3
大聖堂へと続く控えの間。目の前の重厚な扉を潜れば、いよいよ後戻りはできない。
今にも崩れ落ちそうな顔をしているヴァレンティノ伯爵に腕を差し出され、エレノアは純白の絹手袋に包まれた手を添える。
「何ということだ、ついにこの日が来てしまった……」
父であるヴァレンティノ伯爵を見れば、処刑台へと続く道を辿るようで、うんざりする。
親族とともに既に大聖堂の前列に並んでいる兄も、きっと父と似たり寄ったりなこの世の終わりとでもいうかのような表情をしているに違いない。
「なぜこんなことに……なぜ……」
この期に及んで王宮からの護衛騎士も側に控えている中での発言に、ため息を禁じ得なかった。
「お言葉ですがお父様、娘の晴れ舞台にそのような態度では、きっと一族で仲良く海を泳ぐ日も近々ですわね。いい加減に往生際が悪すぎます。腹を括ってくださいませ」
添えた手でヴァレンティノ伯爵の腕をつねり上げれば、小さく悲鳴が上がった。
「エレノア……」
「これからわたくしは、民を守り導くお方の元へ嫁ぐのです。何も恐れることなどありませんわ。王妃になるとは夢にも思わず、勉強不足であることは否めませんが……」
ベールの下、毅然とした態度で胸を張る。
「お父様やお兄様にご迷惑をおかけするやもしれません。それでも、やれることはやるつもりです」
「これまで大切に育てていただき、ありがとうございました、お父様。わたくし、きっと幸せになってみせますわ」
微笑もうとして、頬がひきつり失敗する。本当は緊張していた。そのことに今気づいて内心苦笑する。
ヴァレンティノ伯爵も気づいただろうが、何も言わず、いくぶんか表情を引き締めた。
「エレノア。たとえ王妃陛下になられようとも、お前は大切で可愛い娘だ。いつだって、お前の幸せを祈っているよ」
愛しげに言葉をかけられて、少しだけ鼻の奥がつんと痛んだが、気づかないふりをして前を向いた。
扉が開き、エレノアはヴァレンティノ伯爵のエスコートで真っ青な絨毯を歩みだした。
真っ青なバージンロードは永遠を意味するという。その先には、永遠を誓う相手がエレノアと同じように白を纏い、こちらを見守っている。
祝福の女神が彩られるステンドグラスから注ぐ柔らかい光を受けて、エレノアを待つその人の姿は、逆光で見えづらい。
父の手からその人へと託された時になってようやく、表情がうかがえた。
濡れ羽色の髪は丁寧に後ろへ撫で付けられ、王族のみが持つとされる紫の瞳で静かにエレノアを見下ろす。特になにがしかの感情は読み取れず、一瞬の時間視線を交じり合わせた二人は、祭壇の前で大主教に向き直った。
大主教の長い祝福の言葉は、緊張するエレノアの耳を素通りする。ようやく終わる言葉の後、二人は大主教の持つ聖典へと手を添える。
厳かな空気の中、大主教の誓いの問いかけが響く。
それに国王は淀みなく応えた。
「汝を妻とし、今日よりいついかなる時も共にあることを誓います。
幸せである時も、困難である時も、病める時も、健やかなる時も、死が二人を別つまで、慈しみ、敬い、守り、誠実であることを誓います」
低く太い声で紡がれる宣誓。けして大きな声ではないが、よく響いた。そこにもちろん愛情は感じられないが、丁寧に紡がれる宣誓にしっかりとエレノアへの気遣いが感じられて、少しだけ緊張が和らいだ。
次に大主教から誓いの問いかけをされたエレノアは、ちらりと夫となる国王を見て、微笑んだ。微かに国王の肩が揺れたような気がしたが、射し込む光の反射によるものか。前を向いたままの表情に変化は見られない。
「わたくしエレノアは、ジルベルト・レ・イグレシアを夫とし、未来に渡り、幸せな時も、困難な時も、病める時も、健やかなる時も、死がわたくしたち二人を別つまで、慈しみ、支え、従い、愛することを、誓います」
誓いののち、二人は向かい合い、国王がエレノアのベールをそっと持ち上げた。薄く形の良い唇が、そっとエレノアの唇に降ってきた。羽のように軽く触れて、すぐに離れていく。
「今この時より、ジルベルト国王陛下とエレノア王妃陛下の婚姻が神に認められました。新たなる夫婦に、そしてジルベルト国王陛下の治世に幸多からんことを――」
大主教の宣言に、見守っていた人々から拍手喝采が送られる。
ここに、二人は夫婦となり、心を通わせていくこととなる。