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それから場所を移動したルミナリエは、ヴィクトールからどういう状況であのような行動を取ったのか、また侵入者に何かされたり言われたりしなかったか、という基本的な質問をされた。特に躊躇うようなことでもなかったので、ルミナリエは淡々と答えていく。
ヴィクトールもかなり事務的な対応だったので、ルミナリエとしてはとてもやりやすかった。
その質問の中で彼が唯一反応を示したのは、「侵入者が言っていた言葉」だ。
『牢屋』
その単語に一瞬ぴくりと眉を上げ、ヴィクトールは少し考え込むような表情を見せた。
しかし特に何か言うようなこともなく、最後に一言だけ言う。
「この件は、他言無用でお願いしたい」
ルミナリエはそれに対し、ただ一言「はい」と頷いた――
*
その事件から、早三日。
ルミナリエは後宮ではなく、王都にあるベルナフィス家のタウンハウスにいた。
結局あの侵入者の一件のせいか、ルミナリエを含めた令嬢たちは実家に戻されたのだ。
ルミナリエとは違い詳しい事情を知らない令嬢たちはとても不服そうだったが、「あなたたちの身に危険が及ばないように」という理由だったので仕方がないと思ったのだろう。全員素直に後宮から出て行った。ルミナリエのようにタウンハウスがある令嬢は、そちらに移ってから実家に戻る手筈を整えるであろう。
ルミナリエがタウンハウスに残ったままなのは、国王や王妃との顔合わせと婚約発表式の打ち合わせがあるからだ。
(あれからもう三日も経ったのね……)
朝食を食べ終わったルミナリエは私室に戻り、レレリラが持ってきた新聞に目を通す。
記事一つ一つを丁寧に読み終えたルミナリエは、新聞をばさりとテーブルに放り投げた。
「やっぱり、何も書いてないわね」
何も、というのは、後宮に現れた侵入者の事件についてである。
あれだけのことがあったにも関わらず記事にならないというのは、王宮側が意図的にあの事件を隠しているということだろう。
ルミナリエは椅子に座ると万年筆の蓋を開き、紙に今日得た情報をまとめた。そのテーブルには別の紙が積み重なっており、報告書のようにまとめられている。
ここ数日、ルミナリエは後宮で起きた件が気になりこっそり調べていたのだ。
本来ならば調べるようなことではないかもしれない。だが、何かがルミナリエの心に引っかかった。いわゆるところの勘というやつだ。
万年筆の蓋を閉めたルミナリエは、今までの資料をテーブルの上に並べていく。そしてぶつぶつと、気になった点を口にした。
「まず第一に、後宮に侵入者が入ったということ。
第二に、王太子殿下が自ら動いたということ。
第三に、侵入者が発した『牢屋』という言葉。
そして最後に、国民には公表されていないという点。これらを繋ぎ合わせた結果考えられるのは……後宮に入ってきた侵入者は脱獄犯だったから。それなら、王宮側が公表しない理由も分からなくもないわ」
地下牢から囚人が逃げ出したなど、王宮側からしたら一大不祥事だ。
だけれど。
ルミナリエはこつんと指先でテーブルを叩く。
「……脱獄犯は、あの男一人だったの?」
そこが疑問だった。
だってルミナリエが捕まえた男は、その手首に魔術封じの封印具が付けられていたからだ。
脱獄というのは、そう簡単にできるものではない。魔術師は魔術が使えないように拘束具が付けられるし、物理的な拘束もするのだ。どう考えても、あの男にそれが可能とは思えない。
なら考えられる可能性は一つ。
『外から来た人間が、脱獄を手引きした可能性』だ。
(手引きしたからには自分が捕まらないように必ず外に出そうとするだろうし、単独で行動するとは思えない。そう考えると、本当の脱獄犯はあの侵入者ではないわね。誰が王宮外に出たのか判明するのを遅らせるためにわざと牢屋から出した、囮の一人かも。なら一体誰を出そうとしたのかしら?)
一人悶々考えていると――かちゃりと、ドアが開く音がした。
ルミナリエは目を見開き、紙山の中からペーパーナイフを抜き出す。そしてそれを、指先で弾くように背後に向かって投げた。
それとほぼ同時に立ち上がり、後ろを向いたまま椅子を勢い良く蹴る。くるりと踵を返したルミナリエは、そこにいた人物を見て肩の力を抜いた。
「お母様……入るときは一声かけて」
「あらぁ、ごめんなさい。ついうっかり」
そこには、舌をちろりと出しながらペーパーナイフを指二本で挟み取り、もう片方の手で椅子を押さえる女性の姿があった。
ミリーナ・グラース・ベルナフィス。
白銀の長髪に氷色の瞳をした、ルミナリエの母親だ。色彩は同じだし顔立ちもほぼ同じ。違いと言ったら、ミリーナのほうがキリリした目元をしているところと雰囲気がとても鋭いところだろう。ふんわりとした柔らかい、間延びした口調なため勘違いされやすいが、ミリーナはかなりの切れ者なのだ。
ミリーナはペーパーナイフを振りながら、くすくすと笑った。
「だけれどお母様、嬉しいわぁ。ルミナリエちゃんがちゃんと成長してるって分かったもの」
「……もしかして毎回ノックをしないのは、それが理由なの?」
「当たり」
「……じゃあ、お父様を置いて一人でタウンハウスに来たのは、私の成長が早く見たかったから?」
「いいえ、それは、ルミナリエちゃんに早く会いたかったから!」
満面の笑みを浮かべて抱き着いてくるミリーナに、ルミナリエはぎゅうぎゅうと抱き締められながらため息をこぼした。
そう。この母、普段は前線で男顔負けに戦う優秀な軍人なのだが、子供のことになるとだいぶ雰囲気が変わる残念な人なのだ。
今回も、汽車、馬車と慣れない乗り物に乗ったせいで体調を崩し道中の宿に泊まりながら休み休み進む自身の夫を使用人達に任せ、護衛を一人つけ自身で馬を駆り王都にまでやって来てしまった、逞しい上に破天荒すぎる女性なのである。ベルナフィス領では、軍の人間から「閣下」と呼ばれ尊敬されていたりする。
ルミナリエも尊敬しているし自身の母を誇りに思っているのだが、この姿を見るとなんとも言えない気持ちになるのだ。愛情によるものだということは分かっているので、黙っているが。
(というよりお父様、大丈夫かしら……予定日に間に合うと良いのだけれど……)
やめてと言っても聞かない母親の性格をよく知っているため、ルミナリエは遠い目をしつつ父に思いを馳せる。
ルミナリエのことをひとしきり抱き締めたミリーナは、あ、と声をあげた。
「そうだわ、ルミナリエちゃん。お客さんよ」
「お客様? 会う予定はないのだけれど、誰かしら」
「ええっとねえ……王太子殿下の副官だって言っていたわ。何か話したいことがあるんですって。客間に通しておもてなし中よ」
「……そういうことはもっと早く言って!」
ミリーナに身を任せてハグをしている場合ではなかった。
ルミナリエはレレリラを呼び、慌てて身だしなみを整えたのだった。