湯気の向こう側で・前編
今回は少し長めのお話です。前・中・後の三部に分けて投稿します。
旅行に行こうと言い出したのは家長のタカヤだった。
もちろん、子ども達は大喜び。ママさんも「パートの都合を付けないとね」と言いつつも嬉しそうに笑う。みんな、お出かけ大好きだからね。
「よし。じゃあ、どこに行きたい?」
次は当然「行き先の相談」なのだけど、寒いから温泉に行くこともすぐに決まった。
スキーやスケボーって選択肢もあるだろうって? 長田家では、その案はあまり出てこない。
「ナオとユキが楽しめるところが良いものね」
『賛成!』
ママさんが言い、ルカとショータがぼく達の鼻先をツンツンとつつく。
そうして、家族はタブレットやスマホで旅行先にある「ペットOK」の宿を探し、大盛り上がりしたのだった。
◇◇◇
「良い景色だね!」
『にゃー』
石段を下りながら言うコート姿のルカの腕の中で、ぼくとユキは返事をする。
眼下に広がる景色で目立つのは、あちこちに解け残った雪と、もうもうと上がる湯気。そして、鼻をつく独特の匂い。
ぼく達は一泊二日の予定で温泉街に来ていた。
長田家が予約を入れた通りの一角に建つ旅館だ。整えられた和風の庭の先にある、古式ゆかしい雰囲気の建物を見た瞬間にピンときた。
「ここ、前にも来たよ」
「ほんとう?」
ルカの腕に抱かれたまま、にゃあにゃあとお喋りをする。
そうだ、ちゃんと覚えてる。もうずっと昔に、当時の長田家の人達と訪れた宿だった。確か、あの時もこんな風に宿の人に出迎えられたっけ……。
昔はペットと一緒に泊まれる宿が少なかったから、ここを選んだのかなぁ。
「良い部屋だなぁ」
案内された部屋は3階にあって、窓からは町が良く見渡せた。
ぼく達は畳の上にそっとおろして貰い、スンスンと匂いを嗅いで回る。初めての場所は調査しておかないとね。
うん、来たこともある場所だし、大丈夫そう。ユキもにこにこしている。
「にゃあ」
「あら、ふたりともお昼寝?」
「移動で疲れたのかもな」
夫婦はそう言って、家から持ってきたクッションを日の当たる場所に敷いてくれた。
ぽかぽかのお日さまと、くっついたユキの体温。慣れた匂いに浸っていると、あっという間に眠りに包まれていった。
「おっ、お目覚めか?」
気持ち良いお昼寝から目を覚ましてみると、部屋にはタカヤとぼく達だけだった。ママさんと子ども達は、町の散策に繰り出したようだ。
「ふたりも明日は一緒に行こうな。……そうだ、昔、ナオはここに来たことがあるんだろ?」
「にゃあ」
「やっぱりなぁ」
どうして分かったのだろうと疑問に思って視線を向けると、宿の人に声をかけられたらしい。
「ペットOKって言っても、子ネコ連れは珍しいみたいでさ。宿の古い記録に、昔、黒い子ネコを連れた客のことが残っていたんだって」
どうやら、客の名前までは載っていなかったらしい。
なるほどね。その昔の人も、思わず書き残すくらい驚いたのかな? なんだかおかしい。でもタカヤは違ったみたいで、ぼくの頭をそっと撫でた。
「俺達の他にも、ナオのことを記憶に留めておいてくれた人がいたんだな」
まぁ、今回みたいな場合は客の名前が残っていなかったことにホッとするべきなのかもしれないけどと続けて、照れ臭そうに笑った。
〈つづく〉




