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「………………疲れたわ」
ぼふりと、ルミナリエはベッドに仰向けに倒れ込む。
レレリラは穏やかな笑みを浮かべつつ、ルミナリエの足をマッサージし始めた。
「お疲れ様です、ルミナリエ様」
「ありがとう、レレリラ。だけれどなんていうか……話をしただけだったはずなのに、こんなにも疲れるなんて思わなかったわ……正直言って、訓練しているときよりも疲れた」
「それは大げさでは?」
「本気だけれど」
「慣れていないからですね、きっと」
「あー……そうね」
香油を塗りつつ足の裏のツボを押していたレレリラは、終始笑顔だ。
「わたしとしましては、ルミナリエ様にご友人と呼べる存在ができましたことが嬉しいです」
「あら、どうして?」
「どうしてと言われましても……ベルナフィス領では殿方ばかりと接していらしたではありませんか。同世代の、しかも貴族令嬢と接する機会などありませんでしたでしょう? わたしも奥様も、その点はとても懸念していましたので」
「……レレリラだけじゃなく、お母様も? 全く知らなかったわ」
「奥様は、そういうことはあまりお言いになりませんからね。ですがルミナリエ様のことは、いつだって気にかけておいででしたよ」
「……それは知ってるわ」
ルミナリエの母親は厳しかったが、それはベルナフィス領で生きるためには必要不可欠な厳しさだったし、貴族令嬢として恥ずかしくないような教育をたくさん受けてきた。そしてその厳しさと同じくらい、母親は子供達には甘かった。それはもう、砂糖菓子のように。
(誕生日は必ず自ら狩りに出かけて食材を取ってきていたし、プレゼントも数ヶ月前からこそこそ用意してたもの)
だから、母の思いは痛いほど分かった。
辺境ということで王都にあまり来ていなかったこともあり、ルミナリエには友人と呼べる貴族令嬢がいなかったからだ。
まさかまさかの展開ばかりで驚きのほうが強かったが、そういう意味でも後宮にこれて良かったのかもしれない。でなければ、友人を作る機会などなかっただろう殻。
そう思い、目を瞑っていると。
バーンッッ!
凄まじい音がすぐ近くから聞こえてきた。
「はっ⁉︎」
「今のは……」
ルミナリエは飛び起き、枕元に忍ばせておいた短剣を握り締める。ついでに上着を着て、最低限の身だしなみを整えることも忘れない。ネグリジェ姿で誰かと鉢合わせるなど、彼女の中の淑女的思考が許さないのである。
レレリラもスカートをめくり、太もものホルスターに収めてある折りたたみ式の棍棒を伸ばし、構えた。
二人は揃って扉の横に立ち、互いに目配せする。
『ルミナリエ様、開けます』
『いいわよ』
一拍空け。
レレリラが勢い良く、ドアを開けた。
「明かりよ、灯れ!」
そう唱えれば、部屋の明かりが一斉につく。唱えれば明かりがつく照明魔導具は便利だ。こうして目くらましとしても使える優れものである。
中から「ぎゃあ!」という悲鳴が聞こえるのと同時に、ルミナリエはとなりの部屋へ飛び込んだ。
そこには、みすぼらしい格好をした男がいた。
ボロ服の男は、目元を押さえ唸っている。
鍵付きのドアは盛大に壊されていた。先ほどの音はどうやら、ドアが壊されたことによるものだったようだ。
(窓辺にいる辺り、あそこから逃げようとしたのかしら)
しかしそうはさせない。こんな時間に、しかも自身の部屋に入ってきた不審者を逃がすほど、ルミナリエは心が広くないのだ。デリカシーのかけらもない行動に割と怒っていた。
ルミナリエは一瞬で距離を詰め、頭部を短剣の柄で殴る。
侵入者が床に転がったところで床めがけていくつもの氷の槍を突き立て、男が身動きが取れないようにした。簡易の檻のようなものだ。
「な、なんだ、これ!」
「なんだ、ではないわ。よくもまぁこんな場所に侵入してこれたものね。ここは後宮よ? 淑女の部屋に無断で入るだけじゃなくドアまで壊すなんて、野蛮の極みだわ」
「う、うるせえ! 出せ! オレはようやく牢屋から出られたんだよ! ここで逃げなきゃ捕まる!」
「……は? 牢屋?」
ルミナリエが思わずぽかーんとしていると、騒々しい足音が近づいてきた。足音は複数あり、どこか焦っている様子だった。
警戒したレレリラが棍棒を構えながら、ルミナリエの前に立つ。
入ってきたのは――ヴィクトールを含めた、軍人たちだった。
軍人たちは皆剣を腰に差し、手に銃を持っている。明らかに何かを警戒した装備だった。
「失礼する。ベルナフィス嬢、怪我はないか?」
「え? はい、まぁ、この通り」
上着の前を掻き抱きつつ、ルミナリエは頷く。
そしてレレリラの武装を解除するように言い、端に下がらせた。
ヴィクトールは侵入者がいるのを見ると、部下たちに命じ捕まえさせるように言う。彼らが手際良く捕まえるタイミングに合わせて魔術を説いたものの、何がなんだか分からない。
(これ、一体どういう状況?)
侵入者の男は『牢屋』という言葉を使っていた。その言葉から連想するに、男は脱獄犯と見ていいだろう。逃げ惑った挙句後宮に入り込んでしまう辺りなんとも愚かしいが、王宮は広いので当たり前かもしれない。
だがその件でヴィクトールが出てくるのは、なんだか違和感があった。
悶々と考え込んでいると、ばさりと肩に何かかけられる。
見れば、軍服のジャケットだった。
思わず顔を上げれば、オッドアイの瞳と目が合う。
ヴィクトールの格好がシャツ一枚だということを知り、ルミナリエはようやく彼がジャケットを肩にかけてくれたことに気づいた。
ヴィクトールは申し訳なさそうに顔を背けた。
「夜の、しかも女性の部屋にこのような形で入ってしまい、申し訳ない。だが少し事情を聞きたいし、この部屋は鍵が壊されて使えないので移動してもらうことになる。……窮屈だろうが、少しの間それで我慢してほしい」
「ありがとうございます、殿下。ご配慮、痛み入ります」
ルミナリエはにこりと笑みを浮かべ会釈した。
――しかし実を言うと、心臓はかなりばくばく音を立てている。その理由はおそらくヴィクトールが上着を貸してくれたことなのだろうが、なぜこんなにもドキドキしているのか自分でも分からなかった。
(侵入者が入ってきたときはとても落ち着いていたのに、なんでこんなにも心臓がうるさく鳴ってるの……!)
ジャケットの前をぎゅうっと掻き抱きながら。
ルミナリエは唇をこっそりと噛み締めた。