ある博士と探査機の邂逅ーー探査機はやぶさーーによせて
ハヤブサがクローズアップされる中、それが到着した「イトカワ」の
名前の由来を御存じでしょうか。
宇宙開発の父糸川博士の一生を知った瞬間に浮かび上がってきた
ストーリーです
死して後の事など誰も知りはしないのだから、
考えてもし方のないことだと思っていた。
しかし、やはり頭のどこかに三途の川や極楽の蓮の花、
そして地獄の血の池などの聞きかじった記憶の断片が
引っ掛かっていたのだろう。
1999年2月、私は死んだ。
ベッドに横たわりながら感じていた、
身体の感覚がゆっくりと薄らいで奈落の底に吸い込まれていくような感覚は、
毎夜眠りに落ちる寸前のそれとよく似ていて、
私は特別な感傷も恐怖も、そして悲しみも抱くことなく
ベッドの周りをぐるりと取り囲んだ人々に
お休みと心の中で呟いて目を閉じた。
そして再び目を開けた時視界いっぱいに広がっていたのは暗黒、
そしてその上に広がる銀砂のような光点だった。
それを見た瞬間、私は理屈ではなく感覚で自分が死んだことを理解した。
とすればここはどこなのだろう。
最初は地獄か、と思った。
記憶の断片に寄れば暗黒は地獄の特徴であるらしいし、
何より私の一生を振りかえれば蓮の花が咲き乱れる極楽とやらに
行けるとはどうしても思えなかった。
しかし、いくら目を凝らしても血の池地獄も針の山もなく、
あるのは唯暗黒とそしてそこに散らばる光点だけだった。
足や手を動かしてみようと思ったがそれは叶わない。というより、手足そのものがない。
暑さも寒さも感じない。そして、何も聞こえない。
どうやら私は五感の内「見る」そして「考える」機能だけを残した
意識のみの存在になってしまったようだ。
ふむ、これが死後の世界というものか。話に聞いていたのとは大違いだ。
やはり、人の想像力には限界がある。
自分の現状を把握し、落ち着いてくるにつれ
私は目の前に広がる光景にどこか見覚えがある事に気がついた。
何処までも広がる暗黒のスクリーンに転々と散らばる光点。
その密度は均等ではなく場所によってはまばらであったり
その逆に濃い密度で寄り集まったりしている。
ああ、宇宙だ。
半生、手を伸ばし続けた宇宙に今、私は漂っている。
※
どの位の時が流れただろう。私の意識は目覚めてからずっと明確であり続けている。
死者に睡眠は必要ないのだろう。
動く事は出来なかったが幸い目に写り続ける光景は
刻一刻と変化し続け、退屈することはなかった。
ああ、今視界を流星が横切っていった。それを見る度に私は生前の記憶を思い出す。
1935年大学を卒業した私は航空機会社に就職し、
何種類かの戦闘機を世に送り出した。九七式戦闘機、 鍾馗、そして隼。
戦争末期、私が設計した飛行機は多くの若い命と共に大空に砕け散っていった。
そう、まるで流星のように。
爆弾を積んだ飛行機を敵機に体当たりさせる
狂気じみた作戦を考え付いたのは軍部であるが
私は特攻隊の活躍をかきたてる新聞記事を読む度に、
自分達がもしこの戦闘機を作らなかったらと考えざるを得なかった。
そして、敗戦。
GHQによって航空機宇宙機全ての開発が禁じられ、私はヴァイオリンの研究に没頭した。
約半世紀をかけて一丁のヴァイオリンを作り、一曲だけ演奏した。
「さとうきび畑」
荘厳なレクイエムより、どこまでも優しいこの曲の旋律の方が
流星のように空に散っていった若い命を慰めるに相応しいような気がした。
そして、日本が目覚ましく復興していくのと同時に航空機開発が再び息を吹き返し
私はロケットの開発にのりだした。
まだ宇宙開発など夢物語でしかなく、渋る企業を口説き落としてまわった。
何故そこまでするのかと何度も問われたが、そんなこと私にも判らなかった。
ただ、頭の片隅にいつも私の開発した飛行機に乗って流星のように空に散っていった
若者たちの姿があった。
二年後、私は両手にすっぽりと収まるペンシルロケットを開発した。
また、流星が視界を横切って行く。
あれは、砕けた星の欠片だろうか。それとももしかして……。
1967年私は宇宙開発の第一線から退いた。
その理由をずっと年齢のせいにしていたのだが、もう本当の事を語ってもいいだろう。
当時は冷戦が激化し、米ソが軍事衛星の開発にしのぎを削っていた時代だった。
日本初の衛星、「おおすみ」を開発に関わっていた私の耳に誰かが囁いたのだ。
「これからは、宇宙戦争の時代ですね。わが国も乗り遅れてはいけません」
ああ、人間はどこまで愚かなのだろう。宇宙までも戦場にするつもりなのか。
私はもう二度と自分が開発したマシンに乗って、人々が大空に散っていく様をみたくない。
ここからはどれも同じように見える銀色の光点。
そのどれかが太陽であり、そのそばに地球があるのだろうか。
青く輝くあの星は、まだ青いままなのだろうか。
意識だけになった私は、何時までも考え続けた。
※
ーーこんにちはーー
いきなり話しかけられて私は驚いた。
聴覚は失われたものだとずっと思いこんでいたのに。
決して大きくない声がはっきりと聞こえる。
ーー君は?--
他者に問いかけるなど、どれほどぶりか。
目の前には青い鋼板を翼のように広げた小さな機械があった。
ーー私はハヤブサ、地球から来ました。貴方の、小惑星イトカワの破片を採取し
地球に持ち帰るのが役目ですーー
ーー惑星、私は惑星なのか?--
間抜けと言えばこれ以上ない間抜けな問いに、機械は小さく唸った。
まるで戸惑った後、微かに苦笑したように。
――はい、貴方は地球近傍小惑星のうちアポロ群に属する小惑星です。
私が打ち上げられた後、日本の宇宙開発の父
「糸川博士」の名前をとってイトカワと命名されました――
私はなぜ死後ここで目覚めたのかようやく理解できたような気がした。
糸川とは私の生前の名前なのだ。
――では、君は日本から来たのだね――
機械はもう一度唸った。誇らしげに。
ああ、と私はため息をついた。私の死後、どの位の時が流れたかは判らない。
しかし、日本は開発した宇宙技術を兵器に転用せず、
目の前の小さな探査機に注ぎ込んだのだ。
それが判っただけで私は満足だ。
――貴方の体の一部を頂いていきますね――
丁寧に断って、探査機は機体下部から小さなノズルを伸ばす。
ーーいいよ、いくらでも持っていくがいい。そして一つだけ教えておくれーー
ーーなんですかーー
――地球は、美しいかね――
――はい――
機械は三度頷いた。さっきよりももっと誇らしげに。
――今まで長い長い距離を旅してきましたが、地球より青く美しい星を見た事はありません
私はそこに帰還できることを誇りに思います――
それを聞いた瞬間、私の視界はぼやけた。
意識だけの存在になっても涙を流す事が出来るようだ。
――そうか、気をつけて帰るんだよ。君の名前は、えっとなんだったっけ――
――はやぶさ、はやぶさです。大空を駆ける鳥の名前から名づけられました――
隼、かつて同じ名前の戦闘機に乗り込んで、沢山の若者が空に散っていった。
二度と帰れぬフライトなのに、若者の顔は皆笑顔だった。
それは、涙を流し、死にたくないと喚かれるより、何倍も悲しい光景。
目の前の機械は帰るという。帰れる事が誇らしいと言う。
よかった。君は迎えられるのだね。お帰りと言ってもらえるのだね。
――気をつけて、帰りなさい――
万感の思いを込めた私の言葉に、はやぶさははい、と答えた。
――たった30億キロですから――
その言葉を最後にハヤブサは飛び立つ。
青い鋼板を翼のように広げ、ひとかけらの小惑星を大切に抱えて
地球へ帰る。
その姿が消えるまで、私は瞬きをしなかった。
ふうっと意識が薄らいでいく。
この感覚は久しぶりだ。確か死ぬ時以来。
また、私は何処かに行くのだろうか。
今度こそ極楽か、それとも地獄か。
どちらでもいい。知る事が出来たのだから。
私が基を築いた宇宙技術が、兵器などに利用されなかった証を。
なにか大きな事を成し遂げた満足感に包まれながら、私は目を閉じた。
おやすみなさい。
終わり
構想2時間。執筆1時間。相変わらず筆運びだけは速い。
浮かんだ瞬間にだせ、かけ、と頭の中を蹴飛ばされた
久しぶりの作品です。無論すべてがフィクションですが
隼という戦闘機があったこと、それが特高に使われたこと
そして、糸川博士がその開発に携わったことそれは事実です
ハヤブサが兵器でなくて本当によかった