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第1話 堕ちた悪魔

 

 ――― 2030年 東京 カジノホール前


(はあ、まいったまいった。ついに出禁(出入り禁止)を食らっちまったか。しかし人の心を操れないっていうのは不便なものだな。俺様が自由になにかしようとすると、すぐにルールがどうこうと言って反抗してくるし、かといって力ずくで言うことをきかせようにも、魔力を失った今の俺では力の強い個体種に逆にボコられるのがオチだ。)

 ガックリと肩を落としてため息をついているのはディーボ、魔族の若きプリンスだ。

 魔術の才能に恵まれた彼は、その圧倒的な力を生かして神族との争いで連戦連勝。天界の勢力図を変えるほどの勢いを見せていた。

 そう、見せてきたのだ。今までは……。

 しかし、今彼は魔力をなくして人間界に居る。

 なぜ魔族のプリンスが、天界ではなく人間界のカジノホールの前に居るのか、それは数日前にさかのぼる。

 彼は天界での勢力争いで、とある神と戦い、そして激闘の末に敗れてしまった。

 神に捕らわれた彼は悪魔の力を封印され、特殊な能力を持たない普通の人間として人間界に島流し、つまり隔離されてしまったというわけだ。

 取柄の無い普通の人間にとって、下界という場所はただ生きていくためにも辛い労働を強いられる苦悩に満ちた世界だ。『生き地獄』と形容する者さえいる。

 そんな場所で、ディーボは能力が平凡というだけでなく、さらには貯金も無し。普通の人間よりもさらに落ちぶれた状況で生活をスタートさせていた。

『人間界で生きていくにはお金が要る』というごく当たり前の壁にぶち当たった彼だが、そんな彼が最初にとった行動は『身に付けていた貴金属を原資にカジノで現ナマを増やす』という作戦。

 ここ数日、小賢しい裏技を駆使してなんとか貯えを増やしてきた彼だが、今日ついにその金のなる木が朽ちてしまった。

 イカサマがカジノにバレてしまったのだ。

 こっぴどく説教をくらったあげく、ブラックリストに名を連ねることになったディーボは、

(あ~ぁ、ブラックジャックのカウンティングなんて、世界のヨコサワを含め皆がやってるイカサマじゃないか。大目に見ろってんだよ)

 と、恨めしそうに追い出されたカジノの門を眺めていた。

 ディーボは思いのほか人間界の習わしに詳しい。

 なぜなら魔界からユーチューブ動画を見るのが彼の日課だったからだ。

 そんな一部の偏った知識に秀でた彼は、世界のヨコサワについても当然のように知っていた。

 しかし、皮肉にもヨコサワと同じくカジノの出禁をくらってしまった彼は、しかたなく次の収入源を探さねばならなくなった。

(どうしたものか)と考えるだけでもお腹は減っていく。

 ディーボは、とりあえずいつもの行きつけの場所に向かうことにした。


 彼が向かったのは、貧しい人々のために炊き出しを行っている教会。

 ディーボは内心

(しかたない、あまり気乗りはしないが、今日も神族の自己満に客として付き合ってやるか)

 と強がってはいたが、本来悪魔にとって教会など近寄りたい場所であるはずがなかった。

 とはいえ、今のディーボにとって背に腹は代えられない、苦虫を噛み潰しながら『神の施しを受けて生き長らえる』という屈辱の日々を送っていたのだ。

(はぁ、はぁ……、教会までのタクシー代を節約するために……、い、いや健康のために徒歩で教会に向かうことにしたのはいいが、歩くという行為は思った以上に体力を使うよな)

 徹夜ギャンブルの影響で足元をフラフラさせながら並木道を歩くディーボ。

 やがて小さな段差につまづいて前のめりにバランスを崩してしまった。しかし間一髪、転んだ先に手をついて受け身をとることができた。

 ところが、その手に何やら柔らかくグニャグニャとした感覚が……。

「オー・マイ・デビル!! 誰だ、こんなところにウンチを放置したのは! ペットのウンチを処理するのは、飼い主の務めだろうが!!」

 思わず叫ぶと、周りを歩いていた通行人たちが一斉にディーボから距離をとった。

「いや、違うんだ、みんな勘違いするな。ウンチが付いたのは手の平だけ。こんなもの洗えばどうということはない。へっちゃらだ」

 ディーボは眉をしかめて立ち上がると、手のひらを観衆に見せながら街路樹に向かって進んだ。そして、近くの木に到達すると、それに手をこすり付けてウンチを拭きとった。

(まったく、今日は厄日だな……)

 手のひらを眺めながらボソリと呟くと、再び教会を目指してトボトボと歩みはじめた。


 教会に着くとそこにはすでに多くの人たちが炊き出しを目当てに行列を作っていた。

 焦ったディーボが少し足を速めて列の最後尾に並ぶと、その後ろにさらに1組の親子が並んだ。

 やがて神父と思しき人が出てきて、集まった人々に対して神の教えやその実践法の説教が始まった。

 ディーボは退屈そうにつま先をポンポンと鳴らしながら

(この話が長いんだよな。どうせなら神の教えとかじゃなくて、今日の献立の解説でもしてくれた方がよっぽど聞く気になるんだが、まあしかたない、これも信者を増やすための必要悪だ。俺も魔界では同じようなことをやっていたから文句は言えん)

 そんなことを考えていると、やがて列が動き始めた。

 施しが始まったのだ。

 順調に炊き出しの入った大きな寸胴に近づいていくディーボ。

 おとなしく順番待ちをしてようやく目の前に配給の女性が現れた時、ここでお約束の残酷な一言が告げられた。

「申し訳ありません、今日の分はもう無くなってしまいました」

 信じられないといった表情で固まるディーボ。しかしまぶただけは何度も瞬きを繰り返していた。

 止まった時の中、ディーボの後ろに並んでいた小さな女の子が涙を溜めてグズり始めた。

「今日はミネストローネ食べられないの?」

 女の子の母は、しゃがんで娘の目線に高さを合わせると「残念だけど今日はあきらめるしかないわね、代わりに帰りにパンを買って帰りましょう」となだめたが、女の子は空腹のせいもあってか「じゃあもういい!」と機嫌を悪くした。

 それを見たディーボは、寸刻思案したあと配給係の女性に向かって言った。

「その寸胴、ちょっと見せてもらってもいいか?」

 身を乗り出して平台の上の寸胴を覗き込んだ。

「ふっ、やはりな。思った通りだ」

 ディーボは呟くと、近くにあった水飲み場に行ってコップに水を溜めて戻ってきた。

 大切そうに水を抱えた彼は、

「おい給仕担当、この寸胴に水を入れさせてもらうがかまわんな?」

 そう言うと、コップの水を寸胴に注ぎ込んだ。

 その後ディーボは、力まかせに両手で寸胴を持ち上げると、水が中で循環するようグルグルと鍋ごと回転させ始めた。

「さて、どうかな?」

 鍋をもどしたディーボは、中に出来上がった『薄味のスープ』に指を突っ込んで、それを味見した。

「うむ、まあこんなものだろう」

 そう言うと、スープをコップに再び注いで、それを手に女の子を向き直った

「おい、喜べ女の子。健康に配慮した薄味のミネストローネが完成したぞ。本来なら俺様がもらう順番だが、今日は特別にお前に譲ってやる。だから機嫌を直せ」

 ドヤ顔でコップを手渡した。

 女の子はそれを受け取ると「お母さんの分は?」と、上目遣いに追加注文をだした。

 思いもよらない返答にドヤ顔が崩れるディーボ。

 どうやら女の子は1杯のスープでは満足しないつもりらしい。まだ、いつグズり始めるのか予断を許さない状況だ。

 ディーボは、(ち、調子にのりやがって娘っ子が!)と怒りがこみ上げたが、(しかし、この程度のことで気持ちを乱されていては魔界のプリンスとして将来が思いやられる)と、考えを正し、崩れたドヤ顔のまま

「スープは無いが、これをやる! その代わり、この恩は一生忘れるなよ!」

 そう言いながら、ジャケットのポケットからチロルチョコを一粒取り出した。

 女の子は両手にスープとチョコを持つと、「うん、分かった」と機嫌を直して、会釈する母の手を引きながらその場を去っていった

(あいつ明日には俺様への感謝を忘れてそうだな。いや、絶対忘れてるに違いない!)

 スープをもらいそこねたばかりか、楽しみにとっておいたおやつまで取られてしまったディーボは、

「チッ、骨折り損のくたびれ儲けだぜ」

 と、ユーチューブで覚えたばかりのことわざを呟き、くるりと炊き出し台に背を向けた。


 寂しそうな背中で教会を立ち去ろうとするディーボ。

 それを見ていた給仕係の女性が、カウンターを出て彼を追いかけた。

「ちょっと待って! あなた、あなたのことよ!」

 追いついた女性を振り返るディーボ。彼女は話を続けた。

「私は美湖みこ。今日はボランティアで炊き出しの手伝いに来ているの。あなた、お腹すいてる? よかったら、この後少しお話しない?」

 後ろに束ねられたウェーブのかかった髪からは女性らしさが、機敏に動くその姿からは若さが感じられる。彼女は相手の心を見透かすような笑みを浮かべながらディーボを見ていた。

 ディーボは怪しみながら彼女を観察して、こう忠告した。

「言っておくが、おごらないぞ」



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