永久欠番と襲名について
初出:令和5年8月8日
プロスポーツ界には永久欠番という制度があります。
野球やサッカー、アメフトなどで大活躍した選手が引退したとき、彼の功績を称えるべく、彼の背番号をそのチームでは二度と使わないという制度です。
もともと米国MLBで始まった制度ですが、現在では日本のプロ野球界(NPB)はもとより、様々なプロスポーツ界で世界的に採用されています。
1.MLBのすべてをパクるNPB
ところで日本のNPBはなぜ永久欠番制を採用したのでしょうか。
言わずもがなですが、米国MLBが採用しているからです。NPBは基本的にMLBの真似をします。
たとえば数年前、MLBはリクエストというルールを新たに採用しました。審判の判定に不服があった場合、チームの監督がリクエストを要求できます。試合は一時停止して審判はビデオを確認し、その上でもう一度判定をやり直します。
するとNPBでも早速、リクエストを取り入れました。
実はNFL、つまりアメフトでチャレンジというルールが以前からあります。これはリクエスト同様、監督が審判にビデオリサーチを要求できる制度です。つまりMLBはNFLを真似したのです。
ところでこれはトリビアですが、NFLがチャレンジを採用したのは日本の大相撲の「物言い」を真似したという話があります。
相撲で行事の判定に「物言い」が入ると、審判団はビデオで試合を確認し、その上で審判団が改めて判定を発表します。
つまり、相撲→アメフト→メジャーリーグ→日本プロ野球の順でルールをパクった、ということでしょうか。
いずれにせよNPBはMLBがやっていることをそのまま無条件に真似します。
2.歌舞伎は襲名制
ところでエースナンバー18番というのをご存じでしょうか。
NPBでは複数の球団でチームのエースピッチャーが18番をつける風習があるようです。
日本のピッチャーがメジャーリーグでプレイする場合、向こうでも18番をつけることがよくあります。18番の背番号を与えると日本のピッチャーは喜ぶということをMLBのスタッフたちも知っているのでしょう。
18番がエースナンバーというのはあくまで日本だけの話で米国にはそんなものはありません。
ところで18番はもともと歌舞伎十八番から来ています。歌舞伎と言えば襲名制です。
歌舞伎ではたとえば何代目市川団十郎のように、芸名を襲名する制度があります。
歌舞伎以外にも相撲や落語など日本の伝統芸能には襲名制があります。
襲名される名跡は一般に現役時代に活躍した演者です。今日のスポーツでは活躍した選手の背番号が永久欠番になりますが、日本の伝統芸能では活躍した演者ほど芸名が受け継がれ、受け継がれないのはむしろあまり活躍しなかった演者でしょう。
相撲には「止め名」制があり、永久欠番のように大活躍した力士の四股名が使えなくなることもあるようですが、逆に不祥事を起こした力士の四股名など、縁起が悪いので「止め名」にする場合があるようです。
3.背番号の襲名制を提言
ここで提案ですが、NPBは永久欠番制をやめ、背番号の襲名制を増やしていってはどうでしょうか。
先ほどのエースナンバー18番は、日本の伝統芸能の襲名制から来ている発想です。背番号18番を付けていたら、観客は彼が球を投げる前からエースピッチャーだと推測できます。
このように背番号を見ただけでその選手がどういう選手なのか、憶測できると面白いでしょう。
こう書くと、すでにNPBは背番号の緩やかな襲名制になっているとの反論も返ってきそうです。
たとえば背番号が27番だったらエースキャッチャーを意味するとか、1番や3番や8番だったら野手で、そのチームを代表するスター選手といった感じです。
しかしながら、永久欠番制があると使える背番号が減ってしまします。
MLBのニューヨークヤンキースでは永久欠番を増やし過ぎた結果、1ケタの背番号で使えるのは0番だけのようです
ヤンキースの例は極端ですが、永久欠番制は使える番号がなくなるという弊害があります。
日本のNPBは永久欠番制を廃止し、その一方で背番号の襲名制を盛んにすべきだと思います。
4.肩書好きの日本人
日本人には永久欠番より背番号の襲名の方が合っていると思うのです。
日本人は肩書で人を判断する風習があります。
日本人は、その人の勤め先、学歴、年収などの情報で格付けするのが得意です。
だから野球の選手の背番号に意味をつけるとどうでしょう。背番号を見ただけでどういう選手が推測ができ、これは日本人に合っています。選手としてもある意味づけされた背番号を獲得するためにがんばり、その背番号を手に入れたら、背番号を見せびらかしながら、自らのプライドを満足できます。
永久欠番という発想は、たとえばあなたという人間は唯一無二の存在で、あなたがいなくなったらあなたの替わりができる人は誰もいない、という人権思想が背景にあるように思われます。
あなたの肩書ではなく、あなたの存在そのものを尊重するという考えがそこにはあります。
だったら永久欠番制を推進すべきだと言う人もいるかもしれませんが、私としては日本人が肩書社会を卒業して人権思想に目覚めるまで、つまり精神的に成熟するまで、永久欠番はお預けでいいのではないかと思うのです。
(了)