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王女の出生

 ソフィエンは言葉を呑み込んで、魔王ヴィルハーレンが囁くに任せている。

「ワシも考えんではなかったが、あれだけの者たちを操るにはかなりの精神力を要する……呪文の詠唱の間は、他のことは一切に見えなくなるのだ。だから、死んだふりをしておったモードレでさえも、これには踏み切れなんだ」

 察しのよい娘なのだろう、モードレを討つ最大の機会を逃すまいとばかりに凛と立ち上がったソフィエンだったが、魔王に制止された。

「お前に手を汚させたくはない……そもそも、お前に人が殺められるのか? この城のどこへ逃げたかも分かるまい。」

 悔しそうにすがりついてくるソフィエンの髪を撫でてやることもしないヴィルハーレンは、孫娘に詫びた。

「ワシは……最後に巡ってくるかもしれん好機を待っておる。それは……」

 ソフィエンが闘う勇者たちを見つめているのを察したのだろう、魔王は最後の一言を口にすると、再び口を閉じた。「最後の好機」のために力を温存しているのであろう。

 だが、その期待は裏切られた。

「とどめだ、マリー!」

 サンディの雄叫びと共に、錫杖を抱えたマルグリッドが斧で吹き飛ばされて倒れた。ランバールはまだ戦っているが、渾身の力を振るって斬り込んでくるメルスの剣をさばきかねている。

 だが、サンディが背後から、突然襲いかかってきた。

「次はラン! お前だ!」

 ふりむきざまにサンディの斧を受け流したランバールだったが、メルスもその隙を見逃しはしなかった。

「ボクの勝ちです!」

 もともと魔王の持ち物だった剣が、勇者を襲う。きわどいところでかわしたランバールだったが、どこからか石打機プロッドで発射されたらしい石が、凄まじい勢いでその頭を打った。前にのめったところでサンディの斧が更に頭の後ろ側をかすめ、勇者はその場に倒れ伏した。

 あまりの呆気なさに、斧を振るった本人が唖然としたくらいである。

「え……何が……え?」

 もちろん、勇者は死んでなどいなかった。だが、頭をさすりながら起き上がったところへ、さらに追い討ちをかける者たちがいる。その姿を見たメルスもまた、言葉を失った。

「これは……!」

 短剣や棍棒、唐竿フレイルなどで武装した魔族たちが、虚ろな目で襲いかかっていたのだった。不意打ちに次ぐ不意打ちに、ランバールもいささか戸惑ったようだった。

「何だあ? こいつら」

 そう言っている間に、エントランスで倒れていた者たちが、バルコニーから下りてきて後に続く魔族たちと共に、ランバールへと一斉に襲いかかった。

 事の次第が分からないサンディは両手に斧を携えたまま、まごついていた。魔族と共にランバールに打ちかかろうとしては足を止め、逆に勇者をかばおうとしては、いつのまにかモードレを探すかのように辺りを見渡す。しまいには、戦う相手を失った少女剣士に向き直った。

「おいメルス、どうすりゃいいんだ!」

 もう、嬢ちゃんとは呼ばない。その技と戦いぶりを認めているのだろう。だが、そのメルスにしても魔王の剣を手にしたまま、袋叩きにされるランバールを見つめているばかりである。

 魔族たちの動きは鈍く、ランバールが手にしたメルスの剣1本でも攻撃を凌ぐことはできるが、相手の殺傷までは及ばない。勇者は最初の投石で受けた衝撃から立ち直れないまま、次から次へとやってくる魔族たちに、わずかずつではあるが身体を傷つけられていく。

 やがて、メルスが動いた。ランバールに棍棒を叩きつけようとしていた魔族の背中に向けて、魔王の剣を振り下ろす。

「やめろ!」

 叫ぶサンディの斧が、その刃を受け止めた。今までの迷いを振り払うかのように理屈を言う。

「オレたちはもう、こっちについたんだぜ」

「ボクは勇者と戦いたいだけ。邪魔すると斬るよ」

 淡々と答えたメルスが叩きつける剣が、サンディの構えた斧とぶつかって火花を散らす。

 それが聞こえているのかいないのか、魔王ヴィルハーレンは孫娘の膝の上で倒れ伏したまま尋ねた。

「どうなっている?」

「どうにも……ならないようです」

 答えになってはいなかったが、それが答えだった。宿敵ランバールは倒されてなぶり殺しの目に遭い、その勇者に刃向かったはずの2人の女は同士討ちを始める。最後の女は、魔王のコートに身を包んだまま倒れ伏している。

 今や無防備の極みにある僭王モードレを探し出して討てる者は、誰もいなかった。最も皮肉な形で、モードレは一か八かの賭けに勝ったのだ。

 魔王は、苦しい息の下でソフィエンに囁いた。

「逃げろ……お前ひとりで」

「できません、そんな!」

 真っ向から拒む孫娘を、魔王は諭した。

「このままモードレごときの餌食になることはない……人間界に戻って、ひっそりと生きよ」

「私は……ヴィルハーレンの子、魔王エイボニエルの娘です。それはできません」

 ソフィエンは、勇者に倒された亡き父の名前まで引き合いに出した。口に出すのも辛い名前であったろうが、魔王もそれを察したらしい。それ以上は説き伏せることをせず、戦神の僧侶に水を向けた。

「生きておるか」

「ええ、何とか」

 マルグリッドは笑っているようである。魔王も気が楽になったのか、苦しい息の下で告げた。

「死ぬ前に……聞いてもらいたいことがある」

「お爺様!」

 ソフィエンの叱る声など気にも留めず、マルグリッドは魔王の願いに応じた。

「ええ、もう最後ですから……何でも聞きますよ」

 だが、魔王にも迷いがあるのか、しばしの沈黙が続いた。

 その間、女戦士と少女剣士が無益に刃を交わす音だけが空しく響き、立ち上がる力も失った勇者は、魔族たちが思うままに打ちのめす身体を右に左に揺すりながら、どうにか致命傷だけはかわしていた。

 やがて、魔王ヴィルハーレンは最後の決断を下した。ためらいがちにではあるが、一言一言を選ぶようにして語りはじめる。

「ワシは……真実を偽っておった……魔族の王でありながら」

「魔族には魔族の誇りがあるのですね」

 優しく応える尼僧に、更なる告白が続く。

「ソフィエンは、魔界にいるべきではないのだ」

「お爺様、どうして?」

 魔王は孫娘の問いには答えるまいとするかのように、一息で重大な事実を口にした。

「ワシの孫ではないからだ」

「分かりません、お爺様、どういうことなのです!」

 身の置き所に関わる話だけに、ソフィエンは魔王にすがりついた。魔王は顔を伏せたまま、あくまでも戦神の尼僧への告白という形を崩すことなく語り続ける。

「魔界で勇者ランバールの娘を守るためには、仕方がなかったのだ」

 そこで息を呑んだのは、ソフィエンだけではなかった。本人よりも一瞬早く、マルグリッドが口を開いていた。

「今……何と?」

「ソフィエンは、ワシの孫ではない。勇者ランバールの落としだねなのだ」

 それまでエントランス中に響き渡っていた剣戟の音が止まった。聞こえるのは、モードレの詠唱する呪文だけだ。倒すなら今なのだが、それに考え及んだ者は誰もいなかった。衝撃の事実に、自分が何をしているのか忘れてしまったかのようであった。

「どういうことですの?」

 コート一枚羽織っただけの身体を、マルグリッドは重たげに起こした。

「どういうこと?」

 メルスとサンディの2人が、各々の口を同時に開いて尋ねた。

「どういうことだ!」

 まとわりつく魔族たちをまとめて弾き飛ばしながら、全身の傷から岩清水のごとく血を流したランバールが立ち上がる。そこへ、魔王ヴィルハーレンは恐らく本人しか知り得ないであろう事実を告げた。

「おぬし、我が息子エイボニエルを討とうとベルクレースイの諸国を放浪しておるときに、行きずりの女と一夜を共にしたろう」

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