俺だけマスク詐欺な件。だが、これはひょっとするとざまぁ系なのかもしれない。
「マスクの下、見せてよ」
その一言が、俺の静かな日常を壊した。
昼休み。
教室の一番後ろの席。
窓際、誰も寄りつかない俺の机の上に、柔らかい手がそっと置かれる。
その手の持ち主は、浅田澪音。
この学校のアイドル。明るくて、成績優秀で、美人で、男女どっちからもモテてて。
俺とは、住む世界がまるで違う人。
そんな彼女が、俺に向かって笑っている。
その距離、30センチ。いや、もしかしたら20センチ。
あるいは、ゼロ距離。
「……やだよ」
だが、俺は即答した。即座に、かつ、はっきりと。
「えー、なんで?気になるじゃん。ずっとつけてるじゃん、そのマスク」
「別に。そういうの、気にしないでくれると助かる」
「ふぅん……」
彼女は机に肘をついて、顔を乗せて、じっと俺を見つめてくる。
「ねえ椎斗くん、噂になってるの知ってる?」
「……噂?」
「『あのマスク、絶対顔がやばいから外せないんでしょ』って。
『あいつ目元はイケメンっぽいけど、マスク外したら魔人ブウなんじゃね?』とか、
『あいつが女子と喋らないの、口臭ヤバいから説〜』とか」
心臓がズキンとした。
あいつらの笑い声が、耳の奥でリフレインする。
そうだ、知ってる。俺はずっと、笑われてきた。
「言わせとけよ。好きに言えばいい。
実際に見てがっかりされるより、見せずに逃げてる方がマシだ」
本音だった。
自信がないとか、そういうレベルじゃない。
俺にとって“顔”は、呪いみたいなもんだ。
澪音は、くすっと笑った。
「……じゃあ、私が本当のこと広めてもいい?」
「は?」
「“浅田澪音が確認したところ、術勢椎斗のマスクの下は最強だった”って」
「……何言ってんの?」
「嘘だと思うなら、試してみてよ。ね?一瞬だけでいいから、外してみて」
にこにこしながら、無邪気に言ってのけるその表情が、逆に怖かった。
彼女の周囲にいる取り巻き――特にあの女子グループは、俺を面白半分にからかってた。
それを知ってるはずの彼女が、なんで、俺にこんなこと言ってくるんだ?
「……ドッキリとか、じゃないよな?」
「違うよ。私、嘘つくの嫌いだもん」
「じゃあ、お前が勝手にがっかりしても、知らねえからな」
手が震えるのを、拳を握ってごまかす。
誰にも見せたことがなかった。ずっと隠してきた。
でも今この瞬間、浅田澪音の視線の前で、俺はゆっくりとマスクを外した。
鼻筋、唇、顎のライン――
自分の中で「見せたくない」と思い続けてきた、呪いの部分。
そっと、彼女の表情を伺う。
ひくつく口元を見て、もうだめだと思った。
でも——
「……嘘でしょ、マジでイケメンじゃん……」
ぽつりと漏らしたその声は、かすれていた。
「マスク詐欺、じゃなくて……マスク逆詐欺だよ、これ……反則……。
こんな顔、見たことない。芸能人でもここまで整ってないってレベル……」
「……は?」
「なにこれ、だまされた、私、こんな顔に毎日『おはよう』されてたの?
顔面偏差値高すぎて呼吸忘れるかと思った……ていうかこの顔、規制されるべき」
「ちょっと待て、褒めすぎだろ」
「ほんとだもん!」
ぱんっと俺の机を叩いて、彼女は身を乗り出してきた。
目の奥が、本気だった。
「術勢椎斗、明日から顔出して歩いて。私が責任持って守るから。
てか、こんな顔ずっと隠してたとか……世の女子に謝って?」
「なんで謝んなきゃいけねぇんだよ」
「“存在が罪”ってやつだよ。あとね、私もう決めた」
「……何を?」
「私、お前の彼女になる。ていうか、今から。はい」
唐突すぎて、思考が停止した。
「……え、は?」
「え?じゃない。椎斗くんは、明日から私の彼氏。
好き。顔も声も、隠れて笑うところも、全部ずるいから、責任取って?はい」
冗談じゃない。本気だ。
誰かに見られてるかもしれない教室で、こんな爆弾みたいな告白して――
「……浅田」
「ん?」
「本当に、俺のこと好きなの?」
「うん。今日からじゃなくて、だいぶ前から。
声が優しくて、授業中も誰かがノート落としたら拾ってあげたりしてて、
そういうの、私、見てたんだよ?」
「……そういうの、誰も見てないと思ってた」
「見てるよ。ちゃんと見てた。
でも、顔見たらもっと惚れた。もう勝ち目ないくらい好きになった」
俺は何も言えなかった。
息を吐くのが精一杯で、視線を下に逸らした。
そのとき、教室の後ろからカシャッという小さな音がした。
スマホのシャッター音。
振り向くと、クスクス笑う女子たちの姿が見えた。
「あーあ、隠してたのにね〜」
「でもやっぱ顔だけじゃん。中身陰キャってマジ無理〜」
「浅田さんってほんと見る目ないっていうか……笑」
俺はすぐに立ち上がろうとした。
けど、澪音がその腕をぎゅっとつかんだ。
「いいよ、気にしなくて」
「でも……」
「私が言う」
そう言って彼女はくるりと振り返り、女子たちを真正面から睨みつけた。
「盗撮、アウトだからね。先生に言うよ。あと――」
彼女の声が、いつもの明るさとは違っていた。
静かで、低くて、でも確実に響く声。
「今の椎斗くんを見てもまだ“中身陰キャ”とか言えるって、逆にすごいよね。
顔も中身も見抜けないの、そっちじゃん」
「な、なにそれ……」
「私が選んだんだから。もう黙ってて。
そっちの好き嫌いとかどうでもいいの。
私の好きな人に勝手なこと言わないで」
女子たちは気まずそうに目をそらし、教室を出て行った。
俺はしばらく、何も言えなかった。
ただ、隣に立つ澪音の横顔が、ものすごく眩しく見えた。
「……あのさ」
「なに?」
「……マスク、もうしばらくつけとこうかなって思ってたけど」
「うん」
「ちょっとだけ、外しててもいいかもしれないって思った」
「そっか」
「でも、目立ちすぎたら困るから、お前が責任取れよ」
「もちろん」
笑う彼女の声が、俺の世界を塗り替えていく。
誰にも見つからなかった俺を、彼女だけが見つけてくれた。
それだけで、世界は変わる。
……いや、変えてくれた。
――――― ――――――
浅田澪音に告白されてから三日が経った。
毎朝「おはよう」って言いながら俺の隣に腰かける澪音と、
周囲の冷たい視線と、教室の微妙な空気。
それらすべてに、少しずつ慣れてきた。
澪音は毎日、当然のように俺の隣にいて、笑って、話してくれる。
俺がマスクをつけているときも、外しているときも関係なく。
彼女は俺をちゃんと「椎斗くん」として見てくれていた。
でも、周囲の目は違った。
「ねえ、あの二人マジで付き合ってんの?」
「浅田さんの趣味どうかしてるよね」
「術勢くんって、たぶん裏で性格めっちゃ悪いよ? ほら、陰キャあるある~」
放課後、教室の隅。机に突っ伏していた俺の耳に、そんな声が届いた。
例の女子三人組――北村、佐伯、川端。
澪音が俺に告白する前、ずっと俺のことを陰で笑っていたやつらだ。
いまはもう陰ですらなく、教室中に聞こえる音量で悪口を吐いている。
……けど、もう慣れた。
というか、慣れてしまった自分が情けない。
澪音は席を外していて、いない。
ちょっとしたことでこういう隙間ができると、すぐこれだ。
「……術勢くんて、調子乗ってない? マスク外して、浅田さんと付き合ってるとかさ」
「なんか、見せびらかしてるよね〜」
「浅田さんも見る目なかったって感じ〜。どうせすぐ別れるっしょ」
笑い声がした。爪で机をカリカリする音。わざとらしい舌打ち。
俺は黙って目を閉じた。
ここで何か言ったところで、また騒ぎになるだけだ。
耐えるしかない。静かに、嵐が過ぎ去るのを待つように。
「ねぇ」
その瞬間、背後から聞こえた声に、女子たちの笑いが止まった。
「今の、全部聞こえてたよ?」
浅田澪音の声だった。
「さっき、職員室行った帰り。ちょうど廊下にいたから、ずっと聞いてた。
……まさか、そんなくだらないこと言ってるとは思わなかったけど」
女子たちの表情が凍りつくのが、音もなく伝わってくる。
「え、えっと……浅田さん、これはその……冗談で……」
「冗談に聞こえなかったよ。全部、本気で言ってたでしょ」
静かな声だった。
けれど、その声には鋭い芯があった。
「あなたたちさ。前にもやってたよね。術勢くんのこと、勝手に撮ったりして。
人の外見で笑って、裏で悪口言って……なんでそんなことするの?」
「え、別に……そういうのって、よくあることでしょ?」
「よくあるからって、やっていいわけじゃないでしょ」
「……でもさぁ、顔がよかったからって、なんなの?
あんな陰キャのどこがよかったの? 顔だけで選んだの?」
それを聞いた澪音は、はっきりと言った。
「顔だけなら、私は好きになってない」
「じゃあなに? 性格? 中身? あんな地味で無口で?」
「そう。ちゃんと見てた。誰も見てないところで、困ってる人に声をかけたり、
先生に呼び出されても文句言わずに真面目に応じてたり。
口数は少ないけど、言葉は嘘がない。
私、ずっと見てた。だから好きになったの」
女子たちは、なにも言えなくなった。
その場にいた誰もが、浅田澪音の言葉に押されていた。
「私、あんたたちが『見る目ない』って笑ったその瞬間、
むしろ勝ったなって思ったよ。
本当に素敵な人を選べたって、自信持てたから」
しん……と、教室が静まり返る。
「椎斗くんは、顔も中身も、私が見てきた中で一番かっこいい人。
だから、バカにするの、やめてくれる?」
誰かが、机の端を鳴らした。
「かっけえ……」という男子の小さな声が、誰かの息を呑む音に吸い込まれていった。
女子たちは、口を開けかけて、結局なにも言わずに席を立っていった。
その背中を誰も見送らなかった。
俺はただ、黙ってその光景を見ていた。
……嬉しかった。
でもそれ以上に、怖かった。
誰かの本気の想いに、俺はまだちゃんと向き合えていない。
そんな気がして、胸の奥が痛んだ。
*
その日の放課後、ふたりきりの教室で、俺は澪音に聞いた。
「お前……なんであそこまで言ったんだ?」
澪音はちょっと不機嫌そうに口をとがらせた。
「なにそれ。私、好きな人が悪く言われて黙ってられるほど冷たい人間じゃないんだけど」
「……でも、ああやって騒いだら、お前まで悪く言われるだろ」
「それでもいいよ。だって――」
彼女は俺の手をそっと取って、指を絡めた。
「私が好きになった椎斗くんを、嘘にしたくないもん」
その一言が、まるで胸に刺さったナイフを優しく抜くようだった。
ずっと自分が“価値のない存在”だと思ってた。
だから、誰かに好かれるなんて、信じられなかった。
でも今――
この人が俺を信じてくれるなら、俺も信じていいのかもしれない。
「なぁ」
「なに?」
「俺も、お前が好き。めちゃくちゃ、好きになった」
言葉に出した瞬間、耳が真っ赤になるのが自分でも分かった。
でも、それでも隠さなかった。
「椎斗くん、かわい〜……!」
澪音は笑って、俺の頬にちょんとキスをした。
俺は固まった。
「……っ、お前、ばっ……」
「えへへ、バレちゃった」
「いや、バレるだろ!っていうか、誰か見てたら……!」
「見てないよ。ここは、私たちの世界だから」
その言葉が、本当に魔法みたいだった。
俺の世界はずっと灰色だった。
でもいま、確かに色がついている。澪音という色に。
*
翌週、俺は初めて、マスクなしで登校した。
もちろん、緊張で吐きそうだったけど――
「あ、術勢くん……マジで……本当にイケメンだったんだ……」
「やっべ、普通にモデルとかいけそうじゃん」
「ちょ、写真いい? いや、ダメか、ごめん」
今まで俺の存在なんか無視していた連中が、口を揃えて驚いていた。
あの三人組だけは、顔を伏せて、黙っていた。
その表情が、ざまぁ以外のなにものでもなかった。
浅田澪音は、隣で笑っていた。
「術勢椎斗は、顔も中身も最高なんだから。
あんたたちが見下したその人を、私は一生大切にするよ」
誰も、何も言い返せなかった。
そして俺は、思った。
ああ、これが――
「最高のざまぁ」ってやつか、と。
でも俺にとっては、それ以上に、最高の恋が始まった瞬間だった。
彼女と繋いだ手は、あったかくて、何より心強かった。
マスクで隠した顔じゃなく、ありのままの自分を、好きになってくれた。
それが、俺だけの「勝利」だった。
どうも底辺高校生なろう作家のAzusa.です。
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