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最近のトラックの自動ブレーキが優秀すぎる件

「おっ、お待ちのお客様、どうぞ。」


 緊張気味の男性店員の声に合わせて、くすんだ革靴に包まれた足を、セラミックタイルの床材に擦り付ける様にして歩みを進める。


「それと、46番も一つ。」


 タバコの商品棚の番号を店員に伝えつつ、雑多なレジ周りを見回す。ホットスナックや賞味期限間近の割引商品をまとめたカゴ。

 そしてレジ横に設置された大きなキャラクターパネルが目に入る。コラボキャンペーン中なのだろう。風邪をひきそうなくらいに薄着のヒロインに、剣と盾を構えた勇者、そして『異世界転生』というワードが使われたタイトル。この手の作品が最近は多いなと思いつつ、店員のぎこちない手によってレジ袋に詰め込まれる購入品を、ただぼんやりと眺めていた。


「えーと4点で合計が…。あっ、キャッシュレス決済ですね。えーと、これをこうで…。」


 ハンバーグ弁当とペットボトルの緑茶に、レモンチューハイとハッピーストライク。20社くらいに“お祈り”され、自暴自棄になって初めて吸ったタバコ。当時は咳き込んで大変だったが、今は唯一の癒やしである。それと同時に家計を逼迫させている原因でもあるが、また高くなったなと感じる。入社した頃は、もっと安かった気がする。


 コンビニを出て、少しだけ軽くなった足取りで静寂な暗闇の中を進み店舗敷地内の片隅へと向かうが、いつも出迎えてくれる灰皿は無く、そこには見慣れぬ看板だけが行く手を阻む様に立ち塞がっていた。


『受動喫煙防止の取り組みとして…』


 嗚呼、畜生め。


 禁煙ブームという名の下の「煙狩り」を見て生きづらい世の中になったと痛感しながら、すっかり夜の帳が下りきった道を進んでいく。時折、肩からずれ落ちそうになる、底の擦り切れかけた安物のビジネスリュックを背負い直しながら。


 今日は、帰ったら何をしよう。


 いや、考えても疲れが勝って結局何もしないまま床に伏せるだろう。そして朝日を睨みながら冴えない香りの服を着て豚箱に乗って稼ぎに行く。

 いや、明日は27日ぶりの休みか。そうなれば、見逃した深夜アニメでも見るか。タイトルは忘れたが意外と面白いアニメで、最近流行りの『異世界転生』モノで――。


 いや明日は本当に休みだったのか?


 一週間前に辞めた山本か倉西の穴埋めで出勤だった気がするが、自信が無い。ここ27日間の記憶がうっすらとしかない。スマホのスケジュールには休みになっているが、変更を忘れた可能性がある。

 待てよ。今は何時だ?何日目の出勤日か?もう“明日”なのか?嗚呼、面倒な事になったぞ。本当かどうか本社に連絡してそれから――。


 こんな生活が、いつまで続くのだ?


 サービス残業にパワハラにモラハラ。不正隠しのオンパレードでブラックどころか艶も輝きも消え失せた“マットブラック”な企業のヒラ社員になって10年目。


 趣味なんかやったのいつだろう。


 友達と呑んだのもいつだろう。


 毎日、心をすり減らして過ごす毎日。

 嗚呼、あの頃に戻りたい。何も考えず、娯楽や快楽だけを探し回ってたあの頃に。

 夜中にコンビニで会話してたアイツらは元気に生きているのだろうか。用もなく公園のベンチで何気ない会話をしていた彼女は、元気だろうか。3年前に結婚したとか聞いたが。


「…なんか、疲れた。」


 ポツリと呟くと胸の奥底から感情が溢れ出すが、涙は出ることはなく、ただ秋の冷たい夜風が口内炎を痛めつけるに留まった。


 あっ、そうだ。我ながら良い事を思いついてしまったぞ。


 異世界転生だよ。


 疲労という濃霧に包まれる脳に、一筋の光が差し込む。良いアイデアは、ふとした瞬間に生まれると聞いたことがあるが、この話は本当なのかもしれない。

 これだ。これしか無い。俺が初めてハマった作品は“トラックに轢かれて”異世界転生を果たし、美女と頼れる仲間に囲まれ、そして周囲の人間に信頼され、主人公はハツラツとした生活を送っていたじゃないか。

 俺も、そんな生活がしたい。3日前どころか1ヶ月も、いや10年も同じ様な変わり映えのない日々を、ただひたすらに消費する虚しい生活をこれからも続けて行くのは御免である。


 ならば、こんな人生は辞めて『ニューゲーム』からスタートだ。そうとなれば、善は急げだ。


 連勤によりクライマーズ・ハイに近い様な、異常な高揚感で覚醒している俺は、辺りを見渡す。シラフなのに「轢かれる為だけに」トラックを探し回るなんて非常に頭のおかしい行為なのだが、そのくらい当時の俺は追い詰められていたのだと思う。「大きい道に出れば轢いてくれるだろうか」とか、「意外と普通乗用車でもイケるだろうか」と馬鹿なことを考えながらウロウロと軽やかな足取りで生活道路を抜けると、片側一車線の公道に突き当たった。


 街灯もなく、車どころか人の気配すらない道路を歩道から眺めていると、右側から勇ましい音色を奏でるディーゼル機関と共に希望の光と思える白いヘッドライトの輝きが見えてきた。

 その時は、不思議と恐怖を感じなかった。あったのは、ただ楽になりたいという思い。亡くなった後に事故処理する警察官や罪悪感に悩まされる運転手等の事なんぞ考えていなかった。ニュースで自殺の報道を見るたびに「もっと人に迷惑かけずにさ…」と思っていたが、実際の心境を理解できたような気がする。

 今日の俺はツイてる、なんて本気で思っていた。

 ヘッドライトの光が大きくなってきたタイミングで、俺は歩道の縁石を蹴り出し道路へと飛び出した。眩い光が俺の視界を包み込み――、


「異世界転生を御所望ですか?」


――来たぞ来たぞ来たぞぉ!ついに会えたぞ!


「はい!そうです!異世界に転生したいです!女神様!お願いしまぁっす!女神様ァァ!」


 白い光の中から神話に出てくる様な純白の羽衣に身を包んだ金髪の女神が、穏やかな表情で現れると、俺はテンションそのままに新入社員の如くハキハキと返事をした。一応断っておくが、この時点でもまだシラフである。

 そんな返事に少し引きつった顔を浮かべた女神だったが、すぐに口元を手で覆いながら穏やかな笑みを浮かべていた。


「フフッ。涙が出るほど嬉しいのですか?」


 女神が俺に問いかけた際に、自分でも意図しないタイミングで涙が溢れていた事に気がつくと、感情までも溢れ出してきた。手にしていたハンバーグ弁当が詰まったビニール袋が手から滑り落ち、肩からビジネスリュックがズリ落ちるのも気にせず両手で顔を覆うと、勢いそのままに号泣した。

 ようやく、ようやく苦しみから解放されるのだ。嗚呼、これからは異世界で自由気ままな暮らしが待ってるぞ!


「残念ですが、そう上手く行かないのです。」


 女神のドスの効いた声色に驚いた俺は、思わず涙でクシャクシャになった顔を上げた。

 そこには先程のような笑顔は無く、呆れ果てた顔の女神様が、少し苛立ちながら俺を見つめていた。『ゴミを見るような目』とか『死んだ魚の様な目』とでも言うべきだろうか。俺、何か失礼なことしましたか?なんか、やっちゃいました?


「分かってない様ですね。では、まずはコチラを御覧下さい。」


 女神がプレゼンでも始めるような口調で指を鳴らすと、暗闇を切り裂くようにスポットライトの光が付いた。光が照らしているのは、俺が先程“轢かれようと”したバンタイプの中型トラックだ。


「こちらは、日本のトラックメーカー『ナトリ自動車工業』が製造する、最新式の中型トラック『オークDx4』でございます。」


 下顎から上へと突き出た猛獣の牙を模した様な攻撃的なヘッドライトデザイン。フロントフェイスの半分を覆う面積の黒い樹脂製バンパーは、強靭な下顎の様に見える。『オーク』と名乗るだけあって、近未来的ながらも無骨で威圧的な印象だ。


「そして当該車両を運転するのは、月末に残業が50時間を迎えそうな運送業『ミケネコシナノ』で勤続8年目のニシムラ様。ご年齢は46歳、バツイチの独身男性です。」


 女神のプレゼンに合わせて、スポットライトが運転手の顔を照らした。細眉に縁の立ったワークキャップとは対照的に、青ひげに覆われた口元はアクビで開き切り、疲れ切った瞼は完全に閉じている。あと女神様、バツイチは余計だと思う。


「空荷ですが現在の時速は40キロ。2トン車ですから、質量も申し分ありません。おまけに運転手は居眠り状態。今日は仕事が忙しかったのでしょうね。このまま行けば、貴方が望む結果になる事でしょう。」


 女神の解説に、俺は大きく頷いた。

 女神の仰る通り、このまま行けば俺は異世界転生を果たし、充実した2回目の人生を始められるわけだ。しかし、なぜ女神は“そう上手く行かない”と言うのだろうか。その答えは、トラックにあった。


「しかしながら、貴方が生命を落とす事は恐らくありません。何故ならば、このトラックには様々な安全装備や車体設計、そして業界最高峰の“セーフティブレーキシステム”が装備されているからです。」


 女神が語りながら指を差した先に、トラックのウインドウガラス下部に取り付けられたカメラユニットが目に入った。


 『セーフティブレーキシステム』は、いわゆる自動ブレーキや衝突被害軽減ブレーキと呼ばれるもので、障害物を常にカメラで認識しつつ、衝突が免れない際にはシステムが判断しブレーキを作動、衝突時の被害軽減を図る画期的なシステムだ。

 特にナトリ自動車の自動ブレーキは歩行者どころか、猫などの小動物の検知まで行い、更に強力な制動装置のおかげで、海外の評価試験でも欧州車を抑えてトップクラスの成績を誇っている。

 なぜここまでに詳しいのかというと、過去に広告案件の依頼をされていたからだ。


『人間は完璧ではないからこそ、過ちを犯すんですよ。この問題に対して、自動車という便利な道具を作るメーカーとして出来ることは、誰一人として交通事故の被害者、そして加害者を生ませない。交通事故の死亡者をゼロにする車を作ることだけなんです。』


 当時、メーカーから派遣された広報担当者の交通安全に対する非常に熱い思いをぶつけられ、『さあ試してみましょう!』と無理矢理トラックの助手席に乗せられ、ブレーキシステムの性能を身体でも味わっている。現在は改良が進んでいるが、当時でも凄まじい制動力だった為に、俺は非常に落胆している。

 このトラックでは、俺は絶対に異世界転生を果たすことが出来ない。見晴らしの良いキャビンに、急ハンドルにも追従できる低重心設計の車体。仮に止まりきれずに衝突したとしても、歩行者保護に対応した特徴的な樹脂バンパーと、トラックでは世界初採用かつ全車標準装備となる歩行者&野生動物用エアバッグで、致命傷には至らずに短期間で退院できる程度の怪我で済むのだろう。


「なんで…、なんでこんなにツイてないんだよ…。」


 全てを悟った俺は、涙を流しながら膝から崩れ落ちた。先程の嬉し泣きとは明らかに違う、悔し涙が溢れ出した。

 どうして、どうして俺はこんなにも運がないのだろう。


「それは知りませんが…。とにかく貴方は死にません!それに、この世に未練もない貴方を異世界転生させる気は毛頭ありませんッ!さあ、帰ったら風呂入ってご飯食べて歯を磨いて寝てくださいね。」


 呆れ顔の女神が、地べたにうずくまる俺の前にしゃがみ込み声をかける。


 嫌だ。


 そんなの、あんまりだろう。俺にだって変わる権利や死ぬ権利は少なからず有るはずだろう。


「俺だって、こんな人生を生きたくて生まれた訳じゃない!こんな人生に意味なんて無いし!だっ、だったらね!さっさと死んで人生に区切りをつけてトラックに轢かれた方が、よっぽど社会の為に――」


 そう叫んだ瞬間に右頬に衝撃と痛みが走った。渾身の力でビンタを打ち込まれたと気が付いたのは、女神に胸倉を掴まれ大声で怒鳴られてからだった。


「ガキみてぇに喚いてんじゃねぇぞアホンダラァァァ!」


 鼓膜を破るような咆哮に、俺は何をしてしまったのか理解ができなかった。

 今になって振り返れば、俺の発言は不幸にも事件や事故などに巻き込まれ、志半ばで死亡した者たちへの冒涜とも取れる言葉だったのかもしれない。

 そんな心無い言葉を吐き出した男の胸倉を更に締め上げる女神は、続けざまに言葉を吐き出す。


「“人生に区切り”だぁ?区切るどころか行動も起こしてこなかったテメェに、今更ケジメを付けれるわけねえだろタコナスがァ!」


 先ほどまでの美貌は消え去り、般若の様な面構えに変わりつつある顔とは裏腹に、彼女の頬には一筋の輝きが見えた。泣いてくれているのだ、こんな俺の為に。

 しばらくすると「これは失礼」と俯きながら、女神は腕を下した。胸倉を掴む力が不意に緩み、俺はその場に咳き込みながらうずくまった。


「確かに、貴方の仰る通りでしょうね。全ての生物の命に意味や責務なんて無い。ただ偶然の末に生まれ、環境に適応し生き延びようとするだけ。だから、人生に意味なんてない。」


 咳が落ち着いてきたところで、女神が立ち上がる。仰る通り、人生に意味なんて無いのだ。毎日、心をすり減らして過ごす毎日。生きたところで希望は潰され、悲しみにまみれながら暗い未来に溜息をついて味気ない日々を過ごす。


 そんな人生に意味なんて無いだろう?


「ならば、それで良いではありませんか。意味がないのだから止めるなんて、まるで機械のようで…、全く人間らしくないではありませんか。それと貴方の仰っていた区切りというのも、わざわざ死を選ばずとも出来ますよ。」


 溜息をつきながら、先程とは真逆の優しい目を向けた女神は諭すように語りかけてきた。彼女の一言で、頭の中を満たしていた霧が晴れたような気がした。


「どうにも、最近の人間というのは死へと逃げようとしますね。元来、死こそが恐怖の対象だったはずなのに。生という恐怖から逃げよう、恐怖を隠そうとして死に希望を見たがっている…。困ったものです。決して“死”というモノを、美しい希望の道だと思わないでください。」


「…そうですね。俺は、今の状況を見ないまま死ぬ事しか考えていなかった。死ねば救われるなんて思ってた。」


「死んで救われるのは、未練のある者だけです。それに、貴方が今すぐに行うべき事は、“他人を巻き込む”のではなく他人に相談する事。そして、自分を労り、自分の手で舵を取ることでしょう?」


 落ちていたビジネスバッグとコンビニのレジ袋を拾ってくれた女神に、感謝の言葉代わりに反省の意を述べた。そうだ、物事はもっと。もっと単純に考えるべきなのだと。どうにも、人は追い詰められると道が見えなくなる。


「もし貴方の人生に未練が生まれ、志半ばで死ぬ時が訪れたのならば、その時は力を貸しましょう。では、人類の技術を集結させた自動ブレーキの性能をとくと堪能してくださいね。」


 羽衣を翻した女神は、去り際に穏やかな顔で別れの言葉を述べた。


「ごきげんよう。」


 刹那、視界が暗転したかと思うと、闇を切り裂くように白い光に身体が包まれ、けたたましいスキール音が空気を切り裂く様に耳に入った。


「あっぶねえ!大丈夫かおめぇ!?」


 目前の視界を埋め尽くす光から人の影が現れ、こちらに近付いてきた。先程の女神が紹介してくれた『月末に残業が50時間を迎えそうな運送業で勤続8年目の46歳、バツイチの独身男性のニシムラ様』であったが、先程の居眠り顔とは違い、明らかに焦りの表情が垣間見える。


「あ、えやぁ、ごめんなさい。」


 雑巾を絞るように出した答えに、分かりやすく安堵の表情を浮かべたニシムラは、「何かあれば会社に連絡してくれ。怖い思いをさせて悪かった。」と言い残し、去っていった。

 恐らくだが、もう彼と会うことは無いのだろう。だからこそ、相手を加害者にすることなく平穏に別れられたことに、心底安心している自分が居た。

 それと不思議な事に、あのトラックと出会えて良かったと、心の片隅で思っている自分がいる事にも気が付いた。


「明日、相談してみようかな。」


 今夜は、不思議と身体が軽く感じた。


異世界転生を阻止したいコンセプトで、一時期多かったトラック事故の転生を最新技術で止めてみました(笑)

トラックのモデルは、中型トラックのロングセラーともいえる“アレ”です。さすがに歩行者エアバッグとかは付いてませんが。

とはいえ、交通事故は基本的にお互いのミスで生まれてしまうもの。長年の慢心や邪念と一瞬の油断で加害者にも被害者にもなりかねないもの。

立場関係なく、交通安全に努めたいと思いました。

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