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ヴィクトールと、話ができない。
結局昼食後に時間を取ってくれるという件は、貴族令嬢たちの思わぬ邪魔が入ったことでダメになってしまった。
「……疲れたわ」
風呂に入りネグリジェに着替えたルミナリエは、ぼふりとベッドに沈み込む。
そんなルミナリエの横に座ったレレリラは、髪を櫛で梳きながら苦笑した。
「先日まであんなにもゆったりとした生活をしていましたのに、ここ数日はずっと忙しいですからね」
「本当に……エドナ様もものすごく嬉しそうに話を聞いてくるし、なのに肝心の王太子殿下とは話はできないし……私の決意、返して欲しいわ……」
「まあまあ、落ち着いてください。そうです。本日の香油は、ルミナリエ様お気に入りのプリュテの香油を使いましょう!」
「ありがとう、レレリラ。お願い」
ルミナリエは目をつむる。すると、爽やかな中に少しだけ甘みを加えたような、懐かしい香りがしてくる。それを嗅いでいると、実家でのことを思い出した。
それもそのはず。プリュテというのはベルナフィス領だけに生息している冬の花なのだ。普段は雪のように白い六花だが、春が近づいてくるとその花びらが透明になっていき、時期になると一斉に羽のように舞い上がる。それは決まって、春一番が吹く夜だった。その特徴から春告羽花なんていう別名があるのだとか。
淡く光を放つプリュテが夜空を彩る姿はとても幻想的で、毎年見ているのに飽きることがない。ルミナリエが一番好きな光景だ。
瞼の裏いっぱいにプリュテの花びらが舞い上がる風景が広がる。
あまりの気持ち良さにそのまま寝落ちしてしまいそうだったときだ。
ちりんちりん、と。呼び鈴が鳴った。
どうやら、こんな時間に来客らしい。
レレリラが一言「失礼します」と言い残し立ち去る。
ルミナリエがぼーっとしていると、数分とおかずレレリラが帰ってきた。その手に箱を携えて。
「レレリラ、何それ」
「はい。どうやら、王太子殿下からの贈り物のようです。メイドさんが届けてくださいました。こちら、メッセージカードです」
メッセージカードには確かに『ヴィクトール・エディン・リクナスフィール』と記されていた。筆跡も、先日もらった手紙のものと同じだ。
メッセージカードには、
『中には通信系の魔術を組み込んだ魔石が入っている。受け取ったら魔力を流し込んで欲しい』
と記されている。
ルミナリエは飛び起きた。
「レ、レレリラ! その箱ちょうだい!」
そしてひったくるような勢いで箱を受け取ると、ベッドの縁に座り箱を開ける。
そこには、ダイヤモンドが入っていた。
研磨してあるが装飾はされていない石で、大きさはルミナリエの瞳ほどある。触れれば確かに編み込まれた魔術式を感じた。
この状態の宝石を、一般的に魔石と呼ぶ。あらかじめ宝石に魔術を編むため、複雑な魔術を簡単に発動することができるのだ。魔術詠唱を短縮化するのと同じ原理である。さらに言うなら宝石にはたくさんの魔力がこもっているので、魔力が枯渇したとしても魔力を行使できる。純度が高いほど魔力濃度も高いので、より高度な魔術を編めるというわけだ。
リクナスフィール王国の鉱山からは、宝石がたくさん取れる。これが外交の材料であり、戦争の火種でもある。
(それにしてもこの魔石、大きくないかしら……?)
純度も明らかに高いし、かなりいいものだ。少し緊張する。
メッセージカードを見たレレリラがにこにこ笑いながら出ていく姿を半眼で見送りつつ、ルミナリエは魔石に少しだけ魔力を送り込み魔術式を起動させた。
『――ベルナフィス嬢か?』
思ったよりクリアに、ヴィクトールの声が聞こえた。
魔石を膝に起きつつ、ルミナリエは「はい」と肯定する。
『夜遅くにすまない。今日は急遽予定を変更してしまって、申し訳なかった』
「そんな。あれは殿下のせいではありませんわ。お気になさらずに」
『そうか。そう言ってもらえると、心のつかえも取れる。……ただ会って話をするのはしばらく無理そうだったので、この手段を取ることにしたのだ。今は、話せるだろうか?』
「はい。私も話したいと思っていたので、助かります。婚約前の男女が何度も会うのはあまりよろしくありませんので、余計に」
『ふふ、そうだな』
魔石越しに聞こえてくる笑い声につられ、ルミナリエも笑ってしまった。顔が見えない分、少しリラックスして話せている気がする。
ルミナリエはすう、と息を吸い込んだ。
「……それで、昨日の……求婚の件なのですが。………………私で宜しければ、お受けしたいと思っております」
一拍、間が空いた。
『……本当かっ?』
「はい。昨日は混乱していて、失礼なことをしてしまい申し訳ございませんでした。ですが、こんな良縁はもうないと考えたのです。女が剣技など、はしたないと言われてしまいますから」
自分で言っておいて苦笑してしまう。
「むしろ私としましては、本当に私で良いのかと問いたいくらいですわ。自分で言うのはどうかと思いますけれど私、王太子妃にふさわしくないと思うのです」
『……いや、そんなことはない。それに最近は……っと。そうか。ベルナフィス嬢は、最近社交界にデビューしたのだったな』
「えっと、はい、そうですわ。去年の秋に開かれた王宮のパーティーで、ようやくデビューいたしました」
貴族にとっての社交場は二通りあり、一つ目が王宮側が主催する大規模なパーティー、もう一つがそれぞれの貴族たちが参加者を募って開く小規模なパーティーだ。社交界デビューを飾るのであれば、大抵は前者になる。
その王宮主催のパーティーは夏、秋と年に二回行なわれ、夏に参加する貴族が一番多いようだ。
『ベルナフィス領は比較的閉鎖された領地だから、情報が入っていないのも無理はない。というのも、最近は性別で役割分担を決めるのではなく、個人の特性を生かした役割分担をした方が良いのではないか、という風潮があるのだ』
「……個人の特性を生かした役割分担、ですか?」
『ああ。ベルナフィス嬢のように攻撃魔術や物理攻撃が得意な貴族女性もいれば、攻撃魔術は苦手でも防御魔術が得意な貴族男性もいるだろう? 昨今の他国情勢や魔物の出現頻度を鑑みても、武力補強の必要性は免れない。だが、未だに一歩踏み出せていないのがこの国の現状だ』
「そ、そんなことになっていたとは……驚きですわ」
だが確かに、ベルナフィス領では割と性差関係なく適材適所で現場を回している感じはある。
『国王陛下だけでなく王妃殿下も率先してどうにかしようとしているのだが、やはり決め手が足りない。だからわたしはできれば、強かな女性を王太子妃に据えたいと考えていたのだ』
「確かにその条件ならば、私が適任ですわね」
『ああ。そこであなたがグランベル嬢を助けたという話を聞き、どの程度のものか興味を持った。それが昨日の決闘の理由だ。言葉が足りなくてすまない』
「な、なるほど。理解いたしましたわ」
『なら良かった。昨日のことを王妃殿下に伝えたら、たいそう怒られてしまってな……できる限り早く説明したいと思ったので、魔石を贈ったのだ』
「いいえ、お気になさらないでください。怪我した箇所は、王宮治癒魔術師の方が綺麗に治してくださいましたもの。もしものことがあったときのために、すぐ近くに配置してくださっていたではありませんか。それに領地では生傷の絶えない生活を送っておりましたから、あの程度なんてことはありません」
(そうそう。お母様の訓練と同レベルの無茶振りだっただけだもの!)
傷を治してくれる意思があっただけ段違いだ。さすが王太子殿下、気遣いが違う。
ルミナリエとしては、自分を殺して王太子妃にならなくて良いという点にひどく安堵しているのだから。
その後も軽く話をし、婚約の正式発表をするタイミングは二ヶ月後で、記者たちを呼んで大々的にやるということになった。詳しいことはルミナリエの両親も交えて話し合うとのことだ。
しかしまだ王宮で過ごし始めて一ヶ月経っていないということもあり、ルミナリエを含めた貴族令嬢たちはそのまま残り、誰が王太子妃に選ばれたのかカモフラージュするとのことだった。
そこまでの段取りを考えてくれていた辺り、ヴィクトールは本気でルミナリエとの婚約したいと思っているのだろう。未だに婚約に対してふわふわした想像しか抱けていないルミナリエとは段違いだった。
ヴィクトールの話を終えたルミナリエは、ベッドに仰向けに横たわりながら魔石を掲げる。ランプの光を浴びて、魔石がキラリと光った。
「……残りの日数で、王太子妃のビジョンを固定化させないとね」
それが、ヴィクトールに対する礼儀だろうから。