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ヴァレンティノ伯爵領は綿産業が盛んであり、良質な綿製品は国内外に人気が高い。秋には一面に広がる綿畑は雪のように真っ白に染まり、その不思議な光景に観光地としても人気がある。派手さはないが素朴で活気のある領地である。
そんな土地を治めるヴァレンティノ伯爵は穏やかな性格をしており、重い税を課すこともなければ不当に領民を虐げることもせず、必要があれば領民の話に耳を傾ける、領民にとって良き統治者であると言えた。
代々ことなかれ主義で、野心に燃えることもなく過剰に華美な生活を望むこともなく、可もなく不可もない生活を送ることができれば良しとしてきたため、自然と領民から慕われるようになったわけだが。
ヴァレンティノ伯爵と嫡男ルチオは、普段は王宮で仕事をしているが、エレノアは領地に残り屋敷の管理を家令とともに行いながら慈善活動を行っている。伯爵夫人はエレノアが幼い頃に儚くなっており、成人後は彼女が女主人の代わりとなり出来る限りの切り盛りをしてきた。そんな彼女もまた、領民に慕われており、今回の結婚話は、同情を多分に含んで語られた。
あれから何度か国王から手紙が届いているが、式の準備は滞りなく進んでいるそう。通常の結婚であれば様々な準備があろうが、この結婚は異例の早さで行われるため、全て国王がそれらをおってくださる。そのため、エレノアが特に介入することもなく、彼女は屋敷管理と慈善活動の引き継ぎを家令と行い、王宮への荷造りを急ぎ行うのみである。
そして今日は、慈善活動の一環である孤児院への訪問の日。
侍女と護衛の数人を伴いやってきたエレノアに、中庭で遊んでいた子どもたちが気づいてわらわらと取り囲んだ。
「エレノア様、こんにちは!」
「花冠をつくって、遊ぼう」
「絵本を読んでほしいな」
「今日もお菓子持ってきてくれた?」
「これ、あなたたち! エレノア様を困らせてはなりませんよ」
元気な子どもたちに両手を引かれて、孤児院へと入れば、孤児院の長である初老のシスターマリベルが出迎えてくれた。
「ご機嫌よう、シスターマリベル。子どもたちは相変わらず元気で何よりです」
「ご機嫌よう、エレノア様。皆、貴女様の訪問を楽しみにしていました。どうぞ、まずはこちらへ」
挨拶を交わし、一番年長の子どもに持参した菓子の入った籠を渡した後、エレノアはシスターマリベルに応接室へと通された。
「この度は、ご結婚なされるとのこと。お喜び申し上げます」
向かい合ったソファで、何か他にも言いたげな様子のシスターマリベルに、エレノアは微苦笑をもらす。会う人会う人、だいたい皆似たような態度だ。
「ありがとう存じます。これまでのようにここへ足を運ぶことは難しいと思いますが、きちんと伯爵家のものに引き継ぎをしますので、ご安心くださいね」
「お心遣い感謝いたします、エレノア様。ですが、そうではないのです。もちろん変わらぬ支援をお約束していただけることは、子どもたちのためにもとてもありがたく感じております。これまでも、エレノア様の細やかなお気遣いにより、皆明るく健やかに成長することができて……。ですのに私たちにはエレノア様にそのご恩をお返しすることもできない」
まるで今生の別れでもするつもりなのか。シスターマリベルは悲痛に語る。
とは言え、エレノアの結婚相手は首斬りの王と名高い国王陛下である。
建前上、年齢的にも身分的にも釣り合うヴァレンティノ伯爵令嬢エレノアが選ばれたとされているが……
首斬りの王に嫁ぐこと、それは死刑宣告に等しく聞こえることだろう。御不興を買えば首が落ちる。積極的に娘を嫁がせたいと思う家は多くなかったのも事実。
そして、味方勢力からめとれば未だ潜む政敵側からいらぬ反発を受ける。かといって、政敵でないと言い切れない家からめとれば、寝首をかかれる危険も。
百人はくだらない粛清ののち、王宮はかつてない人手不足だ。いらぬことに手を煩わせる時間も労力もないが、妃もおらず他に王位継承権を持つ存在がいないイグレシア王国では、国王の婚姻ならびに世継ぎ問題は早急に片付けなければならない問題であった。
そこで選ばれたのが、長らく中立の立場を守り、野心もなく仕えてきた可もなく不可もない微妙な、いや絶妙な立場のヴァレンティノ伯爵家だった。
子どもたちと時に無邪気に笑い合うエレノアが、血生臭い国王の元へ嫁ぐ。神はなんて悲しい運命を課したのだろうとシスターマリベルが涙ぐむ。
エレノアは微苦笑を深めた。
「恩返しだなど……。ですが、子どもたちが笑顔で過ごし、未来へ希望を持って進んでもらえることが、いずれは領地のためにもなります。それこそが、最高の恩返しですわ。そもそも、父や兄の代わりに行っているこの活動は、貴族として当然の義務なのです。ですからどうかわたくしのことは気にせず、これからも子どもたちのために、孤児院をよろしくお願いいたします、シスターマリベル」
「エレノア様……」
シスターマリベルにひとつ頷いて見せたところで、応接室の扉が開いて子どもたちが顔を出す。
「エレノア様、もうここには来れないの?」
「怖い王さまと結婚するの?」
「エレノアさま、かわいそう」
「会えなくなるの、嫌だよ」
不安げな子どもたちに、エレノアは視線を合わせるためソファから腰をおろした。
「確かに、怖い王様かもしれない。けれど、悪い家臣たちをやっつけた王様でもあるのよ。そのお陰で、重い税で苦しんでいた民は解放され、悪い家臣たちから平民が不当に虐げられることもなくなった。怖い王様などと、いたずらに脅えることはないのよ」
子どもたちにもなるべく解りやすいように、簡単な言葉でさとす。
エレノアにも国王について語れることは正直多くはないのだが。首斬りの王と呼ばれるようになった国王であるが、粛清された貴族たちは王宮での暗殺や賄賂、重すぎる税徴収についての書類改ざん、隠蔽等々、前王の時代から不正を働き続けてきた貴族だと言う。斬首を陛下自ら行い、落ちた百以上もの首を晒してみせたのは過激が過ぎるが……それは今子どもたちに語る必要のない話ではある。
エレノアの言葉に、シスターマリベルだけでなく部屋の隅で控えていた侍女や護衛たちもハッとする。
「今までのように、あなたたちに会いに来ることはできなくなるけれど、きっと夫となる陛下と一緒に、また会いに来るわ。それまでシスターマリベルの言うことをよく聞いて、良い子にしているのですよ」
「はーい」
「約束ね、エレノア様!」
「ねえねえ、エレノア様、絵本読んでよ」
「えー、お外で遊ぼう」
笑顔を取り戻した子どもたちに手を引かれて行くエレノア。
シスターマリベルはその背に、感謝と祈りの印を結ぶのだった。