音とはなちるさとの物語 その14
「付き合ってたんなら見ただろ。小さな、赤ん坊くらいの手」
「み、見ました」
若月さんから聞いたのだろうか。
それとも……
「オレはさ、そこまで耳がよくないから、途切れがちだったんだけどな。あの生き霊、ずっと泣いてたんだよ。その男を呪いながら、子供を返せと繰り返してた。この男が知っていたかどうか分からないが、あの色は後悔からくる怨嗟だ」
そんな、と口に出した私は、それ以上の言葉を続ける事ができなかった。
安堂寺さんの話が実際に起きた事なら、來未は先輩の子供を……
「後悔の色に染まってたってことは、自らの意思で堕したんだろう。だけど、それをさせたのはこいつだ。そんな奴を忘れる事もできず、自分の行動を悔やみ、ある意味では壊れていったんだろうな」
「あの手は、本当の子供の手だった?」
呟くような私の疑問に、どうだろう、と言って安堂寺さんが答えてくれる。
「生まれてこなかった命が、父を察知して纏わりつくとは考えにくい。一般的には母の後悔の念が形を作ったモノだと考えるのが妥当だ」
しかし、と言って少しの間、言葉を切った安堂寺さん。
「今回は母親が能力者だから、子供の残留思念である可能性も否定できない。自分の命がなくなったことを理解できず、母に甘えるように纏わりついているモノを見た事がある。能力者の母がそれを拾い上げてこの男に送ったのだとすると、あり得なくはない」
いずれにせよ、と安堂寺さんは続ける。
「罪なき命を刈り取ったような、最悪の気分だよ」
そう言うと、安堂寺さんは長く大きな息を吐き出した。
思念を送っていたから、振り払うと霧散したのだろうか。何度も拾い上げて送り続けたその行動は、怖くもあり、悲しくもあった。
「ちょっと違和感がありますね」
ふと冬香さんの声がした。冬香さんは私の背後に立っており、トレーに2つのマグカップを載せている。
「鷲木さん、ココアです。ゆっくり飲んでくださいね」
冬香さんは鷲木さんにココアを渡すと、次に安堂寺さんの前に跪く。
「モカ ブラックよ」
「ん、ありがと」
ふっと微笑んだ安堂寺さんの顔は、驚くほど優しかった。無意識なのだろうが、きっと冬香さんにしか見せないんだろうな。
「違和感って何?」
飲み物を渡し終えるのを待って、若月さんが冬香さんに問う。
冬香さんは立ち上がりながら、大きく頷いた。
「カルト集団の教祖と、さっきの生き霊の様子、これがあまりにもかけ離れていて一致しません。遠野さまの親友だった人なら、普通の高校生として学校にも行っていたでしょうし。親友が怪しい布教活動をしていて、遠野さまが気がつかないのも変です。それに、自ら生き霊になって人に取り憑いていたら、降霊会も布教活動もできませんよね?」
「確かにそうね」
若月さんがそう言って顎を抱えて考え込む。ややして私に聞いてきた。
「音ちゃんの親友は、学校休みがちだった?」
「いいえ。毎日来ていました。最近は見ていませんが、私と色々あったから……」
問われた私は、これまでの來未との会話や、一緒に遊んだ事を思い出しながら答えた。宗教活動なんてしているような素振りを、一度も感じた事がない。
「半年くらい前から急激に成長している組織、なんですよね?」
冬香さんが若月さんにそう聞いている。若月さんはそれを受けて鷲木さんを見る。
「発足自体が半年前です」
鷲木さんは若月さんと冬香さん、それぞれに視線を向ける。
「そうですか。でも、それにしては、多いと思いませんか?」
冬香さんは若月さんと安堂寺さんを交互に見る。
「確かにな。昨日街中を見ただけでも、かなりの数が憑いてたぞ。あんだけいたらうるさいだろ」
安堂寺さんが若月さんに目を向ける。
「外はかなりね。菟からの電話なんて、店内で聞いていたほうが良かったと思えるくらいだったもの」
「並の能力者じゃ、半年であの量は無理だろ」
安堂寺さんがそう言うと、全員が黙り込んだ。ややして、冬香さんが口を開らく。
「並の能力者じゃなかったら、どうでしょうか?」
それには鷲木さんが否定の意見を述べる。
「オーナーや礼さんなら可能でしょうが……。そのレベルの人物があの街にいたのなら、分かるのではないでしょうか?よほど巧妙に隠さない限り、察知できるのでは?」
若月さんや安堂寺さんなら可能なんだ……
鷲木さんの意見に、私はみなさんと別の視点で驚いた。
ぶっ飛んでいるとは思ったが、口に出す勇気はない。
「確かにそうね。結界術に長けているか、隠すのに特化した能力をもっているとしたら、話は別だけどね」
鷲木さんの言葉に、若月さんは考えながら答えていた。
ふと、思いついたように冬香さんが口を開く。
「礼が見た感じだと、みんな同じ色だったのよね?」
「ああ、そうだな」
「憑けられていたのって傀だけ?」
「いや、傀と怨霊が半々だな」
ほんの僅かに首を傾げた冬香さんが、疑問を整理して言う。
「彷徨っている霊体を捕まえて、生きた人間に取り憑かせるなんて、簡単な作業じゃないわ。毎日やったとしても、半年であそこまでになるのは異常な事よ。傀を探すのもそれなりに手間だし、見つけてすぐ近くに適性がいて、その人に即座に憑けたとして、1日に何体可能だと思う?」
冬香さんに問われた安堂寺さんは、少し上を見ながら考え、ややして口を開いた。
「オレなら1日3体くらいじゃないか。それもラッキーが続く前提で。休みなく作業に勤しんだとして、半年ラッキーが続けば500体は可能だろうな。だけど高校生なら放課後と土日だろ?平日は1体だけだとして、フル稼働したら300弱ってとこだろ」
それを受けて若月さんが口を開く。
「礼が同じ色だと言うのなら、能力者は一人だわね。あの感じだと300はいそうだったわよ。数的にも違和感があるって事よね」
若月さんは難しい顔をしてそう言い、大きな溜息をついてから続けた。
「黒幕がいるわね。組織ぐるみだし、協力者がいるなら可能かもしれないわ」
そこまで言って、はっと顔を上げる若月さん。鷲木さんに向かって問いかける。
「ねえ、教祖の三倉が売りにしてる出自って何?」
「神宝十家門の一つだと言っているようです」
即座に答えた鷲木さんの言葉に、店内がピリついた。
「家紋見た?」
若月さんが冬香さんと安堂寺さんに問う。
2人は即座に首を横に振る。
「色は?」
「日下部に近い色なら数人見たが、本拠地だろ?」
安堂寺さんに言われて、若月さんが頷いた。
「歩いているだけでは家紋まで出さないでしょうし、もっと時間をかけないと難しいかもしれませんね」
冬香さんの言葉に、若月さんが大きく息を吐き出した。
「いずれにせよ、三倉なんて十家門にはいないから、妄言の類かもしれないわね。でも……黒幕がいるなら話は別よ。これは、ちょっと本腰を入れてやらなきゃ」
若月さんが深刻な表情でそう言った時だった。
小さなうめき声があがり、もぞもぞと先輩が体を起こす。
「ここは……」
あたりを見回し、冬香さんを見てしばし固まる。ややして私を見つけると、パッと表情を変えた。
「遠野!」
這うように私の足元に来る先輩を、驚くほど冷静に見下ろす。
「遠野、俺……部活の連中に脅されて……こんな、見えない世界のこと知らなかったし、お前が振り払ってくれてたのって、あの……真っ黒の……」
何かを思い出したのか、先輩は身震いしている。
「見えてたんだな。それで俺を守ってくれてたんだろ?」
「…………」
なんの返答を期待しているのか分からないが、先輩は黙ったままの私を見て、振り絞るようにして言葉を出した。
「えっと、その……悪かった。お前の事傷つけた。許してくれ」
項垂れて謝る先輩を見て、私はすうっと心が冷めていくのを感じていた。
その場凌ぎの言葉にしか聞こえない。
これが謝罪?
誠意が微塵も感じられない。
言い訳から始まる保身の言葉だ。
冬香さんや安堂寺さんを意識した言葉だと思った。学校で見た能力者達を、大きな権力だと肌で感じ取っているのではなかろうか。
その上で、私が知り合いだと分かって取り入ろうとしているようにしか見えなかった。さっき自分も妄想した事だったので、余計に嫌悪が増す。
言葉のチョイスは悪くないので、少し前の私なら信じて、喜んで謝罪を受け入れただろう。
「…………」
何も言わない私に、気まずそうに顔を背けた先輩。ややして、何かを思いついたのか、パッと顔を上げて私に言った。
「みんなにも宣言する。お前と付き合うって」
「はい?」
自分に何が起きたのか、この愚か者はきっと分かっていない。しかし、人知を超えた出来後にぶち当たっている事だけは、理解したのだろう。
己の身を守る本能に関してだけは、ある意味、賞賛に値する。
「どんな事をしても償う。それこそ一生かけて償うから、許してくれ。お前だけの側にいる。いや、いさせてくれ」
プライドはないのだろうか。生霊となって取り憑くほど、來未を傷つけた男。
私は先輩を見下ろしたまま、静かな声で告げる。
「一生かけて償うのは私ではなく、あなたが遊び心で貞操を奪った來未なのでは?子を失った母の痛みを、押し測るべきです」
「え……」
先輩はそう言うと、頬を引き攣らせて絶句した。
私も來未も、こんな矮小な男に夢中だったなんて、笑ってしまう。
ひと笑いしてやろうか。
そう思ったのに……。
冷静に言葉を選んで言ったはずなのに、ふつふつと怒りが湧き上がってきた。その怒りが先輩に対してなのか、自分に対してなのかは分からない。
私も彼女を傷つけた1人だ。この男に、これ以上の事を言って良い権利などない。
ぐっと拳を握って耐える。怒りのあまり握った拳がブルブルと震えているが、ただ収まるのを待つしか方法がない。
そんな私の手をそっと包む温かいモノ。振り返ると、若月さんが優しい笑顔でこちらを見て、私の手を包んでいる。その笑顔に、ふっと力が抜け、それと同時に泣きそうになった。
「後はあたし達に任せなさい」
そう言って、若月さんは私の頭を抱えて、自分の胸元に引き寄せる。
「出来る限りのことはするわ。あなたの友人も、助けてみせる」
涙が勝手に溢れてきた。泣いていい立場じゃないのに。そう思っていると、後頭部を撫でる優しい手の感触。
「音ちゃんが自分を許せなくても、あたしが許してあげるから、泣いていいのよ」
人を傷つけた事で、自分が傷ついた。
そんな身勝手な理由だから泣くまいとしたのに。泣いていいと言われたら涙が決壊するように溢れてくる。
「大人になるって辛い事もあるけど、それを乗り越えたその先には、まだ知らない幸せだって待ってるから。大丈夫よ、あなたは素敵な大人になるわ。そのためには今、泣く事も必要なのよ」
そんな事を言われてしまうと、涙を止めようがない。
私は、初めてここへきた時の数倍は泣いた。
先輩の存在も忘れて、疲れるまで泣いた。
その間、若月さんを独占できた事は、この後ずっと私の自慢になるのだが、それはまだ遠い先の話である。




