俺は『無』を取得した!~異世界転移で、俺は楽しい異世界ライフを目指す。多分これが一番早いと思います~
「うわ……マジかよ」
目が覚めると、俺は見知らぬ草原にぽつんと立っていた。青空が広がる景色の端には、どこか懐かしさすら覚える既視感あふれた半透明なUI。ステータス画面だった。
『HP: 10/10』『MP: 5/5』の文字が、まるでゲーム画面のように表示されている。
「ん?何だこれ、RPGみたいじゃん」
足元で青いゼリー状の物体がぷるぷると跳ねた。スライム……だよな?まるでゲームから飛び出してきたような見た目だ。
状況を整理してみよう。異世界転生らしきシチュエーション。ゲームのようなUI。目の前には典型的なRPGの最弱モンスター。
「待てよ、これって……」
ふと、このUI、この景色、そして目の前のスライムの動きに既視感を覚えた。これは俺が転移前までTASやRTAで研究していた、剣と魔法のRPG、レトロなゲーム世界そのものじゃないか。
リアルタイムアタック――RTAを理論値を目指すための手法。
TAS――ツールアシステッドスピードラン。コンピューターの補助を使って最速クリアや超人的なプレイを実現するもの。
これらは俺の趣味だった。
数千時間もプレイして、ほかの走者たちのTAS動画を見る。そして、実際にフレーム単位でのプレイ解析や、バグ技の研究に明け暮れていた。
ここでレベル上げでもすべきなのかもしれない。しかし、『界隈』で培った知識を持つ人間として、やるべきことは一つしかない。
「よし、ACEだ」
ACE――Arbitrary Code Execution、任意コード実行。簡単に言えば、ゲームのプログラムに意図しない命令を実行させ、本来できないことを可能にする手法だ。
たとえば、メモリの特定箇所に異常な値を書き込むことで、オーバーフローさせるなど。もし、これが成功すれば世界の全てを自由に書き換えられる。
界隈ではこれを発生させる場合は、別のレギュレーションになるほどの強力な手法だ。
ステータスウインドウを開いた。初期装備の『ひのきのぼう』『ぬののふく』、それに『やくそう』が3つ。
「まずはメモリ操作から、か」
『やくそう』を地面に置く。次に『ぬののふく』。そして『やくそう』を拾い直す。今度は『ひのきのぼう』を置いて、『ぬののふく』を拾う。
「置いて、拾って、置いて、拾って……」
意味不明な行動。これは宿命だ。一見、意味不明な行動も、全ては任意コード実行には必要な行動だ。
俺が睨んだところでは、この世界では、アイテム処理に脆弱性があると思われた。したがって、特定の座標軸、特定の順番でアイテムを操作することで、メモリ領域に異常な値を書き込めるはず。
それを利用して、最終的には、この世界自体をコントロールできるはずだった。
これはよくある手法というもので、まるで儀式のように行動して、まったく関係ないはずのアイテムを生成したり、壁を素通りしたり、場合によっては直接エンディングにジャンプしたりする命令を生成する。
手順を繰り返すこと数分。アイテムの配置と回収を特定のパターンで繰り返すことで、メモリ上のアイテムIDを管理する領域にオーバーフローを発生させることに成功した。
ついに、アイテムウィンドウの末尾に『それ』が現れた。
名前なし、アイコンなし、説明文なし。
『無』だ。
俺は『無』を取得した!
「よし!」
『無』を選択した瞬間、この世界の真理が脳に流れ込んできた。物理法則も、時間の概念も、全てが書き換え可能な数値でしかない。
まるでこの世界そのものが、巨大なプログラムで構成されているかのようだった。
任意コード実行環境の構築完了。次にデバック領域を探す。
なるほど、俺が操作していたゲームのキャラクターはこんな感じだったのか。
そんなことを思いながら、俺は確認をしていく。
そして目的の領域に到着した。
「さて、何ができるかな」
まずは基本的なステータスから弄ってみよう。自分のHPを見ると、確かに『10/10』と表示されている。これを直接書き換える。
『HP: 999/999』
『MP: 999/999』
『レベル: 99』
『経験値: 999999』
一瞬でステータスが変わった。体が軽くなり、魔力が全身に満ちる感覚がある。
「おお、すごいな」
でも、ステータス弄りなんて序の口だ。実際のところ、タイムアタックの観点からは、ステータスは意味のない数値だ。
世界の根幹を司るフラグ――ゲーム内の状況を管理する変数――にアクセス。主人公の行動によって、ゲームの進行状況を表す数値を直接操作する。
魔王討伐フラグを偽から真に。世界平和フラグも同じく真に。分岐があるかもしれないため、ヒロイン好感度も全部最大値に設定した。さらに、隠しアイテムの取得フラグ、秘密ダンジョンの解放フラグ、伝説の武器の入手フラグなども全部ONにしておこう。
「これでエンディングまでスキップできるはず」
キーボードのエンターを押すような感覚で、変更を確定した。
瞬間、世界が停止した。
風が止まり、雲が動かなくなる。足元のスライムも空中で静止。そして次の瞬間、世界が猛烈な勢いで再計算を開始したことを感じた。書き換えられたデータに合わせて現実を作り直しているかのようだ。
ただ、世界が落ちることはなかった。どうやら、この世界は例外処理も完璧らしい。
空を覆っていた薄暗い雲が消え、澄んだ青空が広がる。遠くに見えていた険しい山からも邪悪なオーラが消えていく。まるで世界全体が浄化されたかのように。
◇
気がつくと、俺は別の場所にいた。
どこか中世の城の中のようだ。
もちろん、こんな場所、一度も見たことない。
「やったぁ!ついに……ついに終わったのね!」
弾んだ声が聞こえた。振り返ると、そこには四人の少女が立っていた。
聖剣を握る赤髪の聖騎士。彼女の鎧は美しく光っているが、あちこちに戦いの傷跡が見える。
大弓を背負った美しいエルフ。翠の髪が風になびき、疲れているがどこか安堵した表情を浮かべている。
魔法の杖を持った少女。知的な顔立ちで、ローブの裾が汚れている。
そして――
「お疲れさまでした、勇者様」
金髪碧眼の美しい少女が、丁寧にお辞儀をした。純白のドレスに身を包んだ彼女は、まさに絵に描いたような王女様だった。上品な仕草からは気品が感じられる。
「レイナ、エルフィ、マリア、それにセレスティア王女……」
名前が自然に口から出た。
いや、違う。これは俺の記憶じゃない。
おそらくだが、直接エンディングまで飛んだ副作用で、世界が整合性を保つために自動生成した記憶だろう。
関連するイベントが全て発生するような感じ。
俺の頭の中に、彼女たちとの長い冒険の記憶が流れ込んでくる。
最初の出会い、数々の戦い、仲間との絆、そして最終決戦。全て鮮明で、まるで本当に体験したかのようだ。
いや、本来は体験しないとこの場面にたどり着かないのだから、これは本物の記憶だと考えればいいのか?
「本当に長い旅だったわね」
赤髪の少女――レイナが、涙ぐみながら俺の肩を叩く。
「長かった……」
「うん、『あ』のおかげだよ」
エルフの少女――エルフィが安堵の表情を浮かべる。
「あなたがいなかったら、私たちはきっと……」
「これで平和が戻るのですね」
魔法使いの少女――マリアが、奥の瞳を潤ませている。
「長い戦いでした。でも、ついに……」
「勇者様のお力で、この国も……いえ、世界が救われました」
王女――セレスティアが、上品な仕草で頭を下げる。
「私たちだけでは、決して成し遂げられなかったことです」
俺は状況を理解していた。
世界が整合性を取るために、俺たちの間では冒険の記憶を自動生成している。
彼女たちにとって、俺は共に戦った仲間であり、英雄なのだ。
「ああ」
つい、いつもの癖で、会話時間を短縮させるための癖が出てしまった。
とはいえ、我ながら完璧な返答だった。四人は俺の言葉に深く頷き、平和になった世界を見渡して喜んでいた。
「さあ、王都に帰りましょう」
レイナが提案する。
「王様もお待ちでしょうし」
「そうですね。みんなに報告しなければ」
エルフィも賛成する。
「国民の皆さんも、きっと心配していることでしょう」
セレスティアが心配そうに呟く。
「でも、本当に終わったのかしら?」
マリアが不安そうに呟いた。
「魔王が倒れたとはいえ、残党がまだ……」
「大丈夫だよ」
俺は自信を持って答えた。フラグを完璧に設定した以上、もう敵対勢力は存在しないはずだ。
「全て、終わった」
かくして、俺の最初の異世界生活は、転生から五分でエンディングを迎えた。
ある意味、初めてのテストプレイだったから、まだ、最適化はできていない。
まだタイムを短縮できるな、と俺は他人事のように思った。
◇
「勇者様、お茶をどうぞ」
「ありがとう、セレスティア」
王都の一等地に与えられた屋敷で、俺は四人の少女たちと共同生活を送っていた。
王都での凱旋は壮大なものだった。街中の人々が歓呼で迎え、花びらが舞い踊る中を行進した。
王様からは莫大な報奨金と、この豪華な屋敷を賜った。
セレスティア王女は、国の復興を理由に屋敷に滞在している。表向きは政務だが、実際は俺への想いが理由らしい。
偽の記憶によると、彼女は冒険の途中で仲間に加わったということになっている。
「ねえ覚えてる?最初に会った時、あなたが私を魔物から助けてくれたこと」
「ああ」
「あの時から、私はあなたのことを……」
頬を赤らめるセレスティア。もちろん、自動生成された記憶では、確かに彼女を森で盗賊から救ったことになっている。
「あの時の勇敢さに、私は心を奪われました」
「ああ」
「はい。ですから、こうして一緒にいられることが……とても嬉しいです」
上品な王女様が恥ずかしそうに俯く姿は、確かに美しい。
「『あ』、このエルフの秘薬どうぞ」
エルフィが薬草を差し出してくる。
「あなたはいつも無茶ばかりしますから」
「ああ」
「森の奥で採れる特別な薬草なの。疲労回復に効くのよ」
「ありがとう」
彼女の記憶では、俺が危険な場所に一人で向かう癖があり、いつも心配していたらしい。
「あの…『あ』。夜眠れないなら、魔法の本を一緒に読みませんか?」
「ああ」
マリアが自室のドアから顔を覗かせる。
「あなたが昔、面白いって言ってくれた本があるんです」
「私も一緒に行きます!」
セレスティアが慌てて立ち上がる。
「勇者様にはいつもお世話になっていますから」
「えー、セレスティアも来るの?」
エルフィが不満そうな声を上げる。
「当然です!」
セレスティアが胸を張る。
「私も参加したいわ」
レイナも立ち上がる。
「四人で読書会なんて、素敵じゃない」
「まあ、そうですね」
マリアが苦笑いする。
「みんなでなら、きっと楽しいでしょう」
俺は彼女たちの膨大な『思い出話』を、相槌だけで乗り切っていた。
幸い、記憶の中の俺は『口数の少ない背中で語るタイプ』らしく、何とかなっていた。
タイムアタックで会話では会話は少ないほうがいい。確かにそのような性格のほうがいいな、と思った。
でも、時には危険な瞬間もあった。
「そういえば、あの時のドラゴン戦すごかったよね」
エルフィが目を輝かせる。
「『あ』が一人で囮になって、私たちに逃げろって言った時」
「ああ、しらな………そうなのか?」
つい、知らない、と本音が出そうになって、慌てて取り繕う。
「ああ、そうだった」
「もう、忘れるなんてひどいわ」
レイナが頬を膨らませる。
「あの時、私たちがどれだけ心配したか」
「ああ、すまない」
「でも、結果的にうまくいったからよかったけど」
セレスティアがフォローしてくれる。
「勇者様の作戦は、いつも的確でした」
こんな調子で、毎日がスリリングだった。うっかり矛盾することを言えば、世界の整合性が崩れるかもしれない。
そんな日々が続いたある日の午後。
「ちょっと散歩に行ってくる」
「いってらっしゃい!」
レイナが手を振る。
「夕飯までには戻ってきてね」
「気をつけて」
エルフィも心配そうに見送る。
「何かあったらすぐに戻ってきてくださいね」
セレスティアが念を押す。
「魔王は倒れましたが、まだ危険な魔物がいるかもしれません」
「ああ」
「『あ』なら心配ないわ」
マリアが安心させるように言った。
俺は頷きを返し、そのまま壁に向かって歩き出した。
「あの、勇者様?」
セレスティアが困惑した声を上げる。
「そちらは壁ですが……」
「『あ』?どこ行くの?」
エルフィも不思議そうに見ている。
「まさか、また一人で危険なところに?」
レイナが心配そうに立ち上がる。
俺は振り返らず、そのまま壁に一歩踏み入れた。『無』を使って物理判定を無効化する。当たり判定バグを利用してオブジェクトをすり抜ける。壁は意味をなくして、俺の身体は通り抜けていく。
そのまま、俺は本来行けない場所へ移動を始めた。
「「「「…………え?」」」」
四人の驚いた声を背中で聞きながら、俺は世界の裏側から、直接目的地へ進む。
この世界で設定された世界の果てに触れれば、目的地に飛ぶだろう。
俺の目標は隠しダンジョン『神々の試練場』。エンディング後のやり込み要素として用意された、最高難度のダンジョンだ。通常なら特定の条件をクリアしなければ入れない場所だが、すでに管理フラグはすべて立っている。
瞬間移動の浮遊感の後、石の床に着地する。目の前には古代神殿の入り口が広がっていた。荘厳な石柱と、神秘的な文字が刻まれた扉。
「さて、と」
アイテムウィンドウを開き、『無』を操作して伝説の武器を99個ずつ増殖させる。よくやるアイテム複製技の応用だ。
「アルテマソード」「イージスシールド」「ドラゴンアーマー」……
次々と最強装備が生成された。
このまま、ボス戦へ飛ぶことも考えたが、そこは特殊な管理で直接飛ぶことができないようだった。
ボスのいる直前の場所へと移動した。
いつものように場所から外れ落ちていく。気が付くと、そこは回廊だった。壁には古代文字が刻まれ、時々光る宝石が埋め込まれている。
「おっと」
前方に巨大な石の魔物が現れた。ボスのダークドラゴンだ。通常なら苦戦必至の強敵だが、今の俺には関係ない。むしろ、ボス戦はタイムという観点からはリセットすべきなのかもしれない。
ただ、このリアルタイムアタックはリセットできない。
「アルテマソード!」
剣を振ると、巨大な光の刃が走る。ダークドラゴンは一撃で粉砕された。
奥へ進むと、巨大な扉があった。扉には複雑な仕掛けが施されており、通常なら謎解きが必要だろう。
でも、扉の開閉フラグを直接ONにすれば……
「ガチャ」
扉が開いた。
その先には、美しい光に満ちた部屋があった。中央には神々しい光を放つ祭壇があり、その上には……
「これは……」
世界の創造神が遺したという、究極の秘宝『創世の欠片』。これを手に入れれば、世界そのものを作り変える力を得られるという伝説のアイテムだ。
ただ、これは所詮、ステータス上昇しかない希少なアイテムだ。入手しても特に意味はない。
「まあ、記念に持って帰るか」
アイテムを回収して、今度は別の隠しダンジョンに向かう。もう一度、世界の果てを踏んで……
『竜王の墓所』『魔神の封印場』『虚無の神殿』……
次々と最高難度のダンジョンを攻略していく。もちろん、バグ技満載で。
壁抜け、無限ジャンプ、アイテム複製、座標移動……技術を存分に活用する。
俺はこの異世界を自由に駆け巡った。
屋敷に帰ると、四人が心配そうに待っていた。
「お帰りなさい!」
「どこに行ってたの?」
「心配したのよ」
「あの……壁を通り抜けるなんて」
俺は適当に誤魔化した。
「ちょっと特別な訓練をね」
「特別な訓練?」
レイナが首を傾げる。
「まあ、そんなところだ」
初対面だった仲間たちとの自由な共同生活。それは、世界の魔法よりも魔法じみた自由なものだった。
俺にとって、これ以上に楽しい異世界ライフはないかもしれない、と思った。