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この異世界にリハビリを。筋肉フェチの理学療法士、追放された寝たきり魔王を鍛え直して世界を救う  作者: 衛士 統


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第2話 四肢が麻痺した元魔王―②

(今ッ!)


 呼吸に合わせて胸郭に圧をかける。だが、返ってきたのは鈍い手応えだけだった。


「(……っ、だめか? 詰まっているのは肺の真横部分じゃない、もっと背中側……下葉かよう後底区こうていくあたりか)」


 騎士が剣をさらに押し込み、私の首に鋭い痛みが走る。「何をした!」とでも言っている怒号が耳元で響く。


「黙ってろ。 位置が数ミリずれてただけだ」


 私は冷汗を流しながら、青年の身体をさらに前傾させ、半腹臥位はんふくがいへと強引に捻じ曲げた。ターゲットは下葉。角度、深度、そしてタイミング。


 掌越しに、気流が壁にぶつかる振動を感じ取る。


「――見つけた。ここだ」


 次の呼気。私は胸郭の動きをガイドするように澄ました一点へと叩き込んだ。


「……ゴボッ、ガハッ……!!」


 湿った爆発音とともに、青年の口から少し黄色みがかった塊が吐き出された。それはシーツを汚し彼の青白い頬を濡らしたが、私にとってはどんな宝石よりも価値のある成果だった。


 直後。


 ヒュー、と細く鳴っていた喉の音が消え、代わりに「コォー……」という、深く、乾いた空気が肺に吸い込まれる音が響く。


「ハァ……ッ、カハッ、ハァ……!」


 青年が大きく目を見開き、貪るように酸素を求めて胸を上下させる。チアノーゼで紫色だった唇に、急速に赤みが戻っていく。


 気道閉塞の解除。

 SpO2(血中酸素飽和度)が改善した証拠だ。


「よし。肺雑音減少。換気量はまあまあね」


 近くにあった麻布で青年の口元を拭うと、吐き出されたブツをしげしげと観察した。


(……粘度が高いが、痰の色はそこまで悪くない。緑膿菌のような危険な感染は起きてなさそう。触った感じは熱も出てなさそうだし、これで大丈夫か)


 私が吐き出されたブツを冷静にアセスメントしていると、首筋に伝わる剣の震えが、凄まじい殺気とともに増大した。


「Gaaaaaaaa!!!!」


 怒声が耳を打つ。騎士の目は血走り、主人の顔を汚した私を今すぐ細切れにせんと、剣を握る手に血管を浮かべている。顔を騎士へと向けると同時に、紐で結っただけだった髪がほどける。


 言葉は分からないが、意図はなんとなく読める。

「貴様、主になんてことをした!」といったところか。


「(面倒だな。排痰を攻撃とでも勘違いしたのか?)」


 私の頸動脈を切り裂こうと剣がわずかに引かれる。死の刃が振り抜かれるまで、コンマ数秒。


 だがその一閃よりも速く、ベッドの上の「美しき彫刻」が動いた。 


「%$#……&+!!」


 掠れているが、凍えるような響きを持つ声。騎士の動きが、まるで石化魔法でも食らったかのようにピタリと止まる。


 青年は荒い息を吐きながら、震えながらも顔をこちらへと向けた。直後、彼の全身から禍々しい紫色の光が溢れ出す。


「(なんだこの光……まさか、攻撃するつもりか?)」


 避ける間もなかった。光は青年の口元へと凝縮され、凄まじい速度で私の眉間へと放たれた。だが衝撃はない。熱くも痛くもない。ただ、脳の奥が勝手に組み替えられるような奇妙な浮遊感。


 そして耳障りだった騎士の怒号が、突然「意味のある音声」へと変換された。


「――なぜ止めるのですかゼノス様! その女は、御身に狼藉ろうぜきを!」

「……黙れ、レオン。……この女は、俺を……助けたのだ」


 彼らが離す言葉が急に日本語になった。

 いや……違う。脳が勝手に翻訳してくれているのか。


 レオンと呼ばれている騎士の剣によって切れた首筋を自分の指でなぞる。幸い、傷口は表皮と真皮の間で止まっているため、止血は不要そうだ。


 青年――ゼノスと呼ばれた男は、血を吐くような咳を一度して、それから燃えるような赤い瞳で私を睨みつけた。


「……礼を言うぞ、ヒューマン(人間)。呼吸ができぬ苦しみは……数十年ぶりに味わった」

「どういたしまして。で、いきなり何をしたんですか?」


 私が淡々と問い返すと、ゼノスは虚を突かれたように目を瞬かせた。おそらく、もっと怯えるか、感動するかを期待していたのだろう。


「……翻訳魔法だ。意思の疎通ができねば褒美もやれぬからな」

「合理的で助かります。ちょうど問診がしたかったところです」


 私はベッドサイドに立ち直り、彼を見下ろした。


「自己紹介がまだでしたね。私は能登律。理学療法士です。……あなたがお偉い方か何者なのかわかりませんが、私の前にいる以上、ただの弱っている患者です」

「……なにを言う。すぐに起き上がって俺は……うっ! ゴホッゴホッ」


 ゼノスは私を睨みつけ、身体を起こそうと力を込めた――ように見えた。


 だが現実は残酷だ。彼の首筋がわずかに強張っただけで、肩から下はピクリとも反応しない。まるで首から下が別の生き物の死体であるかのように。


「無駄です。今のあなたは重力にすら勝てないでしょう」


 私は遠慮なく布団からはみ出していた彼の細い手首を掴み上げた。骨と皮ばかりに痩せ細った白磁のような腕。私が手を離すと、その腕は抵抗することなく、パタンと乾いた音を立ててシーツに落下した。


「貴様……ッ、きやす、く……!」


 ゼノスの顔が屈辱に歪む。けれど、その怒りを体現すべき拳は握り込まれることすらなく指先は微動だにしない。


「やはりそうか……弛緩性麻痺。筋緊張の低下。上肢、下肢ともにMMT|《筋力テスト》は5段階中0で、完全麻痺レベルですね」


 私はさらにシーツをめくり動かない脚を確認する。見事な骨格だが、筋肉は廃用性の萎縮を起こしており、自分の意思では1ミリも動かせない状態だ。


 先ほどの窒息騒ぎの時もそうだった。彼は苦しげに首を振ることはできても、喉を掻きむしるという防御反応すら取れていなかった。


「(損傷レベルはおそらく第4頸髄付近。横隔膜による自発呼吸と、首の回旋ができるのがギリギリ……といったところか)」


 文字通りの「手も足も出ない」状態。

 私の喉は、悔しさに唇を噛むゼノスの顔を覗き込むのと同時にゴクリと音を鳴らす。


「まずは呼吸機能を取り戻すことが先決です。本当は車椅子に座って肺をしっかりと広げたいところですが……。最低でも二時間ごとの体位変換は継続してください。でないと、次は肺炎で死ぬことになるでしょう」


死地は超えた。あの筋肉は惜しいが、私にとってはまずはこの世界を調べることが先だ。悪いが、構ってなんていられない。


「……では、私は先を急ぎますので」


出口へと踵を返そうとした私に、ゼノスの硬い声が突き刺さった。


「待て。……その身に纏わりついている魔力の欠片、もしや転移魔法か?」

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