第3話 メイドのキュール
ロンソール王国より北方に位置するシャンドゥール帝国の小さな村にヒスクは密かに別邸を用意していた。
魔王は魔法で見た目を人間に変えて、角もなくなっている。
「別邸ねぇ。イメージしていたのとは全然違って、あれは掘っ立て小屋と呼んだ方が適切だぞ」
「これでも苦労したんだぞ。国王や側近がもう少しまともだったら、こんな保険を打つ必要もなかったしな」
ヒスクはシャンドゥール帝国の役人とつなぎをとって、村の土地を買って掘っ立て小屋を構えていた。
目立たずに隠居生活できるところは候補に挙がったこの村であった。
二人は掘っ立て小屋の前に立つと、魔王は腑に落ちなかった。
「お前も騎士団長の立場なら、国王や国政に発言する機会はあっただろうに」
「俺にそこまでの力はないよ。国王の周囲には権力の巣窟で発言できる人間も限られていたよ。下手に俺が口を挟めば、上層部に不穏分子として暗殺されていただろうよ」
「打つ手なしだったってことか。人間の欲望って恐ろしいな」
「魔王のお前に言われたら、ロンソールも本当に風前の灯かもな。欲の波に飲まれて俺も溺れ死ぬところだったよ」
「そう考えると、召喚に応じてよかったよ。沈没船から親友を助けることができたからな」
「……マジでありがとうな。立ち話もあれだから、中へどうぞ」
ヒスクは正面扉を開けると、中央の居間にメイド服姿の女性が一人立っている。
メイド服姿の女性は二人に気付くと、出迎えるようにして近付いてきた。
「ヒスク様。お待ちしておりました」
「キュール! お前、どうしてここに?」
「ヒスク様がお越しになると思いまして、掃除をしていました」
「いや、屋敷にいる執事やメイドには暇を出しただろ」
ヒスクはキュールと言うメイドに困惑した表情を隠せないでいる。
ロンソールと見切りを付けるために、ヒスクは自分の屋敷に仕えていた執事やメイドを十分な報奨金を渡して解雇していた。
ヒスクとキュールには最早、主従関係にはない筈だった。
「私は先代からずっとマクシャル家に仕えたメイドです。亡き父は当主になられたヒスク様に忠誠を尽くせと言葉を残してこの世を去りました」
「私はマクシャル家を捨てた身だ。家名の面汚しと罵られても仕方がない立場だし、忠誠どころかお前は私に怒りを覚えているだろ?」
「ヒスク様は国の未来はないと判断して、我々に暇を出されたのでしょう? その判断は正しいと私は思います。周囲の人間はヒスク様の悪評に踊らされても、私の忠誠心は変わりません。どうかこのキュールをヒスク様に仕えることをお許し下さい」
「……こんな疫病神に仕えても、今までのような給金はまともに払えないし、ロンソールの連中に目を付けられて危険な目に晒されるかもしれない。それでもいいのか?」
「覚悟の上です。必ずお役に立てて見せます!」
「……分かったよ。そのかわり、もう主従関係はやめだ。私の事はヒスクと呼び捨てにしろ。その条件を呑んでくれたら、傍にいてもいいよ」
ヒスクは真っ直ぐキュールの瞳を見つめると、誠意を示してキュールの返事を待つ。
ヒスクとしてはキュールをマクシャル家の呪縛から解いて、彼女の人生を尊重してあげたい。
一歩引いたところで魔王は二人のやりとりを邪魔にならないように見守っていると、キュールはヒスクの手を握って答えを出した。
「ヒスク!? これが私の答えですよ。これで、あなたの傍にいる資格ができましたね」
「……バカ野郎が。どうなっても知らないからな」
ヒスクはそのままキュールを抱き締めると、しばらく二人は何も語らずにいる。
魔王は空気を読んで、静かにその場から離れて雲を見上げていた。