音とはなちるさとの物語 その1
「ここ、かな……?」
もう秋だというのに、カンと照りつける日差しに目を細め、大阪は本町駅からすぐのところにあるコンクリート打ちっぱなしのビルを見上げた。
神戸はもう少し涼しかったが、大阪は日差しを強く感じる。
私は急いで庇の下に潜り込み、店舗案内板を見上げた。
「ええっと、はなちるさと……はなちるさと……あ、あった」
木曜日の祝日を利用し、10時から予約した店だ。サイトと住所を確認しながら、予約時間前にたどり着いた。
「オートロック?しかも、すっごいオシャレなビル。うわあ、なんか……」
緊張する……。
私、”遠野 音”は高1の夏終わりに、初恋に敗れ、親友を失い、元々少ない自尊心がズタズタになり、自己嫌悪と罪悪感にとことん沈み込む日々が続いていた。
そのせいか、呼び出しボタンに向かって号室を押そうとするその指が、緊張で震えている。
「朝一番だからまだ空いてないかも。予約時間ちょうどまで、待とうかな……」
勇気がなくて動きを止めていると、後ろから人の気配。
慌てて適当な紙を取り出し、号室を調べているふりをして独り言を呟きながら譲った。
前の人が壁に取り付けられている操作板で目的の店を呼び出すと、オートロックが解除され、ガラスの扉がスライドした。
一緒に入ろうかとも思ったが、その勇気すらなかった。
紙と睨めっこをして調べ物をしている風を装い、一緒に入るかと目配せしてきた人に、会釈だけして目を逸らした。
「何、してんだろ。ダメだな、私……」
行こうとしているのは写真館だ。
思い起こせば日曜日、変な夢を見たのがきっかけだった。
親友と話さなくなり、沈み込んでいる私を見かねた同級生が、遊びに連れ出してくれたのだが、それがなんと怪しい宗教の勧誘だった。
しきりに降霊会への参加を勧められ、断ると数人の大人に囲まれる。父親ほどの男性8名に囲まれて説得が続けられ、逃げる事もできないまま夜を迎えた。しきりに時計を見ているふりをして、ない門限を言い訳にようやく逃げたのだ。親に相談もできず、モヤモヤしたまま眠ったのが尾を引いたのか、変な夢を見た。
初恋の人、親友、宗教勧誘の同級生とその周りを囲む大人達。数日間の出来事が、ぎゅっと凝縮したような不快な夢だったのに、最後は見知らぬ学校に通って、見知らぬ友人に囲まれている。
そこでの私は何かを一生懸命学んでおり、自信というものを着実に育んでいた。
初恋の人も、傷つけてしまった親友もいつの間にか消え失せた、都合のいい楽しい夢。
目覚めてからの失望と落胆が胸に渦巻き、ベッドの上でしばらく泣いた。
……これは現実逃避だ。
一日中、夢が頭から離れず、その原因が自信のなさだと結論付け、帰ってからパソコンに向かい、色々なキーワードで検索を始めた。その中の一つだった。
綺麗な人が写ってるな、くらいの軽い気持ちで閲覧し、そして、いつの間にかその人たちを自分に置き換えて見ている事に気がついたのだ。
特に美人でもない私が、綺麗にしてもらって撮影できたら、ちょっとは自信が持てるかな。
そう思って予約した。
ここでなら、自信を取り戻せるんじゃないか。
何よりも、自分が知らない、自分の魅力がカケラでも有るのなら、知りたい。
そんなもの、見つからない可能性の方が高いんだけど。
ドキドキなる鼓動を抑えたくて、胸元に当てた拳をぎゅっと握り締める。
大きく息を吸って、店舗の号室を押した。
「は〜い!」
高めの男性の声。
「あ、10時に予約……」
「いらっしゃいませ〜。お待ちしておりました〜!」
応答の声が終わらないうちに、オートロックが解除された。
解除後すぐにプツッと音がしたので、インターフォンは切れたのだろう。迷っているうちに閉まり始めたガラス戸を見て、慌てて中に入る。
中庭にオブジェのあるお洒落なビルだった。
自分だけが、この場にそぐわない。
そんな思いが胸中に溢れる。
「でも……」
呼び出しボタンを鳴らしといて、その後、客が来ないなんて……お店としては心配だよね。
そう自分に言い聞かせてエレベーターに向かった。
到着したエレベーターに乗り込み、お店の階数を押す。
ふーーはぁーーふーー
乗っている間中、深呼吸を続けていた。
驚くほど緊張している。
たかだかお店。
自分はお客様!
そう聞かせて廊下を進んだ。
6階のエレベーターを降りて、廊下を進む。一番奥にお店はあった。
お店に到着する直前、勢いよく開く扉。
「いらっしゃ〜い。ご予約の遠野さまですね」
色素の薄い美形男性が、私を迎え入れてくれた。
この人はカメラマンかな?
「ん?」
玄関の扉を手で固定したまま、男性はぐっと腰を落として私の顔を覗き込んだ。
さらりと流れる薄い金髪が、その額を流れて目を半分ほど覆う。
直近に見るまつ毛は濃い金色で、その瞳はグレーだ。中心に青や緑の濃い部分があって、ガラス細工のように美しい。
「いらっしゃいませ」
微笑んだ顔がますます美しいが、その距離に顔が熱くなる。
こんな美形に顔を覗き込まれて、赤面しない人がいたら教えてほしい。
「玄関で靴を脱いで、スリッパでお願いしますね〜」
体を起こした男性はウインクしながらそう言い、サラリと揺れる髪から溢れた香りを残して玄関から一段上の部屋に入る。
扉のない入口の、上ギリギリを頭部が掠めるのを見て、身長はどれほどだろうかと考える。
玄関でふと横を見ると、ロッカーが設置されている。ここに荷物は預けなくて良いのだろうか。そう思ってロッカーに目を向けると、上の方に金色の尾が見えた。
猫、かな?
「ロッカー使ってくれてもいいし、そのまま中に荷物置いても、どちらでもいいわよ」
男性から声だけの説明が飛ぶ。
大きな荷物はないので、そのままスリッパに履き替えて店舗に入ると、洋服掛けから溢れんばかりのドレスが、私に手を差し伸べていた。
「わあ…………」
そう言って絶句した。
フリルの山に、自分がそぐわしくないようでソワソワする。
「改めていらっしゃいませ。撮影のイメージなどございますか?」
ちょっと女性っぽい動きで問う、カメラマンらしき男性。いや、オーナーだろうか?
その後ろで、撮影の準備をしているのだろうか、黒いエプロンの女性が一人作業をしている。
「あの、特にイメージとかはなくて……その、綺麗になってみたくて……」
そう言うと、目の前の男性は、まぁ、と言って両手を合わせた。
「素敵ね」
素敵……?
私みたいなのが、そんな事望むなんてって思われないかな。
『酷いわ。わたしの方が可愛いから、応援するって言ってくれたのに。裏切っていたなんて』
ふと思い出す親友の言葉。ふいに涙腺が緩み、言葉を何も発せないまま、涙がぼろぼろと溢れ出た。
「やだ、どうしたの?冬香、ちょっと手伝って」
作業をしている女性が、こちらに顔を向けたところまでは、なんとか見えた。
涙で視界がぼやけた後は、顔を伏せて泣いてしまって視界は真っ黒だ。
「……落ち着くまで、泣いちゃいなさい」
そう声をかけられたせいもある。
私はそのまま、しばらく泣いた。




