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音とはなちるさとの物語 その5

撮影していた部屋に移動し、スタンドミラーの前に立つ。

こうして1人で鏡を覗き込む時、黒いモヤのようなモノを見る事がある。その時の感覚に、さきほどのY字の金属を思い出す。耳の奥に(くすぶ)る清浄な音。

すっと目を閉じてその音に集中した。

耳の奥に音が移動したような気がして目を開く。

猫のマイカを見た時のように、輪郭がうっすら見えるような気がした。

自分の目に一枚フィルターがかかっており、その向こうに、鏡を覗き込んでいる自分がいる。

半透明の黒いフィルターだ。

これはどうなっているのだろうと思っていると、フィルターが(いびつ)に動いているのがわかった。

そして、そのフィルターが自分に巻き付いている腕だと認識した瞬間、目の前に男の顔が不気味な笑みと共に現れた。

「!」

驚きに固まっていると、その男は突然私の背後に、にゅっと体を伸ばした。鏡越しに冬香さんが駆けてくるのが見え、男は腕を私の肩から外した。

「あ!」

冬香さんに何かしようとしている。本能的にそう悟ったが言葉が上手く出てこない。焦りから手を伸ばしたが、誰かの腕が冬香さんの前に現れた。

「駄目よ。冬香にこれ以上取り込ませられない」

若月さんが冷静な声でそう言い、冬香さんに振り上げられた腕を寸前で止めようとしている。

しかしそれと同時に、冬香さんも勢いが止まらなかったのか、私の近くまで来て怨霊を避けるように床に屈む。そのまま怨霊に手を翳すと、黒い煙が吸い込まれるように移動していった。

「ご、ごめんなさい。咄嗟の事で体が動いてしまいました。途中でやめられないかもしれません」

冬香さんがそう言うと、若月さんが私に警告する。

「体の中心に力を入れて踏ん張って!」

訳もわからず、肩をすくめて力を入れた。

冬香さんの(てのひら)に吸い込まれる怨霊。

私から離れたように見えた直後、ずるりと力が抜けるような感覚が全身を襲う。

「はっ、あぁ!」

内臓を引きずり出されたのかと思った。痛みと脱力が同時に訪れ、その場に崩れ落ちる。

「大丈夫かしら……音ちゃん、動ける?」

若月さんに問われたが、答えることすらできなかった。

「無理そうね」

痛みで体が硬って動けない私を、若月さんが抱え上げる。

撮影部屋のソファーに運ばれて、そっと寝かせてもらった。

「大丈夫?」

私の額の髪をよける若月さん。薄くしか開けられない視界に、ぐっと近づいたグレーの瞳。覗き込む若月さんの髪が、ふわりと揺れて私の頬にかかった。

息を呑んだのがきっかけになったのか、強張っていた体から力が抜ける。

しかし激痛は続いていた。

額にそっとタオルが押し当てられ、冷や汗をかいていると気がつく。アレがどうなったのか気になったが、若月さんが言った、冬香さんにこれ以上なんとかってほうも気になる。向こうの部屋から辛そうな声も聞こえているし。

「冬香さんは、大丈夫なんですか?」

状況はよく分からないが、想定外の事が起きたのだけは分かった。

「大丈夫よ。少し時間が必要なだけ」

若月さんはそう言って、隣の部屋を見た。

「それよりもあなたよ」

私に視線を戻した若月さんは、心配そうに顔を覗き込む。

痛いし力が入らない。鎖骨から下腹部にかけて、じんじんと痺れた様に痛む。

そして若月さんの綺麗な顔が近くて、心臓が早鐘を打って落ち着かない。

「遠野さま」

冬香さんの声がして、首も動かせない私は目線だけ声の方に向ける。

「大丈夫ですか?ごめんなさい。つい、うっかり祓ってしまいました」

泣きそうな顔の冬香さんに、私は冷や汗を掻きながら微笑んでみせた。

「祓ってくれたんですね。ありがとうございます。お代は請求してくださいね。すぐには無理ですけど、働いて返します」

そう言うと、若月さんと冬香さんは同時に首を横に振った。

「お代は不要よ。正式に依頼を受けた訳じゃないし、今のは事故みたいなものだから」

「私の不注意です。数時間は動かないと思っていたのです。私の酷い思い込みでした。痛い思いをさせてごめんなさい」

「いえ、大丈夫です。でも、状況をもう少し詳しく教えてもらえると、嬉しいんですけど……」

この痛みがいつまで続くのか、何か影響があるのか、とか。

「霊体が弱っているので、さっきのような怨霊に再度憑かれやすくなっています。自ら祓う力があると良いのですが、今すぐには難しいと思います。私が保護をかける事も出来ますが、それには深部に近づく必要がありまして……」

冬香さんは一度言葉を切ると口を開けて、口中の上を指差す。口蓋っていうんだっけ?

「舌でここに呪印を刻みます。つまり、かなり濃厚なキスのような事をする必要があります」

「…………?」

深刻な調子のまま、キスと聞こえたが気のせいだろうか。

「キスの経験がございますか?」

真面目な顔でそう聞いてくる冬香さん。聞き間違いかな。

「えっと、キス……?」

「ダメよ冬香。女の子の初めてを奪うなんて」

初めてではないが、割って入って否定する勇気もない。

「そう、ですよね。それなら呪いのほうでしょうか。時間と手間がかかりますが……」

「そうね。カシェット案件じゃないから、影響ないように刻印なしでやらなきゃ。24時間くらいで効果が切れる程度にしておく必要があるわね」

「かしこまりました。遠野さま、少しチクッとしますがよろしいですか」

「い、今よりも痛いですか」

恐れからそう聞くが、若月さんは首を振って否定した。

「すぐに動けるようになるわ。痛みはそれほどでもないわよ」

「そ、それならおねがいします。そろそろ家にも帰らなきゃいけないし」

そう答えると、相変わらず泣きそうな冬香さんの顔が近づいてきた。私の両手を、彼女の両手が包み込む。

「私、毎日会いに行きますね。後で連絡先、教えて下さいね」

冬香さんはそう言うと両手を離して、私の後頭部をそっと包んだ。その相貌がぐっと近寄ってきて、耳元に髪がかかる。

なんとか声を出さず、痛みと緊張に耐えていると、首元に冬香さんの唇が押し当てられる。チクッとした痛みを感じた直後、ふっと意識を手放した。











暖かいお湯の中をゆるゆると沈んでいく。

とん、と背が底についた感触があったが、目を開ける事ができない。

ここはどこだろうと思った瞬間、下腹部にズンと衝撃的な感覚が走る。

今まで体験した事がないような、気持ちいいような、モヤッとするような、なんとも表現しがたい感覚だ。なんだろうと思うと同時に、妙な焦燥感に包まれる。

怖い、そう思った瞬間、猛スピードで意識が駆け上がった。

「はっ!」

パチっと目が開く。グレーの瞳がこちらを覗き込んでいる。

「気がついたわね。大丈夫よ、ほんの3分程度しか経ってないわ」

顔が熱い気がして、自分の手を頬に持っていく。触ってみたが、想像ほどではなかった。

「動かせるようになったみたいね。痛みはどう?」

若月さんに問われて、痛みが消えていることに気がついた。

はっとして首に手をあて、上体を起こす。

「大丈夫です。全く痛くありません。元通りって感じです」

ほっと安堵の息を吐いた冬香さん。

「元通りじゃないのよ」

若月さんがそう言って私の首を指差した。

「今、あなたは呪われている状態なの。冬香の呪いは強いから、生半可な怨霊は寄ってこないわ。毒を持って毒を制するって感じだけど、100%とは言えないの」

「の、呪い?それって大丈夫なんですか」

冬香さんは私の両手を再び握る。すると、ふわりと温かい風が吹いた。

「今、保護をかけました。私のかけた呪いが、その体に影響を及ぼさないように。呪いも保護も明日には切れます。霊体の損傷がある程度癒えるまで、私が毎日この2過程を行います」

「毎日ってどれくらいの期間ですか?何か、私が自分で出来る事はないんですか?」

私は冬香さんの両手を、逆に握り返して聞いた。

「冬香さんだってお仕事があるのに、毎日私のために時間を割くなんて大変じゃないですか。それに、祓うために無理をしたんじゃないんですか?怨霊を付けてきたのは私だし、冬香さんは助けてくれただけでしょう?」

「遠野さま……」

泣きそうな冬香さんの顔。

「美しいわ!」

若月さんの声が聞こえたと思ったら、冬香さんと私はその両腕の中にいた。

「感動的!素晴らしいわ、あなた達」

私達の何かが若月さんの心を震わせたみたい。

冬香さんからか、若月さんからか、良い匂いがしてきて頬が熱くなる。それと同時に、幸せな気持ちで胸が満たされていく。

その後、若月さんの感動は、冬香さんが苦しさを訴えるまで続いた。

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