音とはなちるさとの物語 その11
「さて、音ちゃん、朝食は食べてきた?まだよね」
「あ、あの……。……はい……。いえ、あ……その…………」
自分で思ったより言葉が出てこない。焦って冬香さんと若月さんを交互に見た。
「朝食、行く?それとも、ここで壁と睨めっこする?」
若月さんは冗談めかしてそう言ったが、私は首を大きく左右に振る。優雅に朝食を食べている場合ではない。
「質問がたくさんあるのではないでしょうか。鷲木さんが一緒ですので、1時間もかからないかもしれませんし」
冬香さんからの助け舟。若月さんはしばらく私をじっと見ていたが、ややして頷くと冬香さんに言った。
「分かったわ。机出しておくから、飲み物お願いするわね?」
「はい」
小気味いい返事を残し、冬香さんは台所の方へ向かう。
「じゃ、音ちゃん。ちょっとだけ後ろに下がってくれる?」
若月さんにそう言われ、私は慌てて後退した。驚くほど機敏な動きだと自分でも思ったが、壁からレーザー砲でも飛んでくるような気がしたとは口が裂けても言えない。だって、若月さんは壁に立てかけていた、折り畳まれた机を広げただけ、だったのだから。
祝日から変わってしまった私の価値観は、絶賛上書き中のようだ。
ウッドチェアとテーブルのセットが、着々とセッティングされていく。
何から聞いていいのか迷っていた私は、若月さんが折りたたみ式のウッドチェアの2つ目を広げたところでようやく現実に戻ってきた。
「手伝います」
慌ててそう言ったが、若月さんは首を振って言った。
「もうあと一脚だから大丈夫よ」
先ほど安堂寺さんと鷲木さんが消えたコンクリート壁の対面、その窓際にテーブルはセットされている。
「さ、音ちゃんはこっちに座って」
そう言って椅子を引いてくれる若月さん。
「特等席ですね」
壁と向かい合うように座った私は、そう言って若月さんを見上げた。
「ふふ、そうね。出てくる瞬間を見逃さないようにね」
そう言いながら、若月さんは窓側に座った。
窓は南を向いているため、この時間帯の直射日光は、ベランダの端にしか届いていない。
それでも窓際は明るくて、ほとんどシルバーに見える若月さんの髪が、輝くように透けていた。いつもはグレーに見える瞳は、光を受けて薄く青い。その様子をぼんやり見ていると、思わず口から言葉が漏れた。
「私も、みなさんくらい美しかったら、もっと自信を持てるでしょうか」
「音ちゃん、それは違うわよ」
「え?」
口にしてしまった自分にも驚きだが、若月さんの否定も意味が分からない。
「あなたがなぜ自信ないのか分かる?」
長い足を組んだ美しい人は問う。
「だって……私は容姿に恵まれていません」
「それはあたしだってそうよ。この色のせいでどれだけ阻害されてきたか。みんなと同じでない事を恨んだこともあったわ。髪は染める事ができても、目の色は変えられないし。コンタクトもチャレンジしてみたんだけど、違和感と痛みで無理だったわね」
でも、と若月さんは私の目を見て言った。
「そんなあたしを認めてくれる人がいたのよ。綺麗な瞳だねって、言ってくれてね」
「私も、綺麗な瞳だと思います」
「ありがと。でもね、あたしの実家はちょっと古臭くて、親よりも使用人がとにかくあたしを不気味がったのよ。今になって思い返せば当然よね。見えないものを見る、心が読めるなんて噂のある、毛並みの違う冷めた子供なんて、かわいくもないし不気味でしょ」
柔和な笑みのまま語られる内容は、私にとっては意外だった。
「そんな……」
「他人からの評価で、自分の価値を決めちゃいけないんだけど、どうしても気になるじゃない?親は愛してくれたけど、それって当たり前の事だと受け取りがちだし、身近な他人の言う事の方が信憑性あるように感じてしまうのよ」
こんな美形が阻害される事もあるのか。
「学校でもみんなあたしを遠巻きに見ていたしね。虐められていた訳じゃないけど、友達もいなかったわ」
「そんな時に、言ってくれた人だったんですか?」
「そうよ。じっと目を見て、綺麗な瞳だねって。他にもね、繊細なガラス細工みたいで美しいとか。それから、駄目だよ、塗りつぶしちゃ、って言ってくれたの」
ふと、若月さんは私から顔を背け、背後のベランダから僅かに見える空に目を向けた。遠い過去を思い出しているのか、悲しげな雰囲気を身に纏っているような気がした。
「塗りつぶすって、黒に、ですか?」
躊躇いがちにそう聞く。若月さんは顔を正面に戻すと、軽く息を吐き出した。
「まあ、それも候補だったわね。とにかく、みんなと一緒になりたかったのよ。でもその人はね、他人の心無い言葉なんかで、自分を傷つけたりしちゃいけないって言ってくれたのよ」
「心無い言葉……」
「そう。それから、君は君のままで、人から愛される資格があるし、愛することができるって。一言一句違えず覚えているわ。嬉しかったもの」
「素敵ですね。とっても」
ふと若月さんは私に目を向けた。
「あら、ごめんなさい。脱線したわね。つまり何が言いたいのかって、あなたには、あなたの魅力があるの。そしてそれを認めてくれる人が必要だって事。あたしや冬香が褒めても、きっとあなたは社交辞令だと思うでしょう?」
それは、完全には否定できない。客としてここに来たあの日、褒められるたびに、嬉しさと交互に社交辞令かもって思った。
「多少なりとも顔貌が整っていれば、褒めてくれる人が多いかもしれない。でも、それって本当の言葉じゃないのよ。音ちゃんが変な顔して膨れていても、可愛いって思ってくれる素敵な人が、これからきっと現れるわ」
「現れる、でしょうか」
「うん、音ちゃんなら大丈夫。それにね、あたし達みたいになれる素質があるって礼も言っていたわ」
それは、若月さんや冬香さんのように、魅力的な人間になれるという事だろうか。
「みなさんとっても美しくて。その、色々と」
「希少性や呪い、後は本能かしら」
希少性?
呪いに、本能?
私はどう聞けばいいのか分からず、きょとんとした顔のまま固まっていた。
「日本には少ない色素の人間だから、希少性が高いわけ。貴重なものって言われると、お値段も高いような気がするでしょう?」
「そう、なんでしょうか……」
珍しいから、だけではない気がするが、それをどう伝えて良いのか分からず、私は若月さんの次の言葉を待った。
「でもこれだと、あたしの事しか説明が付かないわよね?」
無言のまま、こくりと頷いた。
「目に見えない希少性。それに呪い。本能がそれを感じ取って、素敵だなって錯覚させているのよ」
えっと、どういう事だろう。
頷けず、傾げる事もできず、私はただ若月さんの薄青い瞳を見た。
そんな私の様子に若月さんは、ん〜っと顎に人差し指を当てて、斜め上を見ながら言葉を選び始める。
「例えばよ、なんとなく怖い交差点とかない?」
ふと、地元の大きな交差点を思い出す。
見通しの良い、交通量が多い交差点の一角。何故か、南東の横断歩道が、いつも怖かった。
「怖い怖いと思っていたら、ある日その場に花が置かれている、とか」
「ありました」
「そんな感じでね、見えない人にも直感的に感じ取れるものがあって、あたし達が無意識に纏っている……そうね、光みたいなものを察知する人がかなりの数いるの」
「光、ですか……」
「魂から漏れ出た光が、霊体を通して輝いて見える。能力の高さはその輝きと比例するのよ。魂を守ることは生命の維持には必須の事だし、強い魂は魅力的でしょう。だから、それらを察知できる人が、本能的に輝きの強い者に惹かれるのだと思う」
「霊体を守る?」
「そ、霊体が損傷すれば、先日の音ちゃんみたいに激痛が走る。あれが続けばショック死する事もあるし、意図的に攻撃されれば即死すら有り得る。人はそれを知らなくても、本能で感じ取っている。だから、霊的上位にいるものはモテやすいのよ。人の目に留まりやすいし、気になる存在であり続ける」
「じゃあ、安堂寺さんも……」
そう呟いたところだった。冬香さんが飲み物を持ってやってきた。
「コーヒーとハーブティー、紅茶はアールグレイにしました。遠野さまはどれになさいますか?」
「あ……じゃあ、ハーブティーを」
「はい。薔薇とハイビスカスの美肌効果抜群のハーブティーですよ」
魅惑的な微笑みが私に向かい、ハーブティーが目の前に置かれた。
若月さんはコーヒーを、冬香さんがアールグレイを取る。配膳が終わると、冬香さんは壁に背を向け、私の正面に座った。
「それでは遠野さま、なんなりと聞いてくださいませ」
冬香さんはそう言うと、優雅に紅茶を一口飲んだ。若月さんはコーヒーの香りを堪能している。
「えっと……」
改めて言われると何から聞こうか大いに迷う。ふと、プチ・トリアノンでの会話を思い出した。
「じゃあ、最初の質問なんですけど。昨日、安堂寺さんは、私の何を見て傷がないと言っていたんですか?」
「魂よ」
冬香さんではなく、若月さんからの回答。
「へ?」
変な声が出てしまった。
魂?
そんなものが目に見えるの?
いや、そんな事を疑問にしてしまっては、霊体だって見えるのかって事になるし、怨霊だって……
では、安堂寺さんは私の魂を見ていたんだ。その色が冬香さんと似ている?
「魂の色が似ていると、何か共通する事がありますか?」
分からない、と言って若月さんがコーヒーカップを置いた。
「魂を見ることができるのは、あたし達のような能力者の中でも極めて特殊な力なの。少なくとも、あたしの知る限りは冬香と礼くらいね」
「礼ほどは見えません。私もまだまだです」
残念そうな冬香さんの声。若月さんが説明を続ける。
「礼の視界は特殊でね。視界の調節ができるんだけど、そうね……簡単に言うと、様々な度数のメガネやサングラス、さらには色の付いたフィルターを掛け替えるように、視界を思いのままに切り替える事ができるの」
視界を切り替える?
「ただし、魂を見る時は色々無防備になるから、あたしの極小結界で守っていたのよ。プチ・トリアノンで出した金のカードがそれね」
「あ……あのカードは結界だったんですね」
頷きながら、若月さんはコーヒーカップを持ち上げる。
「冬香が似たような視界を持っている事ですら奇跡に近いのよ。この2人にしか見えないものを、他の人間が判じる事なんて出来ないでしょう?」
そう言うと、カップに口をつけた。




