている少女に目を向けた。
彼女は涙目のまま、自分の杖を強く握りしめている先ほど、必死に治癒魔法をかけていた子だ。技術は未熟だが、患者を想う気持ちは本物だった。
「あなたはヒーラーね? 名前は?」
「あ、アリアです……! C級ヒーラーの、アリア……。一応、この屋敷を借りて治療院を開いています」
「そう、アリア。あなたは患者の水分補給を手伝って。一気に飲ませるとむせるから、スプーンで少しずつね」
私は彼女にもカルテの視線を向ける。
『ピロン♪』
【電子カルテ No.003】
氏名: アリア
年齢: 16歳
種族: ヒューマン
職業: C級ヒーラー
主訴: 自信喪失、軽度の貧血
「(ああ、よかった。彼女は『人間』なのね)」
ステータス欄に表示された「ヒューマン」の文字を見て、私は密かに安堵のため息をついた。
魔人に竜人。異種族ばかりの環境で、生物学的に同じ構造を持つ同族がいることは、精神衛生上とても助かる。
「……よかった。言葉が通じる同族がいてくれて」
私がボソリと呟くと、アリアはキョトンとした顔をした。
「え? ……あ、はい! 私も、同じヒューマンがいてくれて心強いです! その……リツさんの治療、魔法みたいですごかったです!」
アリアが無邪気な笑顔を向けてくる。私は少しこそばゆくなって「魔法じゃなくて科学だよ」と短く返し、ふと気になった。
「(ん?……待てよ。私のステータスはどうなってるのだろうか?)」
他人のことばかり見ていて、自分の状態を確認していなかった。もしかしたら転移の影響で「魔力」なんてものが増えているかもしれない。
「どれ……」
私は軽い気持ちで、自分自身に意識を集中し電子カルテを展開した。
空中に浮かぶ青いウィンドウ。そこに表示された文字列を見た瞬間、私の思考はフリーズした。
『ピロン♪』
【電子カルテ:ユーザー情報】
氏名: 能登 律
年齢: 25歳
職業: 理学療法士(PT)
種族: ???
「……は?」
思考が停止する。アリアは「ヒューマン」と表示された。ゼノスは「魔人」。なのに、なぜ私だけが「???」なのか。
私は自分の手を見る。見慣れた血管。使い慣れた五本指。どこからどう見ても、人間の手だ。
だが電子カルテは、この世界は、私を人間とは認識していない?
「リツさん? どうかしましたか? 顔色が……」
アリアが心配そうに覗き込んでくる。
私は反射的にカルテの画面を消し、冷や汗を拭った。
「な、なんでもない。ちょっと疲れただけ」
得られた事実が意味するものを考えるよりも早く、ベッドの上から不機嫌そうな声が降ってきた。
「おい。いつまで待たせる気だ。……喉を焼くような不快感だ。……水を持て」
ゼノスが乾いた唇を震わせ、私を睨んでいる。私は深呼吸を一つして、頭の中の「???」を隅に追いやり、理学療法士の顔に戻った。
「はいはい、今行きますよ。……ったく、手のかかる患者だこと」
自分の正体が何であれ、やることは変わらない。目の前の患者を、まずは歩けるようにすること。そしてゼノスを魔王城へと連れて行き、私は日本へと帰る。
今はそれだけに集中しよう――そう自分に言い聞かせ、私はアリアが用意したコップを手に取った。
***
【本日のカルテ】
担当: 能登 律(PT)
患者氏名: ゼノス 年齢: 不詳 種族: 魔人
■ S(Subjective:主訴・患者の訴え)
「俺は魔人だぞ。恐怖はないのか」
「喉が渇いた」
■ O(Objective:客観的評価)
・意識レベル:清明(JCS Ⅰ-1)。会話による意思疎通は可能(※翻訳魔法使用)
・呼吸器:排痰ケアにより気道閉塞は解除。SpO2(酸素飽和度)改善。
・運動機能:C4レベルの頸髄損傷疑い。四肢麻痺あり(MMT 0)。
・感覚:表在感覚・深部感覚ともに残存
・その他:種族特性による骨密度・筋密度が著しく高い。あと陰部は意外と小さい。
■ A(Assessment:分析)
C4残存の四肢麻痺。感覚は残存しており、フレンケル分類はGrade B。
基礎体力が人間とは桁違いであるため、高負荷のリハビリにも耐えうる可能性が高い。
「俺はすごい」という自認があるため、プライドを刺激するような声掛けが有効と推測される。
■ P(Plan:治療計画)
・環境調整(カビ除去、マットレス交換)。
・水分補給と栄養管理。
・早期離床に向けたギャッチアップ訓練の開始。
■ 特記事項(Memo)
付き添いの騎士は、重機代わりの戦力として非常に有用。
……私の種族欄が「???」となっていた件については、一時的な故障だと考えたい。要経過観察。
まずはゼノスの機能向上を図り、魔王城へと連れて行く。そして私は絶対に、元の世界へと帰還する。
***
ゼノス編をここまでお読みいただきありがとうございます!
球海綿体反射まで調べられた挙句、陰部のサイズまでカルテに書かれたゼノス様……。
最強の魔王だったはずが、今や律にとっては「言うことを聞かない重い筋肉」でしかありません。
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衛士 統




