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 ジルベルトの執務室は、どこか雑然としていた。側近たちの雰囲気も、少しだけ荒れているような気がする。その中心にいる人物も、以前よりも表情は抜け落ちて、触れれば指先が凍りそうな冷たさを醸していた。

 エレノアは入室を躊躇しかけるものの、ぐっと堪えてジルベルトの執務机の前まで歩を進め、礼を取る。

「ご無沙汰しております、陛下。陛下におかれましては、ご機嫌麗しいとは言い難そうですが……」

 ジルベルトは一度だけエレノアの顔を見やり、すぐにまた手元の書類に視線が落とされる。睫毛の影が落とされる目の下には、エレノアと同じようにうっすらとだが隈が見てとれた。

「貴女も、ご機嫌麗しくはないのでしょう」

「ええ、そうですね。近頃、寝不足気味で……」

「そうでしたか。それでは、不眠に効くという香をすぐに用意させましょう。今からでもお休みになるといい」

「お気遣い、痛み入りますわ。けれどわたくし、陛下とお話しなくてはと思いまして、参りましたの」

 暗に下がれと言うジルベルトに、エレノアは食い下がる。ただ挨拶をして帰るだなんて、失礼を覚悟で突然執務室に赴いた意味がない。

 短くはない沈黙が身体に刺さるのを耐えていると、今度は静かなため息が刺さった。


「私が恐ろしいでしょう? 無理をせずとも、よいのですよ」

 目を合わせることもなく告げられた言葉と、恐ろしいのだと怯えて当然と思っている態度。だから、二週間もエレノアとの触れ合いを絶ったというのか。

 エレノアの向こう見ずな行動に、呆れや怒りを覚えているのだと思っていた。だから、二週間も大人しく引き下がっていたのだ。だって、その怒りは当然のものだと、エレノアは考えていたからだ。

 それなのに、まるでエレノアを気遣うかのように遠ざけていただなんて。それではまるで、


「怯えているのは陛下ではありませんか!」

 エレノアの言葉か、はたまた怖いもの知らずにもふつりと沸いた怒りに任せて重要書類の並ぶ執務机を両手で叩いた行動にか、ジルベルトが僅かに瞠目し、ようやくエレノアに視線を向けた。

「怯える? 私が?」

「だからわたくしに会ってくださらなかったのでしょう?」

「……それは貴女が、」

「恐ろしいだなんて当然です! 普通の人間は血など浴びたこともなければ、首と胴体が断たれた光景なんて見たこともないのです! 絶っっっ対にこれから先も夢に見るはずです! 今だってろくに眠れていないというのに、いったいどうしてくれるというのですか!! 責任をとってきちんとわたくしの眠りを守っていただかないと困ります、陛下!」


 エレノアの剣幕に、ぽかんとするジルベルト。

 表情の乏しいジルベルトであるが、その表情が思いの外幼く見えて、エレノアは内心で可愛いと思ってしまう。大の成人男性ましてや人の首と胴を一刀両断した人物であるのに、可愛いだなんて自分はどうしたというのか。そんな自分にも怒りをぶつけるように、エレノアは更に吐き出す。


「そもそも! あれほど見事に首と胴を切り離すほどの腕をお持ちなのでしたら、あれ以外にもやりようがあったはずでしょう?! 確かに親衛隊長殿にも止められていたのに、ひとりで行動したわたくしが悪いのは認めます。だけれども! いたずらにわたくしにあんな恐怖を植え付けるだなんて……あまりにもあんまりな仕打ちです!」

 怒りに任せてジルベルトに言葉をぶつけていると、不意に気を失う前に見た彼の姿が思い出されて、エレノアは一度息継ぎも兼ねて言葉を止めた。

 ジルベルトの口許が薄くつり上がってはいなかったか?

「わざとだったのでしょう?! 陛下は意地悪です! 意地が悪すぎます! いつもわたくしを気にかけてくださって優しくしてくださった素敵な陛下は、偽りの姿だったのですか!?」

 言わなくてもいいことまで口走った気がしないでもない。肩で息をしていると、張りつめた空気を壊すように、小さな笑い声があがった。

 ジルベルトだ。口許に拳をあてて、堪えきれないといった様子で肩を震わせている。

「……陛下」

 じとりと睨めば、わざとらしくも笑いを納めて真顔になってみせる。

「貴女の言うように、間違いなく私は意地が悪いのでしょう。貴女が部屋を脱け出したと聞いて駆けつけた時、斬りつけられようとしている貴女の姿を見て、堪えきれなかった。もう無邪気に笑いかけてはもらえないかもしれない、けれどこうして危険にさらすくらいならば、恐怖を与えて閉じ込めてしまえばいい、と……」

 恐怖で支配して、誰の目にも触れなくなれば、そうすれば……

 ジルベルトは自嘲するように笑みを浮かべた。

 恐怖を植え付けた本人にこんなにもまっすぐに怒りを表す可愛らしい妻に、きっと敵う日はこない。


 降参の意を示すように両手をあげたジルベルトに、エレノアは胡乱な目を向けた。


「エレノア」

 その声は甘く、エレノアはなぜだか夜の行為を連想してしまった。自分のはしたなさに、頬を紅潮させて涙目になる。

 その間にジルベルトはエレノアの傍にやってきて、肩に手をやり向かい合う。

「責任をとりましょう」

「はひっ、」

「恐ろしい夢を見なくて済むように、私が貴女の眠りを守りましょう」

 長い指で赤く染まる頬を撫でられる。ぞわりと全身が総毛立つ。美しく酷薄そうな笑みに見とれた。

「エレノア?」

 耳元で呼ばわれ、ついに腰が抜ける。が、ジルベルトは難なく崩れ落ちる身体を抱き止めた。

「貴女の眠りを守ることを誓います。けれどその前に、私たちは話し合わなくてはならないこともあります。さあ、行きましょう」

 つついてはいけない藪をつつき、蛇にぐるりと巻き付かれ、今にもその鋭い牙を揃えた口に丸呑みにされる獲物の気分だ。いや、きっと気のせいだと現実逃避にエレノアは緩く首を振る。

 横抱きにされ、エレノアはジルベルトのなすがまま、国王夫妻の寝室へと運ばれていく。



 一連の流れを、じっと気配を消して見守っていたベルナルドやジルベルトの側近たちは、肩を竦め合って、エレノアに同情しつつ、ジルベルトが執務を放り出したことで増えた仕事に目を遠くするのであった。

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