音とはなちるさとの物語 その13
若月さんがそう言い、冬香さんがそれに続く。
「お勧めは両方ですが、身に付くかどうかは訓練を始めてみないと分かりません。光を隠せない人もいますし、隠せるだけで撃退できない人もいます」
「撃退できないと、死ぬって事ですか?」
私がそう聞くと、う〜ん、と若月さんが唸る。
「魂の損傷と違って、すぐ死に至る事はないの。でも、人格破綻する可能性があるわ」
死なないけど、人格破綻?
しばし考えて、私は思い切って口を開いた。
「訓練って具体的には何をするんですか?時間やお金はかかりますか?」
驚いたような表情の若月さんは、ややしてから感動の声をあげる。
「音ちゃん、なんてしっかりした子なの!」
横から乗り出した若月さんは、私に腕を伸ばして頭を抱きしめた。
一気に顔が熱くなる。
「転校が可能なら、藤沢の瓊樹という高校に行くといいですよ」
冬香さんの声が聞こえるが、若月さんの腕によって視界が遮られたままだ。
んん?高校?転校って事?
「国家資格をとれるコースもありますし、寮生活ができます。もちろん、訓練も同時にできますし、似た境遇の人にも出会えますよ」
冬香さんがそこまで言ってようやく、若月さんの腕が離れた。
「藤沢ってどこですか?」
「神奈川県よ。ここでようやく提案できるわね」
若月さんが私にウィンクする。
「音ちゃんが将来的に、ここを手伝ってくれる前提なら、訓練に関する費用は頂かないわ。訓練方法は2つ。学校のない日にここへ通って訓練を受けるか、藤沢に転校して寮で訓練を受けるかね」
「ここの、お手伝いができるんですか?」
「適正によってはね。才能の開花具合にもよるけど、まったく才能が開花しなくても、お仕事はあるわよ。それこそ山のように。店もここだけじゃないしね」
転校もいいかもしれない。逃げるみたいで少し抵抗あるし、時期的にも中途半端だけど。
「ま、と言ってもまだ学生だし、やりたい事が将来出てくるかもしれない。もし、うちと関係ない世界へ行くとしても、それはそれで構わないわ。リクルートとか先行投資ってそういうもんでしょ。転校に関しては、生徒が増えるだけでもこちらにはメリットがあるし」
あ、ちなみに、と若月さんは続ける。
「今回、音ちゃんがうちにきてくれたおかげで、仕事が一つ成立したのよね。なかなかの収入になりそうだから、あなたが転校するなら学費と寮費は免除するわ」
「ええ!」
「あたしが理事長ね。校長は姉だから話を通しておくわ」
転校する話が纏まりそうで、私は慌てて質問した。
「その学校は、特殊な学校なんですか?」
これには冬香さんがが答える。
「普通の高校ですよ。私は美容師の資格がとれるコースを選びましたけど、同期には弁理士や行政書士、あとは電気工事士の資格取得を目指している子もいました」
「え、それって学校で教えてもらえるんですか?」
「ええ。美容師のような実務経験が必要な国家資格は、専門コースのクラスになりますが、特に設けられていない国家資格は、選択教科で選べます」
「高等専門学校とは違うんですか?」
「専門性は高いけど、高専ではないわ。あくまで普通高よ。特殊なコースを選ぶ人もいれば、普通科の理系と文系で大学受験をする子達もいるし」
学校そのものに興味が湧いてきた。遠方だけど、かなり面白そう。
「行きたい、です」
そう言うと、若月さんは微笑む。
「嬉しいわ、歓迎するわよ。と言いたいけど……」
続きは冬香さんが引き取る。
「今日、帰ってからじっくり調べてください。私立瓊樹学院高等学校の事を。ご自分で調べて、その上でご両親と相談してください。推薦状と学費の免除書類ついては用意しますので、忘れずに持って帰ってくださいね」
「これで将来が決まるわけじゃない。だけど、大きな分岐だと思うの。地元や親から離れて生活するんだから、納得するまで考えて。その上でもし、うちに来てくれるなら、きちんとスーツでご両親に挨拶に行くわ。あたしが不安なら、姉に連絡して来てもらう。校長だし、説得力あるでしょ」
一学生の転校に、校長や理事長が家に挨拶に来る。
慌てふためく両親が目に浮かぶようだ。なるべく自分で説得してみようと心に誓った。
「あ……」
冬香さんが何かに気がついたように顔を上げた。紅茶のカップを置くと、立ち上がって移動する。壁に向かうと斜めに手を翳した。
「戻ってくるわね」
若月さんはそう言って立ち上がり、私を庇うように腕を出した。
ぱりん、とガラスが割れるような音。壁に目をやると、剥がれ落ちるガラスのような物が見える。
じわりと浮かび上がる、苦悶の表情を浮かべる女の歪んだ顔の絵。少し前に見た時より、必死な表情をしているような気がした。絵を見ていると、女は叫ぶような表情のまま、塵のようになって消え、その下から部屋いっぱいに広がる薔薇の花が現れた。
「解呪、成功ですね」
そう言って冬香さんは壁から一歩引く。
すると、壁から吐き出されるように何かが出てきた。床を滑って、横の壁にぶつかり止まる。
「おかえり、菟」
鷲木さんだった。
若月さんはおかえりと言うが、私の前に出された腕はそのままだった。
まだ終わってないんだ。
壁をじっと見ていると、今度は脇に何かを抱えた安堂寺さんが、ふわりと降り立つように出てくる。
「怨霊に包まれた生き霊だったぞ」
安堂寺さんは若月さんにそう言って、抱えていた物を鷲木さんの方に投げる。
軽い人形みたいに投げたので、何のモノだろうと思って見ると、それが先輩だった。
「え、生き霊だったの?怨霊に包まれたって何よ」
「知らねえよ。食われたんじゃねえの」
「ああ、なるほど」
「気づいてなかったのか」
「で、その生き霊は?」
安堂寺さんは鷲木さんのほうを指差した。
先輩は鷲木さんが受け止めていたが、気を失っている。よく見ると、その上に覆うような何かが見えた。
私はそれをよく見ようと立ち上がり、若月さんの腕に手を乗せて目を凝らす。
じっと見つめることしばし、蠢くそれが視認できた。
「く、來未!」
乗り出しそうな私を、若月さんの腕が押しとどめる。
「知り合い?」
ごくり、と息を飲み込んで、私は一呼吸置いた。若月さんの腕が緩んだので、少し前に出て顔を近づける。本当に來未なのか、もう一度目を凝らし、そして絶望した。
「親友の、來未です」
そう言った瞬間、蠢くだけだったそれが跳ね上がり、こちらに向かってきた。
とっさに若月さんが私を抱え込み、庇うように背を向ける。
「!」
私は思わず目を閉じ、若月さんの胸元にしがみ付いた。
「おい、勝手に動くな。もっぺん封印してやろうか?」
安堂寺さんの冷静な声が聞こえ、私は恐る恐る目を開けた。若月さんの腕からそっと顔を出して様子を伺う。
安堂寺さんは生き霊と呼ばれた來未の髪を掴み、こちらに来るのを止めていた。
ギャーギャーと叫ぶそれは、私の知っている來未ではない。
私に対する怒りでこうなったのだろうか。
「來未、ごめん。傷つけるつもりはなかったなんて、言い訳だよね。先輩に好きって言われて、のぼせ上がってたの。來未が先輩を好きって知ってたのに、応援するって言ったのに」
涙が溢れてきて、若月さんの腕にかかる。その腕から抜け出そうとしたが、若月さんが力を入れて阻止してきた。私はますます若月さんの腕の中に埋もれたが、そのまま言葉を発する。
「ごめんなさい、ごめんなさい!私は卑怯だった。もう先輩の事好きじゃないわ。あなたが好きなら、今度こそ本当に応援する。今更だけど、本当にごめん。許してなんて言わない。でも、先輩なんかのために、來未が傷つかないで」
「若月、一瞬結界解け!」
安堂寺さんの叫び声が聞こえると、私を抱きしめるようにして腕に閉じ込めた若月さんから、頷くような振動。今や私の視界は若月さんの胸元しか見えていない。
「よし、お前は帰れ」
安堂寺さんの声が聞こえた直後、來未のモノとは思えぬ断末魔の咆哮。
何が起きたのか分からなかったが、若月さんがふっと腕の力を弱めた。目を開けると同時に、金の世界が広がり始めていたが、それは一瞬で消えた。
今のはなんだったのか。
「こんな事もあるんだな」
安堂寺さんは大きく息を吐き出すと、壁に背を預けて座り込んだ。
若月さんは私をようやく解放し、冬香さんは二人にお茶をと言って台所へ向かった。
私は、ピクリとも動かない先輩を見ながら、静かに口を開く。
「あの、安堂寺さん」
「ん?」
床に座り、片膝を立てて頬杖をつく安堂寺さんは、私が呼びかけると顔を向けてくれた。整った鼻筋にくるっとした髪が落ちる。普段なら、その美しさに溜息をついていたかもしれない。だけど今は……
「來未は……」
そこまで言って、どう続けていいのか分からなかった。そもそも生霊の定義が分からない。
「無事、ですか」
ようやく、それだけ絞り出すようにして聞いた。
「今頃激痛に転げ回っているだろうが、生きてる」
安堂寺さんはしっかりと私の目を見て、そう答える。
その答えに、ほっと息を吐き出した。
「くみ……來未?苗字は三倉、でしょうか」
ふと、鷲木さんがそう聞いてきた。
「あ、はい。そうです」
「教祖の名前です」
「え……?」
「カルト教団の教祖の名前が、三倉 來未でした」
鷲木さんの言葉は、私にとっては受け入れ難い事だった。
「よくある奇跡宗教で、教祖の三倉は出自を売りに、降霊術などのパフォーマンスを行なっているようです。降霊術で彷徨っている霊を、加護と称して信者に憑けていたようですね」
ふと、先週連れて行かれた施設を思い出した。降霊会を盛んに進める同級生。もしかしたら、同じ団体なの?……ひょっとして、私もそこで憑けられたのかな。降霊会には参加していないし、そこから体調に異変はないので、確証はないけれど。
「ああ、それでか」
安堂寺さんは頬杖をやめると、気絶したままの先輩に目を向け、少しだけ目を細める。
「なるほど。街の連中と同じ色だな……。なあ、あんた」
安堂寺さんは私に目を向ける。慌てて返事をした。
「は、はい!
「よかったな。手遅れになる前で」
「は……はい」
何のことか分からないので、首を傾げながら返事をした。




