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音とはなちるさとの物語 その10

翌日、遠目にしか見ていない”うさぎさん”が、車で迎えに来てくれた。車は昨日、若月さんが乗っていたのとは違う車種だ。

真っ直ぐ立つ姿は、がっちりしていて男らしい。背は平均より高く、スポーティで誠実そうな人だ。髪は短く、服装は今日もスーツだった。

「昨日はご挨拶できずに失礼致しました。”鷲木(わしき) (うさぎ)”と申します」

折り目正しい挨拶と、差し出された名刺。

大人だ。

私も慌てて同じくらいの角度に腰を折って自己紹介する。

遠野(とおの)です。こんなところまでありがとうございます」

鷲木さんは柔らかい笑みで頷いてくれ、後部座席の扉を開ける。

「ありがとうございます」

そう言って鷲木さんを見ると、思いのほか顔が近くて少し照れる。薄暗い朝の光の中で見た鷲木さんの瞳が、少しオレンジに見えた。

じっと見つめるわけにもいかず、後部座席に乗り込む。席の真ん中には、大きなウサギのぬいぐるみが置かれていた。

実を言うと、人の車に乗せてもらう機会などほとんどないので、助手席に座るのが正解なのか、後部座席に座るのが正確なのか分からなかった。先に案内してもらえてホッとする。

「お、お邪魔します」

緊張しながら車に足を入れ、ぬいぐるみを少し奥に押して乗り込む。

もらった名刺を改めて見ると、そこには【So-dormant株式会社】と書いてある。

「ソウ、ドルマント?」

運転席に乗り込んできた鷲木さんが、それを聞き漏らさずに答えてくれる。

「ソドルマンと読みます。ドルマンとは会社につけるにはあまり良くないのだそうですが、オーナーはそれが逆に良いのだとおっしゃったそうですよ」

車のエンジン音が聞こえ、軽い振動が体を伝う。

オーナーって若月さんだよね?

ふざけて社名を作るような印象がないから、ちょっと意外だった。

「昨晩は眠れましたか?」

車が走り出すと、鷲木さんは運転席からそう聞いてきた。

「は、はい」

本当は緊張と考え事でほとんど寝れてない。

「眠くなったら遠慮なく寝てください。そのための抱き枕ですから」

後部座席に置かれたぬいぐるみは、抱き枕らしい。

そっと触れてみる、しっとり手に馴染んで、ふわっと柔らかい。

「この枕は、鷲木さんが用意してくれたんですか?」

「いえ、礼さんが必要だろうとお持ちになられた物です」

「礼さんって、冬香さんの彼氏さんの?」

「はい」

意外だった。若月さんや冬香さんなら考えつきそうだが、安堂寺さんは昨日少し話しただけだ。

「どうして分かったんでしょう」

抱き枕をぎゅうっと抱きしめる。

なかなか心地よいフィット感だ。

「あの方は目が良いので」

目が良い?

そう言えば、昨日、ガン見されたな。ちょっと特殊な体験だったと言っても良い。

若月さんが言ってた、今日の目的ってやつと関係あるのかな。

射抜くような視線をまだ鮮明に覚えている。鷲木さんなら、答えてくれるだろうか。それとも”はなちるさと”に着いてから聞いた方が良いかな。

ぎゅっと枕を抱きしめてしばし悩む。

まだ早朝だ。

ほんわりと良い香りに眠くなってきた。

「目が良いって……どういう……意味なんですか……」

実際に聞いているのか、夢の中なのか分からない。

「……や、……も区別出来て、……自在に操ることも……と聞いています。実際のところは……く、分かり……」

鷲木さんの声が遠い。ぎゅうと力を入れると、心地良く沈む感覚。

この抱き枕、欲しいな…………

まどろみに身を任せてしまえば、あっという間に眠りにつく。

昨日、寝付けなかったのが嘘みたいに、沈み行く意識に身を任せた。









本町まではあっという間だった。眠ったおかげか、頭がスッキリしている。

現在時刻は7時45分。

先日、勇気を振り絞って押した部屋番号を、鷲木さんは何の躊躇もなく押した。

オートロックが解除されると、私を先導する様に歩きだす。

「おはようございます」

店に着くと、冬香さんが出迎えてくれた。

「今日は見学だから、気楽にしてくださいね。礼を送りだしたら、朝食に行きましょう」

なんの事か分からなかったが、とりあえず頷いておく。

すると、背後から鷲木さんの驚いたような声。

「礼さんが入られるのですか?Q(クイーン)ではなく?」

その勢いに、冬香さんが少し体をのけ反らせて答えた。

「ええ。珍しい事では……」

「そんな場面に立ち会えるとは。見学させて頂いてもよろしいでしょうか」

「は、はい。それなら、一緒に入られてはいかがでしょうか?」

「いいのですか?」

鷲木さんは嬉しそうに目を細めた。

「嫌がるかもしれませんけど、一度、頼んでみますね。それではみなさん、中へどうぞ」

冬香さんが店内へ先に入り、それを追いかける金の猫。

後を追うようにして、荷物を抱えたままスリッパに履き替えて中に入った。









「音ちゃん、おはよう。菟、ご苦労様」

若月さんが店の奥で待機しており、その隣に安堂寺さんが煉瓦の壁紙が貼られた場所に背を預け、目を閉じてじっとしていた。

鷲木さんも背が高いと思ったが、ふたりと並ぶと普通に見える。

立ったまま眠っているように見える安堂寺さんを、じっと観察していると、若月さんが苦笑しながら言う。

「二日酔いみたい。大丈夫よ、仕事には影響ないから」

亜槐(あかい)さんのせいだ」

目を閉じたまま安堂寺さんが呟く様に答えてくれた。

アカイさんについては初耳だけど、なんだか大人の会話だ……

「いや、元を正せば若月が悪い。飲むしかねえじゃん、冬香をだ……」

「ストーップ!あんた何言い出すのよ!女子高生の前で」

何のことか分からず、きょとんとする私の前で、慌てた様子の若月さんが安堂寺さんを制す。

「気にしないで、音ちゃん。色ボケの戯言よ」

安堂寺さんは大きな息を吐き出すと、天を仰ぐようにして止まる。目を閉じたままピクリとも動かない。そこに再現された何かの彫像のようだ。固唾を飲むほどの光景である。

その前を冬香さんが横切って、何事もなかったかのように、安堂寺さんが寄りかかっている壁と直角の壁へ向かう。そちら側はコンクリートで、壁紙すら貼っていない。

「礼、後5分よ」

冬香さんにそう声をかけられた安堂寺さんは、寄りかかっていた壁から体を起こし足を出した。

「礼、もう1人、一緒に入っていい?」

「冬香が一緒にくるなら」

「私では……」

「野郎は却下」

ピシャリと言い放つ安堂寺さんに、冬香さんは一瞬固まった。しかしすぐに安堂寺さんに1歩近寄る。

「どうしても、ダメ?」

「ダメ」

「わかったわ……」

しゅんと項垂れる冬香さん。安堂寺さんから顔を逸らし、鷲木さんに顔を向けた。

「私が期待させるような事を言ったばかりに、申し訳ございません。穴埋めは……」

頭を下げかけた冬香さんを、安堂寺さんが制す。

「分かった。同行を許可する。言っておくが、弟子入りは認めねぇからな」

ぱっと顔を上げて嬉しそうに微笑む冬香さん。同性の私から見てもかわいいしぐさだった。

「ありがとう、礼。では鷲木さんは礼の後ろに、遠野さまは、こちらへ」

冬香さんに手招きでそう言われ、若月さんの導きで(そば)に寄る。

「決して、私の後ろから前には出ないように」

「は、はい」

さっきの可憐な印象は急激に後退し、凛々しい横顔が壁に向かっていた。

「昨日、礼が持っていた青い箱を覚えていますか?」

冬香さんはこちらを見ずにそう聞いてきた。

「青い、小さい箱でしょうか?」

「そうです。その姿を絵に変えたのがオーナーです」

そう言うと、冬香さんは壁に手を翳す。

ややして、コンクリートの壁表面に、ガラスが割れて剥がれ落ちるような残像が見えた。割れる音は聞いていないので、気のせいかもしれないが。

「ここでは青い小箱はシランスと呼ばれています。それを加工するのはオーナーしかできません」

シランスと、私は小さく呟いた。

「シランスとは、怨霊を閉じ込めた結界のような物です。礼が持っていたシランスには、遠野さまを傷つけた男性が怨霊と共に封印されました」

え、っと声が漏れた。

先輩を最後に見たのは桜の木の下。崩れ落ちるように倒れるのを見た。

「その魂を保護し、無事に助けられるようにオーナーが加工したのが、あの絵です」

冬香さんはそう言って壁を指差す。

ガラスが弾けた場所には、いつの間にか絵が飾られていた。

大きな部屋の中に、苦悶の表情を浮かべる女の歪んだ顔。その顔は部屋いっぱいに広がっていて体は見えない。

「予想通り墓タイプか。楽勝だな」

安堂寺さんの軽口が聞こえる。若月さんが時計を確認しながら口を開く。

「冬香、後1分よ」

「はい」

横目で私の立ち位置を確認しながら、安堂寺さんに問いかける冬香さん。

「礼、予想ではどれくらい?」

「ん……。ま、1時間ってとこかな」

そう答える安堂寺さんに、冬香さんは頷きながら、私に目を向けた。

「我々が(はら)うなら、この形で遠野さまを怨霊から解放したかったのですが、私が迂闊だったために激痛を与えてしまいました。大変申し訳なく思っています」

「そんな、気にしないでください」

顔を壁から動かさず集中している様子の冬香さん。私はその細い肩に手を置いて答えた。すると冬香さんは頷いて、壁を見たまま言う。

「ほんの僅かな時間ですので、よく見ておいてください」

「5……4……3……2……1」

若月さんがカウントダウンしている。

ゼロの言葉を聞く前に、安堂寺さんの姿が大きく歪んで見えた。後ろに続く鷲木さんも、同じように揺れている。

何事かと目を凝らしても、歪みは無くならない。ゆらゆらと揺れて不意に、安堂寺さんの姿は絵の中に吸い込まれて消えた。続くように鷲木さんも、絵の中へ消えゆく。

2人の姿が完全に消えると、冬香さんは軽く息を吐き出して言った。

「では隠しますね」

冬香さんが再び壁に手を翳すと、絵はコンクリートの壁に埋まっていく。

絵の全貌が消えると、薄いガラス膜が貼られた様にキラッと光る。それを確認すると、若月さんが軽く手を叩いた。

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