だがしかし
ここには、触っていいものしかない。
というか、別に触れても食べても支障のないものばかりだ。
白い薄荷飴。
トスカは初めて食べたが、食べると口の中がシュワシュワするというか、一種の炭酸を口に含んだような状態になる。
それから、カラメル。茶色。
長くてカラフルなグミ。べっ甲。
洋菓子は、ほとんど並んでいない。
綿菓子にりんご餅やりんご飴、醤油とザラメの香ばしい香り。
あと、臼と杵で作る餅。
要は、日本の昔の駄菓子の祭典だ。
触ってはいけない物が、あるわけない。
意外に盛況で、凝りに凝って木造づくりの駄菓子店、のような建物まで出ているほど。
いずれにしろ、昔の日本で食べられていたお菓子ばかりだ。
子供たちが喜びながら駆けまわる一方で、餅つきを黙々しているアンドロイド。
「人間」の面々、年齢層は、祭りへ来ている人々の顔を見ると様々。
だが、アンドロイドに「年齢層」というのはない。
いつまで経っても、というかトスカが「触ったから」という理由が最も、大きいのだが。
「ダメなのよねえ」
「何が?」
ステラは綿菓子を頬張っている。
「駄菓子がってこと?」
「違うよ。餅をついているほう」
「ダメって何が」
「何もかも。自分のせいだけれど」
『接触厳禁』とあった。
立看板である。当時。
アンドロイド。
というか人型のヒューマノイド。
人間と対等なやりとりが可能であり、姿そのものも、人間の等身大に造られており。
ただ、SFの世界のように子供や大人まで、様々な姿があるというと。
そうでもないがーー、生活の上での助けになる目的で製造されたもの。その目的にしっかり、適っているかどうかは別としてーーは、まだ「展示物」という存在だった。
いま十八歳のトスカは、『接触厳禁』の看板を見つめていた当時。
背丈はその看板の高さと同じか、それより少し低いくらいだった。
「触ってはダメ」。
意味は理解出来た。
彼女は、周りに人が居ないか、確かめる。
よくあるのが、「ダメ」と言われると「余計にやりたくなる」。
トスカのもそれだった。
警備も手薄な、当時の博物館。
今の時代では、なかなか出来ないこと。
周りを見回して、誰も見ていない。
当時のトスカは思った。
本当は誰か、見ていたのかもしれない。
警備は手薄、誰も見ていない。となって、金糸で幾重にも編まれたロープで隔たったその距離を、背丈の低さでトスカは軽々抜けた。
ほんの数秒、触れた。
アンドロイドの、左脚部。
「膝あたりだった、と思う」
「で?」
とステラ。
一瞬だった。
ロープの行き来。
「ものすごい勢いで喋りだしたのよね。もう。何語か分かんなかった」
怖かった。
ただそれだけだ。
あとは、大騒ぎになったのを、トスカは平静を装って受け流す子供の役に、徹しただけだった。
「だからさ」
とトスカ。
「いまだに苦手なの」
「触っちゃダメだって書いてあったのに触ったから、でしょう。そういう経験、誰しもあると思うけれど」
ステラの綿菓子は、既に小さな割り箸だけになっていた。
餅つきイベントも良い頃合いと見えて、人間のほうが忙しく餅を、祭典に来ている人々へ配り始めている。
今時珍しい、似顔絵師なんかも来ている、今日の祭り。
「餅、配っているけれど」
とステラ。
トスカ。
「食べたくない。別のお菓子にしようよ」
出店で、本物の建物がせっかく、出ているのだから。
と、トスカは念を押す。
「そういう経験、誰しもあると思うけれど」
本当にそうだろうか?
当時には分からなかったことで、あとで聞いたことだが。
大騒ぎになったのは、トスカが『接触厳禁』というのを、破ったことによるものではなく。
べらべら喋り出したアンドロイドの、その話の内容だった、らしい。
先程見た似顔絵師も、餅を手に店へ来ていた。
店内の雰囲気や光源の具合、更に陳列しているお菓子の、色とりどり。
絵にするには、もってこいな感じに見えなくもない。
「詳細は知らないけれど、機密情報だったらしい。あの時、アンドロイドがベラベラーって、何言ってるか。分かんなくて怖かったけれど」
トスカはソーセージの袋詰めのような、ゼリーに眼がいった。
「そんな経験は、あんまりないでしょう」
とステラに言いながら。
「それってさあ、何てカタバンのアンドロイドだったの?」
「え」
「型番。だいぶ前の話なんだろうから、憶えてないかもしれないけれど」
「なんで、そんなの気になるの」
とトスカ。
ステラが猛然と手元のデバイスを触り出して、画面を拡げはじめたものだから。
そして、プライベートモードではなかった。
駄菓子をゆっくり選ぶような、雰囲気ではなくなってしまった。
駄菓子店なのに。
というか、店に来ている他の人にまで、ステラのデバイスから拡がった画面の端々まで見えてしまう。
ので、店を出た。プライベートにしていないせいだ。
「そんな経験、あんまりないっていうけれどさ」
とステラ。
でかでかと拡がった画面は、そのままだ。
中空に。
スマホよりも更に小型のデバイスで、固定の画面ではなく空気中の電子を媒介に、スクリーンを無限に生成出来るようになってからも、久しい。
「型番……」
とトスカ。
「あの時見たのは、00とか付いていたような」
「それから?」
とステラ。
「そんなに憶えているわけない……うーん」
トスカもデバイスに触れようとして、ステラが追加で出した画面へ眼を向けた。
「3、6?」
「これじゃない? SーNEー371。00から始まるんなら、462系からだね」
「ああ……そうかも」
型番で連番で、ズラーッと並ぶアンドロイド一覧。
確かに、トスカが「ベラベラ喋らせた」アンドロイドもあった。
同じ顔。
「大抵のやつは、左腕の肘下のところに番号表記がある。私の見たのも、同じやつ」
とステラ。
「え?」
「あんまりないって言うけれど、この型番でなら変なこと、あったっていうの。私も経験あるのよ。餅つきのやつは、違うと思いたいけれど」
とステラは苦笑。
通り過ぎるときに、餅をついていたアンドロイドと視線がかち合う。
はっきり、こちらを見ている。
ステラはようやく、プライベートモードにした。
トスカ。
「どういうこと?」
「言っていた『機密情報』の件。なんか、劇薬についてのことだったらしいよ。古いニュースだけれど、ここにある」
と示すステラ。
「劇薬……」
全く穏やかではない。
「劇薬の機密情報をその、なんだっけSーNEー371がベラベラ喋ったってこと?」
「そう。大騒ぎになったってのもそれじゃない。明らかに」
二人は祭りの中から大きく外れて、雑木林を過ぎた。空地。
テントがあって、そこにも何体かアンドロイドが停止した状態で、集まっている。
ステラ。
「私もさ、同じ型番のやつが向かって来た経験があって。びっくりしたことあるの」
「向かって来た?」
「そう。飛び掛かられそうになった。だから、『そんな経験はないでしょう』っていうけれど、意外とあるんじゃない?」
「いや、でも……」
そういえば。
と、トスカはふと思った。
見憶えのある顔。
いつの時だろう。
「じゃあさ」
とトスカ。
「さっきの似顔絵師。ステラは見たことある?」
気配。
「なんで?」
とステラ。
「さすがにそれはな……」
すぐ傍を横切った影が、テントのほうへ向かっていくのを、茫然として二人は眺めていた。
似顔絵師だった。
アンドロイドの集まっている方向へ行く。
じゃあ、見憶えがあるのは自分だけ。
と、トスカは思う。
いつ?
彼が振り返ったところで、トスカはハッとした。
あの人、居た。
科学館で。見た。
「お嬢さんがた」
と似顔絵師。
「ここは『接触厳禁』……、いえ、立入禁止ですよ」
あのアンドロイドの群れ、型番は?