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タピオカはのどに刺さらない

作者: 京本葉一

 資料をまえに、手もとの機器を操作した。

 社長と話をしなければならない。

 呼び出し音が鳴りはじめる。二回、三回……五回目のコールでつながった。


「休暇中のところ失礼します、水木です」

『……おう、どないした。こっちは食事中やぞ』

「至急、確認したい件があるのですが」

『……なんや』


 おかしい。

 声が小さい。いつもの張りがない。


「社長? 大丈夫ですか?」


 返事がない。

 お茶でも飲んでいるのか、すすり音がうるさい。


『……ああ、いまちょっと、タピオカがのどに刺さっとるからな』

「はい?」

『あとでこっちから電話するさかい、ちょっと待っとってくれや』


 通信が途切れた。


「……くそっ!」


 悪態をついた。気が急いている。もういちど資料に目を通した。

 資金の流れが記されている。

 自分の知らない情報が、記されている。


「改ざんだ。あきらかな不正……なにをやってるんですか、社長、のんきに食事をしている場合じゃないでしょう? というか、なにを食べてるんですか?」


 不自然な資金の流れ。

 悪化していた経営が、安定化した理由。

 不正。

 違法行為。


「この流れ、資金洗浄の疑いがある。犯罪組織に関わって、利益を得ているのだとしたら……」


 会社は終わりだ。

 いや、それだけではない。

 不測の事態が生じれば、生命が危険にさらされる。


「社長……」


 手にしていた機器が震えだした。社長からだ。コールに応えた。


「水木です」

『おお、待たせた。ようやくとれてな。いやぁ、なかなか頑固なヤツやったわ」


 よかった。いつもの声だ。


「……社長、それ、タピオカじゃないですよね?」

『いや、タピオカやけど?』

「ぼくらの知ってるタピオカって、のどに刺さるようなものではないのですが?」


 笑い声が聞こえる。

 相手を小馬鹿にしたような笑い方だ。


『水木、さてはお前、タピオカを食べたことないな?』


 優越感に満ちた、確信に満ちた発言だった。

 残念な人だ。


「ありますけど?」

『無理せんでええぞ。べつに恥ずかしいことでもなんでもないんやからな』

「いえ、ほんとに、何回もあります」

『ほんまか~?』

「ええ、この前も社長のお嬢さんといっしょに──」

『いや、ちょっとまてや』

「はい?」

『なんでお前、うちの娘といっしょにおんねん』

「呼び出されたんですよ」

『……どういう関係や?』

「便利な兄さん扱いですよ。これまで社長の代役で、送迎やら撮影やらやってきましたから。そんなことより、社長のほうこそ、タピオカを食べたことないですよね?」

『あるよ。のどに刺さったいうてるやんけ。というかお前、そんなことで流せるとおもうなよ? ちょっとあれや、娘に確認するから、いっぺん切るぞ』


 通信が途切れた。


「ああっ、くそっ!」


 悪態をついた。後悔が襲ってくる。いつもの様子に安堵して気がゆるんだ。不毛な会話に終始してしまった。いますべきことはなんだ? 社長に問いただして、事実関係を確認しなければならない。もしも犯罪組織と関わっているのならば、すぐにでも関係を断ってもらわねばならない。


「……簡単じゃない」


 相手は暴力をいとわない。警察はダメだ。危険すぎる。裏切り行為とみなされれば、社長はもちろん、社長の家族まで命を狙われるかもしれない。金で解決するしかない。それで会社が倒産するとしても、やり直すことはできるはずだ。


 振動が伝わる。コールに応える。


『ぜんぜん出よらへんねんけど!?』

「……お嬢さん、着信拒否されてますから」

『親やのに!?』

「そうされるだけの、心あたりはありませんか?」


 いろいろあるはずだが、決定打を思い出してほしい。酔っていたとはいえ、娘の友人に抱きついたのだ。失禁するほどの恐怖を植えつけたのだ。示談に持ちこむのが大変だった。家族から拒絶されてもしかたない。当たり前といってもいい。さすがに理解できたのだろう。返答がない。


「社長、いまはそんなこと、どうでもいいんです」

『そんなことて』

「過去よりも未来、いえ、現在すべきことがあります」

『……まあ、そやな』


 心を落ちつかせるため、一呼吸おいた。


『とりあえず、残ったタピオカをさらえるわ』

「違います!」


 くそっ、イライラする。


『なんでお前がキレとんねん! そないしてまでタピオカを否定したいんか!?』

「違いますよ!」

『もうええ! お前は何回も食べたかもしれへんけどな、こっちは人生初なんや! 最後まで食わせろや!』


 通信が途切れた。


「ああっ、もう!!」


 叫んだ。フロアをうろついた。

 吠えて、呼吸をととのえて、頭にのぼった血をおろした。


「……落ちつけ。犯罪組織と関わっているとしても、最悪、秘密を守っているうちはいい」


 この場合、社長の数ある欠点のなかでも、口の軽さは最悪だ。キャバ嬢やホステスにおだてられ、景気よく酒を飲んでいたはずだ。羽振りのよさは隠せない。ぜったいに理由をたずねられる。どこかで口を滑らせている可能性は大きい。


「まだ猶予はあるはずだ」


 いずれ情報は出まわるだろう。

 社長の命が危ないのは、情報漏えいが犯罪組織に伝わったとき。

 それまでに手を打てれば……


「……人生初のタピオカ?」


 タピオカを知らない社長をだまして、なにかを食べさせた奴がいる?

 なんのために?

 イタズラ?

 愉快犯?

 嘘がバレたとき、社長は怒るはずだ。笑ってすませるはずがない。本気で怒るはずだ。通っている店のキャバ嬢やホステスなら、社長の器の小ささを嫌になるほど知っているはず。イタズラをしかけるとは考えにくい。

 休暇中の社長は、いま、どこで食事をしている?

 誰といっしょにいる?


「……まさかな」


 電話をかける。十回目のコールでつながった。


『しつこいな、もう、なんやねん』

「だれですか?」

『だれて、社長ですけど?』

「社長にタピオカを食べさせた相手です。何者ですか?」


 声を詰まらせたのがわかる。


「お店の女性ですか? ぼくらの知ってる人ですか?」

『なんでそんなんいわなあかんねん』


 後ろめたい関係にちがいない。


「騙されてます」

『はあ?』

「まさかとはおもいますが、社長、誘い出されたりしてませんよね?」

『なんやねん、さっきから』


 もうすでに、情報漏えいが伝わっていたとしたら?

 口車にのせられて、誘い出されたとしたら?

 制裁の準備が、はじまっているとしたら?


「適当に言い訳をつくって、いますぐそこから撤退してください!」

『できるかそんなもん!』

「できるでしょう!? 口だけは達者じゃないですか!」

『お前ひどいな!?』

「社長!!」


『ええかげんにせえ!! 女子大生やぞ! 女子大生とのチャンスを捨てられるわけがないやろが! もうすぐトイレから戻ってくんねん! 全力で集中せなあかんのじゃ! もう二度と電話してくんな!!』


 通信が途切れた。





 雄叫びをあげようが壁を蹴りつけようが、手遅れだった。電源を切っていたらしく、何度コールを繰り返しても、社長にはつながらなかった。翌日になっても連絡がとれず、奥さんとも相談して警察に連絡した。

 三日後、社長の遺体がみつかった。

 ホテルのベッドで倒れており、苦しみと驚きの表情で固まっていたそうだ。


「……女子大生って、お嬢さんぐらいの年齢じゃないですか。発情するのはあきらめるとしても、どうしたら好意をもたれると勘違いできるんですか。なんで騙されてることに気づけないんですか……」


 社長の遺体をまえにしても、涙はでなかった。


 外傷はなく、死因は薬物による心臓発作とみられている。胃のなかは空であり、なにを食べたのかはわからない。警察はいっしょにホテルに入ったとみられる若い女を捜査しているが、どこのだれなのか一年が経過してもわかっていない。社長がホテルに行く前にどこで何をしていたのか、なにを食べていたのかは、捜査中であるとして教えてもらえなかった。


 会社は奥さんが新社長におさまった。

 新社長のもと、まっとうな経営をするためにも、先代社長の不正行為を警察に報告している。

 退職届は受理されなかった。


 なんとか倒産はまぬがれて、社員一同、懸命に働いている。新社長は、先代のように無駄な出費をせず、セクハラやパワハラといった悪質な行為をしない。仕事環境が大幅に改善された結果、たった一年で業績が回復している。


「水木さんが社長でええと思うねんけどねぇ」

「いえ、自分は補佐役が向いていますので」

「わたしも社長には向いてへんよ?」

「先代と比べて苦労は十分の一、収益は三倍になっていますよ」

「それはあの人がひどすぎただけとちがうの?」


 奥さんとお嬢さんの三人で、先代社長の墓に花をそなえた。


 お嬢さんが入社するとか、先代がいないだけで会社は安泰だとか、家のなかが清々しいとか、涙がでそうになる家族報告を聞き流しながら、先代の墓に供え物をする。


「水木さん、なんでタピオカミルクティー? あのひと、そんなもん飲んだことすらないとおもうよ?」

「ええ、だからですよ」


 愚かで残念な人ではあったが、拾ってもらった恩義はある。

 救えなかった後悔がある。

 一年が過ぎたところで、忘れられるものではなかった。


「社長……あのとき、なにを食べていたんですか?」


 死者の声をきくことはできない。

 たぶん魚類なんだろうなと、想像することしかできないでいる。

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