第9話 金槌が振れないドワーフ―③
交渉は成立した。私はガンツを工房の作業台の上に仰向けに寝かせ、準備に取り掛かる。
「おい、本当に治るんだろうな? 何も治療道具を持っとらんが……」
「道具は使いません。使うのは私の手と――アリア、あなたの魔法を貸してほしい」
私が指名すると、アリアがおずおずと前に出た。
「私……ですか? でも、癒着って骨と膜がくっついてるんですよね? 回復魔法じゃ剥がせませんよ?」
「逆。アリアには治さないでほしい」
「え?」
私はアリアの目を見て、明確な指示を出した。
「あなたが使うのは『鎮痛』のみ。患者の痛覚を完全に遮断して。……これから私がやることは、正気じゃ耐えられない激痛を伴うから」
ガンツの顔色がサッと青ざめる。
だが、私は構わず彼の上腕を掴んだ。
これから行うのは「サイレント・マニピュレーション」という治療方法。麻酔をかけた状態で癒着して固まった肩関節を徒手的に動かし、強引に剥がす手技だ。
本来なら医師の仕事。
理学療法士の領域ではない。
脳裏に懐かしい記憶が蘇る。
クロード先進医療センター、整形外科診察室。
いつもきれいな黒髪をなびかせ、黒い白衣を着ていた変わり者。八十五歳は優に超えているはずなのに、その指先は驚くほど若々しく、まるで精密機械のように一点の震えもなかった。その変人こそがばあちゃんで恩師――鴉丸院長だ。
ばあちゃんの治療は、言葉は、まるで魔法の力でも宿っているかのように圧倒的だった。
『いいこと、律。医療はどれも優しい魔法というわけじゃない。時には壊すこともある』
彼女はそう言って拘縮した患者の肩を躊躇なく動かした。
メリメリッ、という嫌な音が室内に響き、私は思わず耳を塞ぎそうになった。けれど麻酔から覚めた患者は、涙を流して喜んだのだ。
「腕が上がる」と。
『私たちが壊すのは身体じゃない。「動けない」という絶望よ。……その覚悟がなければ、あなたはただの優しいマッサージ師で終わってしまうわ』
「(……ばあちゃん。異世界でも、ばあちゃんが教えてくれたことは通用するかな……)」
私は小さく息を吐き覚悟を決めた。
今の私に麻酔薬はない。
けれどこの世界には魔法がある。
「アリア、始めて」
「は、はいっ! ――聖なる守りよ、痛みを忘れさせたまえ。ペイン・ブロック!」
淡い光がガンツの肩を包み込む。
ガンツの表情から、わずかに緊張の色が消えた。麻酔は無事に効いている。
「よし。……ガンツ氏、少し音がしますが大人しくしていてください」
「お、音?」
私は彼の上腕骨頭を左手で固定し、右手で手首を掴んだ。
狙うは、癒着した関節包の下方部分。
一気にいく。
「せーのっ!」
私は体重を乗せて彼の腕を頭上へと押し上げた。
抵抗感がある。分厚いゴムのような強固な癒着。
構わず、さらに力を込める。
ベリベリベリッ!!
工房の中に生木を引き裂くような音が響き渡った。
「ヒィッ!?」
「な、なんじゃあぁ!?」
アリアが悲鳴を上げ、ガンツが目を見開く。
痛覚は遮断されている。しかし、自分の身体から鳴った破壊音に本能的な恐怖を感じたのだろう。
「動くな! まだ終わってない!」
私は手を緩めない。屈曲、外転、外旋。あらゆる方向へ腕を動かし、こびりついた癒着を徹底的に剥がしていく。
メリッ、バキッ、ブチブチッ……。
生理的な嫌悪感を催す音が続く。アリアは顔面蒼白で、それでも必死に杖を構え続けている。
「(……硬い。さすがドワーフ、人間とは組織の強度が違う。でも、剥がれる!)」
最後のひと押し。
内旋方向への強引な操作。
ゴリッ!
大きな音がして、突然、抵抗感が消失した。
私の手の中で、ガンツの腕がスッと軽くなる。
「……ふぅ。クリア」
私は汗を拭い、手を離した。ガンツの腕は今、彼の耳の横――可動域180度の位置まで、綺麗に上がっていた。
「は、ぁ……はぁ……」
ガンツは肩で息をしながら、呆然と天井を見上げている。アリアがへなへなと座り込んだ。
「お、終わりました……か?」
「うん。アリア、ナイスブロック。完璧だった」
私はアリアを労ってから、ガンツに声をかけた。
「ではガンツ氏。自分の腕、動かしてみてください」
ガンツはおそるおそる、右腕を持ち上げた。
先ほどまでは水平まで上げるのが限界だった腕が、スムーズに頭上まで伸びる。痛みはない。
「……あ、上がった……」
ガンツが震える声で呟く。彼は信じられないという顔で、何度も腕を回し、そして近くにあった金槌を掴んだ。
ブンッ!
風を切る音。かつての豪腕の片鱗が見えるスイングだ。
「おお……おおお! ふ、振れるぞぉぉッ! 十年……この日を……俺がどれだけ夢見たことか……!」
涙が手に持っているハンマーを濡らす。ガンツは震える手でハンマーの柄を強く、強く握り直した。呪いでも石化でもない、自分の血が指先まで通う確かな熱。それを噛みしめるように、彼はただ何度も、その腕を頭上へ掲げた。
「あんた……いや、先生! あんたは神か!?」
「いいえ。ただの理学療法士です」
私はばあちゃんの口癖を借りて、ニヤリと笑った。
「さて、契約履行の時間ですよ。……私の患者のために、最高の車椅子を作ってもらいましょうか」
「ああ。いくらでも作ってやる。先生のリハビリとやら、俺が全力で支えてやろうじゃないか」
契約完了。これでゼノスを離床させることが可能となる。そうすれば、魔王城へと向かうための第一歩が進めることができる。
私がそんなことを考えていると、ガンツは信じられないことを私に言い放った。
「なあ。先生の身内に、ノト・レイって女はいるか?」
「な、なんでその名前を……」
「――ノト。十年前に『奇妙な品』を俺に注文した女と同じ名前だ」
***
【本日のカルテ】
担当: 能登 律(PT)
患者: ガンツ・アイアンハンド
■ S(主訴)
「腕が上がる! 金槌が振れる!」
「先生、一生ついていきます!」
■ O(所見)
・右肩関節可動域:屈曲 180°、外転 160°まで改善。
・マニピュレーション時のクリック音(剥離音)著明。
・施術直後より、ハンマーのスイング動作が可能となる。
■ A
サイレント・マニピュレーション成功。
アリアの鎮痛魔法との併用により、ショック症状もなく安全に施行できた。
拘縮は除去されたが、組織の炎症は残存しているため、アフターケア(アイシングと運動療法)が重要。
■ P(計画)
・再癒着防止のため、明日から積極的な自動運動を開始。
・夜間は消炎鎮痛処置。
・車椅子製作の納期厳守(最優先)。
■ 特記事項
ばあちゃんの荒療治、異世界でも通用したよ。……ただし、アリアは「音がトラウマになりそう」と泣いていたので、後でケアが必要かもしれないけど。
それに死ぬと光になる世界。衛生面では羨ましいが、医学者としては悪夢だ。エビデンスをイチから作っていくしかない。
あと……何だって? ガンツが私の母親の名前を知っている? しかも奇妙な品を注文しただって??




