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音とはなちるさとの物語 その12

「仮説としてですが……」

冬香さんがそう言い置いて続ける。

「前回来られた時、マイカを見た瞬間を覚えていますか?」

「はい」

耳に(くすぶ)る残響が、まだ感じられるほど鮮明に覚えている。

「私の近くにいて、同調したのだろうと礼は言っていました。魂の色が似ているから、同調しやすかったのかもしれないと」

「そんなことあるの?」

そう問い返したのは、なんと若月さんだった。

「礼が大学時代の頃にあったそうですよ。腕を組んで歩いていた女性が、同じタイミングで怨霊を見たせいで気を失ったと聞いています。その女性は素質もあったのだと思いますが、同調しやすそうだなと思っていたようです。ナビゲーターの役割を無意識に果たしていたかもしれない、とも言っていました。いずれにしろ、仮説の域を出ませんが」

ふうんと小さく言った若月さんは、ややしてポツリと零す。

「腕を組むくらいで同調するのなら、あり得るのかもしれないわね」

「そう言われてみれば……礼がそう言っているだけで、腕だけだったのかは分かりません。相当密着していたのかもしれません。街中だったのかも怪しいものですね。あの辺りは怪しいお店も多いですし」

あの辺りが、どの辺りを指すのかは分からないが、冬香さんの雰囲気が……

「ま、まあ、冬香と知り合う前の話でしょうし!」

慌てた様子の若月さん。

分かる……私なんて何も言えないでいたもの。空気が震えた気がしたけど、きっと気のせいよね。

「お、音ちゃん、他に質問は?」

若月さんが助けを求めるように私を見た。

「あ、あの。魂って……」

そうだ。傷ひとつないって言葉が引っかかっていた。

「傷つくと、どうなるんですか?」

そう質問すると、若月さんと冬香さんが目を見合わせる。

「傷の深さにもによるけど、近い内に死ぬと言われているわ」

「え……」

若月さんの回答に絶句する。

「これは業界の通説だったの。それを礼や冬香が証明した事になるわね」

「いえ、証明したと言うには、見てきた数が少なすぎます。今のところ、その通りだったというだけで……」

「でも、有力な話よね」

若月さんに頷いた冬香さんは、私を見て言葉を続ける。

「遠野さまは取り憑かれている状態でした。その上で怨霊と融合していた。怨霊は霊体に取り憑くものですが、霊体と魂は結びついているので、力で剥がした時に引っ張られて、魂が傷つく可能性もあるのではないかと心配だったのです」

話が異次元すぎてよく分からない。頭を抱えて、う〜んと唸りたいのを我慢しつつ、膝上に拳を握りながら考える。

「ただこれも、私と礼の仮説の一つです。過去にそのような事例があったと文献に残っている訳ではありません。しかし無理に引き剥がした場合、霊体は必ず損傷するので、魂が損傷しないとは言いきれないと思います」

ふと、桜の木の下にいた先輩を思い出した。

「あの時……先輩も取り憑かれていた?」

「彼は……」

冬香さんがそう言って、背後の壁を一瞬見た。

「取り憑かれてもいましたが、同時に呪われていました」

「呪われていた?それってどう違うんですか?」

「怨霊が取り憑くのは霊体です。呪いはその人、そのものに降りかかる災厄。魂の穢れを誘発する恐れのある、恐ろしい力です」

傷付いたら死ぬ魂。それは穢れるとどうなるのか。

「呪いだけの場合と、怨霊付きで呪われている場合じゃ、ちょっと状況が違うのよね」

若月さんがそう言うと、冬香さんが頷く。

「怨霊を取り除くことは、長時間取り憑かれている場合を除き、比較的簡単です。しかし、呪いとなると解除方法が多岐にわたります。呪った人物か、呪った手法が分かれば解呪も可能ですが、不明の場合は呪いだけ残ることもあります。……私のように」

「え!冬香さん、呪われているんですか?」

「はい。まだ少し残っています」

え?呪いって残るとかそんなモノなの?

至って普通の事であるかのような口調で言われてしまって、それ以上の言葉を口に出せなかった。

「でも今回は菟のおかげで、呪いの手法も、それを行った人物も分かったのよ。大丈夫、先輩は無事に出てくるわ」

若月さんがウィンクをしながらそう言ってくれた。

「調整は全て終えて、カシェット内で整理したの。後は礼が好きなように暴れてもいいようにしておいたわ」

「さすがオーナーです」

また分からない状態に突入だ。首を捻りながら、若月さんに聞いた。

「シランスっていうのが、安堂寺さんが持っていた青い小箱で、それがさっきの絵になったって事ですか?」

「そうよ」

「それが壁にあって、二人が吸い込まれて行った」

信じがたいが、そういう事なのだろう。

絵に入るってなんだろう?どうして入れるの?

「絵の中で、何をしてるんですか?」

「怨霊退治よ。絵の中には仮想現実があるの。一種の空間術だと思ってくれていいわ」

「仮想現実……」

絵の中に、別の世界があるって事?その中で行動する事ができる?

凄い事だ。

理屈は分からないが、言葉を素直に受け取るなら、この人は世界を作れるのだ。

私は膝に置いていた手を開いて上に向けた。

汗ばんだ掌が外気に触れ、ふわっと涼しくなる。

「それって……私にも、できる様になりますか?」

興奮が緊張になり、再びぎゅっと手を握った。

まあ、と若月さんと冬香さんは同時に感嘆する。

「それって、あたし達のお仕事を手伝ってくれるって事?」

若月さんはそう言って、顔の前で手を合わせた。

「お世話になりっぱなしで……。だから、何か恩返しができたらいいなって……」

私に恩返しなんてできるだろうか。

いや……本当に恩返しがしたいのだろうか。

自分で口に出した言葉に違和感を覚え、微かに首を傾けて考える。

その間、二人は何も言わずに待ってくれた。

「そうか、そうだわ」

なんとなく、自分の気持ちが見えて口を開く。

「あの、ごめんなさい。私はたぶん、ただ知りたいんだと思います」

知らなかった事、見えなかった景色。この数日でガラリと世界が変わってしまった。

だけど、もっと深く知りたいと思う。ただ、それには危険を伴う気がして、きちんと導いてもらわなければ、足元を掬われるような気がした。

我流で見えてきた世界を歩けば、いつの間にか深淵に落ちて行きそうだ。

「もっと勉強して、もっと知識を深めたら、冬香さんと仮説の話を詰められるかも。若月さんや冬香さんの役に立てたら、こんな私でも、自信がつくかもしれないって……」

はっと口を押さえた。言ってから気がついた。これが本音だ。

私は自信の持てない自分が嫌で、自信に満ち溢れている人達に憧れて、そこに救いを求めているのかもしれない。

同じ空間を共有して、仲間になった気になったら、自分も輝いていると勘違いできるかも。

そう、それは勘違いだ。

自分で何も成さないのなら、憧れを追いかけるだけの影。

若月さんや冬香さんみたいに、輝きたい。そのために、輝いている人達が極めているであろう事柄を、深く知りたいと思った。だから恩返しなんて大義名分を口走ったのだ、きっと。

輝けるはずもない。

そして、そんな本音をつらつら言われたって、不快に決まっている。

あぁ、自己嫌悪。

大義名分で止まっていれば。あるいは、本音だけを言えばまだマシだったかも。

「う〜ん」

唸るような声は若月さんだ。

この続きを聞きたくない。耳を塞いでしまいたい。

「かなり、良いわね」

「はい。自信をつけて輝いて頂きたいです」

え?

にこやかな二人に、いつの間にか俯いていた顔を上げて目を見開く。

「自信を持ちたい、輝きたいだなんて、最高じゃない。その為にはどんな事だって利用しなきゃ」

ええ?

「美しくあろうとする、その心を失ってはダメよ。自分の弱さを認めて包み込めるのは、強さと言っても過言ではないもの」

若月さんはそう言うと、私の肩に手を置いて何度も頷いた。

「なぁお」

私の返事の代わりに、猫の鳴き声が聞こえた。

声は冬香さんの方から。

なんだろうと思って見ていると、冬香さんの膝に駆け上がってきた金の猫。

「マイカ」

ちゃんと見える事が嬉しかった。

「マイカの声が聞こえたんじゃない?反応が早かったわ」

若月さんが私の肩から手を離しながら言う。そういえば、声も聞こえた。

「はい!今は声が聞こえました。マイカが心を許してくれたって事ですか?」

「いいえ、遠野さまのチューニングが、どんどんあって来ているからです。でも、これで危険が増えますね」

「え?」

そうね、と若月さんの溜息まじりの声が聞こえた。

「音ちゃんがあたし達に感じる輝きのようものが、遠くの方で実際見えていたらどう思う?」

どういう意味だろう?

問答、ではないよね?

「何が光っているのか、見にいきます」

「その通り。能力者はね、光って見えるのよ。霊的存在から見たら」

……………………?

「ま、簡単に言うと、遭難中の船が見つけた灯台ってところね。自分が彷徨っている理由もわからない霊的存在は、光を見つけたらとりあえずそこを目指すみたい」

まるで霊に聞いたような口調で話す若月さん。

「無意識に光っていると、虫が寄って来ちゃう。音ちゃんの輝きは、礼によると少し大きいのよ。無意識に光っているものだから、もし視界が前の状態に戻って何も見えなくなっても輝きは消えないの。それどころか、大きくなっている可能性すらある」

それに頷いた冬香さんが口を開く。

「殺傷能力のない殺虫灯ですね」

夏になると吊り下げられる、近所の立ち飲み屋を思い出した。青い光に引き寄せられた虫が、バチンッと大きな音を立てて落ちるあれが、殺傷能力がないとどうなるのだろう。

光が遮られるほど虫に(たか)られ、いずれその光が見えなくなる。

それを自分に置き換えて背筋に泡立ちを覚えた。

「光を隠す訓練をするか、撃退方法を身につけるかしたほうがいいと思うの。音ちゃんの街、多かったのよ。あれは普通じゃないわね」


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