ちえちゃんの彼女の心は男
私、赤城智絵には彼女がいる。そしてその彼女のことが悩みになっている。
名前で分かるかもしれないが、性別は女性だ。
私はいわゆる『性的少数者』とか『セクシャルマイノリティ』と呼ばれる分類に入る。世間的にはレズビアンとか、同性愛者とか、そんな呼ばれ方をしている。
好きになる人が同性であるというだけで少数者、マイノリティだと扱われるのは正直心外だ。
好きの形は人それぞれと思うし、少数者というならロリコンとか縛られて喜ぶ人の方が少数だろうなんて思うのだけれど、きっと他人からすれば同じ穴の狢に見えるのだろう。
閑話休題、そこは本題じゃない。
私の悩みは性的少数者と呼ばれる存在であることでも世間体でもない。もっと深くて、難しい話。
「ちえちゃん、どうしたの?難しい顔してるよ?」
私のことをちえちゃんと呼ぶのは白河七海。私の彼女だ。智絵だからちえ。あだ名というよりただの読み間違えにしか受け取れないが、彼女はその呼び方を気に入っているらしい。私も、嫌いではない。
「別に、ちょっと考え事してただけよ」
「そう?もしかしたら、この間の話、気にしてるのかなって思って…」
ビクッとしてしまった。
『この間の話』、それこそが私の悩みの種。そしてそれは、彼女にとっても。
「急に話をしてびっくりしたよね、ごめんね」
「そんな!七海が謝ることじゃないわ!」
私の悩み、それは。
「でもね、『ボク』はやっぱり、女の子じゃないんだよ。身体は女でも、心までは」
彼女は私と同じ同性愛者ではなかった。
身体と心の性別が違う、トランスジェンダーだったのだ。
◆◇◆◇◆
性的少数者、とか一括りにされているのだけれど、 ゲイ・レズビアン・バイに比べてトランスジェンダーだけ別物なんじゃないかなってボクこと、白河七海は考える。
だってそうでしょ?前者3つはただ好きになる“相手”が違う。バイセクシャルは相手が広いというべきなのかもしれないけど。
でも“トランスジェンダーは“自分”の認識している性別が違う。
ボクの場合、心は男なのにたまたま身体が女の子だった。
自分自身が違うんだよ、自分の身体じゃないような違和感・嫌悪感。
そしてボクは、広義で言えばトランスジェンダーだけど、狭義で言えば性同一性障害と言えると思う。
ボクは身体も男になりたい。
いつか親にも打ち明けて、然るべき措置をとって、身体も男にするのがボクの願望。
だったんだけど。
先日この話をちえちゃんに打ち明けたんだ。
ちえちゃん。ボクの彼女。
凛とした顔つきにすらっと長い黒髪。折れてしまいそうなほど細い四肢。
ずっと遠くから見ていた。
初めて会った時から見惚れていた。
『こんなこと言うと、あなたが離れてしまうのかもしれないけど…。それでも私は、あなたの事が好き!!』
ある日ボクは、そんなちえちゃんから告白されて。
嬉しくて、どうしようもなく嬉しくて、泣いてしまった。
だけど少し迷った。
だって、きっと彼女の好きな『白河七海』は『ボク』じゃなくて『あたし』の方だ。男の『ボク』じゃなく、女を演じている『あたし』。
でも、ボクは言い出せなくて、それでも彼女が欲しくて。
『あたしも、ちえちゃんのことが好きだったの』
そう口にしてしまった。
ずるいとは思った。彼女を騙すことになるとも考えた。
それでも、それでもボクはちえちゃんに好かれたことが嬉しくて、ちえちゃんの好きな『あたし』を演じることにした。
それからの日々は幸せの連続だった。叶わないと思っていた願いが叶ったのだから。
だけどそれと同時に心も痛んだ。
ちえちゃんといると、よく同じ話をする。
『男は気持ち悪い』
『男は女を自分の都合のいい人形としか思っていない』
『電車に乗れば痴漢する、お酒を飲めば連れ帰る。下半身に脳がある存在』
彼女は男を毛嫌いしていた。もちろん、学校ではそんな素振りを見せていないが。
過去に何かあったのかもしれないし、父親が酷い男なのかもしれない。
でも、ボクとしての問題は彼女が男を嫌うところ。
身体は女でも、心は男であるボクは、ちえちゃんの敵ではないんじゃないだろうか。
むしろ彼女が嫌う男であることを隠して彼女と付き合うなんて、嫌われてしまうんじゃないだろうか。
そんな気持ちは次第に大きくなっていった。
悩んで、悩んで、悩んで。
そして、打ち明けることを決めた。
『ちえちゃん、実はボク、心は男なんだ』
最初は彼女は笑っていた。冗談だと思ったらしい。
でもボクが真剣だと話すと、彼女は驚き、困った顔をしてしまった。
そして、何か言い出そうとしたのが怖くて逃げ出した。
騙した上に、裏切った上に、逃げ出す。
最低だよな、って自己嫌悪してしまう。
それから休みが明けて、朝は軽い挨拶。授業中はずっと見ていたけど上の空。話しかけるのが怖くて休み時間はずっとトイレに逃げてしまった。
そして放課後になって、人が帰り、ちえちゃんとボクだけが残る。
もう逃げないと心に決めて話しかけた。
「ちえちゃん、どうしたの?難しい顔してるよ?」
◇◆◇◆◇
「正直に言えば、ショックだったわ」
沈黙が嫌で、口を開く。何を話していいのかわからなくて、私は正直な気持ちを口にした。
私自身混乱していて、まだ整理がついていない。そんな話題なのだから。
「私はあなたのことを女だと思っていたし、男の人のことは怖くて気持ち悪くて嫌い。そんなあなたが実は心は男だなんて告げられて戸惑ってる」
口にしてから、七海の顔を見る。
するともう、彼女は泣いていた。
あぁ、待って、違うの。そう口にしたいけど言葉が出てこない。何が違うというのか、何も違わないじゃないか。
でも違う、彼女を、七海を傷付けたかったわけではないのだ。
「そう…だよね…ごめんなさいちえちゃんごめんなさい…もう、さよならだね」
「え?ちょっと!」
七海の中での話が早い!まだ私はどうこうするなんて言ってないぞ!
走り出そうとする七海。捕まえる私。
それでも泣きながら、泣きじゃくりながら逃げようとする。何も男らしくないじゃないか。
「あはっ」
そう気付いて笑う。
男とはなんだろう。男らしいとはなんだろう。
七海は七海じゃないか。
「どうして、笑ってるの?」
七海が逃げ出すのをやめた。戸惑った顔でこっちを見ている。
「別に、なんだっていいじゃない!心は男とか言われても私にはわからないわ。でも、分かることは一つあるの。私はあなたが好き。こんなこと言うと、あなたは離れてしまうのかもしれないけど…。それでも私は、あなたの事が好き!」
未来どうなるかなんて分からない。だったら今を全力で生きるべきではないかしら。
でもどうか、今好きな人が未来まで好きでいられたらいいのに、なんて願ってしまうのです。