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決闘をした翌日の朝は、とても良い陽気だった。
久々に体を動かせたこともあり、心身ともにどこかすっきりしている。そのタイミングで飲む紅茶の味はまた格別だ。
(ああ、なんて美味しい。幸せだわ)
ほっと息を吐きながら、レレリラが淹れた紅茶に舌鼓を打っていると。
「……僭越ながらルミナリエ様。昨日の件はどうするのですか?」
レレリラが控えめに問いかけてきた。
「あらレレリラ。昨日の件とは何かしら?」
「昨日の件は昨日の件です」
「うふふ、そんなこと知らないわ。覚えていないわ」
「……王太子殿下に求婚された件です、ルミナリエ様。あの場では保留という形で退散してきましたが、返事を長引かせることは得策とは言えませんよ」
ぱきん、と。湯気を立てていた紅茶が凍った。つついてみたが、表面だけでなく中まで完全に凍っている。
どうやらうっかり力加減を間違え、冷気を溢れさせてしまったらしい。ティーカップだけでなく、椅子やテーブルといった周辺まで霜が張ってしまった。
(子供の頃によく犯した過ちを、魔力が制御できる年齢になってからやるとは思わなかったわ……)
だがそれは同時に、ルミナリエがそれだけ動揺しているということなのだろう。
ルミナリエはため息をこぼしつつ、凍ってしまったティーカップを指先で叩いた。
「……仕方ないじゃない。あんな展開から、求婚されるなんて思ってもみなかったのだから」
――レレリラの言う通り、ルミナリエは昨日の求婚を保留という形で先送りにし、逃げるように後宮に帰ってきたのだ。
それから何か接触があるのではないかとビクビクしながら一夜を過ごし、今日に至る。そのためろくに寝れておらず、今日の陽気は心地良いどころか目に痛かった。
動揺しっぱなしのルミナリエとは打って変わり、レレリラは至極冷静である。
「ですがルミナリエ様。ルミナリエ様は妃になるべくこちらに出向いたのでは? にも関わらず保留という形で先延ばしにする理由はないと、わたしは思うのですが」
「うぐ……レレリラの正論が耳に痛いわ……」
「さらに言いますと、ルミナリエ様の特技を見て惚れたとなれば、ルミナリエ様にとってこれほどまでにない好条件での結婚相手なのではないでしょうか」
「ウッ」
「と言うより、これだけのことをやらかした後なのですからこれを逃せば婚期は来ないように思います。もしお断りなどしますれば、ルミナリエ様は部隊長としてベルナフィス領で一生を終えることに……」
「あああああもうやめてやめてやめて! 躊躇いなく急所を貫くのはやめて!」
レレリラは、サクサクと容赦なくルミナリエの心を突き刺してくる。
ティーカップをテーブルに置いたルミナリエは、両耳を手で覆いながら悲鳴をあげた。
レレリラは姉妹同然のように育ってきたため、時折こんなふうに辛辣なことを言ってくるのだ。
しかしそのどれもがルミナリエのことを思ってのことなので、咎める気にすらならない。
(……レレリラの言う通りよ。ぐうの音も出ないわ。だけれど……)
目をつむり、昨日の光景を頭に思い浮かべてみる。
――汗まみれの中床に力なく座り込んだ状態のルミナリエと、そんな彼女の前に跪き嬉しそうに求婚してくる王太子――
(とてもじゃないけど、冷静な判断が出せそうな場面じゃなかったわ……‼︎)
が、一夜明けた今は別だ。
(私が断る理由は、まずない。レレリラの言う通り、この機を逃したらこんなに好条件な結婚は一生できないわ)
指先でカップをカーンと叩く。一際大きく、ティーカップが鳴り響いた。
ルミナリエは伏せていた目を上げ、口をきゅっと結んだ。
「……レレリラ。紙用意してくれる? 王太子殿下に手紙を書くわ」
*
ヴィクトールに対して「昨日の件で話をしたい」と手紙を送れば、「昼食後に少し時間があるのでそのときに話したい」という旨が書かれた手紙が返ってきた。
そのためか、今日の昼食にはヴィクトールも参加していたのだ。
食事は基本的に貴族令嬢たちが全員参加する形なのだが、朝や昼は私室に運ばせる人も少なくない。が、今日ばかりは全員揃っていた。
そのときの貴族令嬢たちの色めきようといったらない。
(前まであんなに色々愚痴を言っていたのにね……)
ルミナリエはこんなにも陰鬱な気持ちを抱えているのに、羨ましい。ただお腹は空いていたので、昼食に出された生ハムサラダ、白身魚のムニエルは残さず平らげた。やけくそ気味だったので、パンはお代わりまでしてしまった。
幸いだったのは、誰も彼もヴィクトールと話すことばかりに集中してルミナリエを見ていなかった点だろうか。
それは食後も続き、ヴィクトールは貴族令嬢たちに捕まっている。
(これは……食後に話すのは無理かしら?)
思わぬところで時間がロスしてしまっている。これには流石のヴィクトールも想像していなかっただろう。
ルミナリエは肩をすくめたが、出ていける雰囲気ではないので紅茶とスコーンを食べながら微笑んでおく。
(スコーンサクサクして美味しいわぁ。レシピとか教えてもらえないかしら)
王宮に来てから思っていたが、さすが王宮と言ったところか。出てくる食事が全て美味しい。お茶のときに出てくるお菓子も美味しいのだ。いいシェフとパティシエを雇っているのだろう。
人肌に温められたスコーンはそのまま食べても美味しいし、クロテッドクリームを塗っても美味しい。ジャムなんかマーマレード、ストロベリー、アップルと三種類もあり、「飽きることなく楽しんでもらいたい」という作り手の思いが伝わってくるようだった。
(ああ、美味しい。この美味しいお菓子を食べるために、体を絞ろう)
完全に自分の世界に入っていたルミナリエは、予想していなかったところから声をかけられ意識を浮上させた。
「……あの」
「はい? ……あなたは」
ルミナリエのとなりの席には、エドナがいた。
ゲホッと一瞬むせそうになる。それを隠すために、慌てて紅茶を飲んだ。
(すっかり忘れていたわ、私の粗相の目撃者が……!)
何を言われるのか分からず不安で、だらだらと冷や汗が流れる。
「はい、エドナ・グランベルと申します! あ、あの……少しお話よろしいですか?」
「えっと……はい、どうぞ」
すると、エドナがぱぁっと表情を緩めた。
(え、何この反応)
「昨日は助けてくださり、本当にありがとうございます! ルミナリエ様が助けてくださらなかったらわたし、今頃どうなっていたか……その後も根気良く話を聞いてくださったことも、とても嬉しかったです」
「え、ええ。あんな場面を見てしまったのですから、助けるのは当たり前です。気になさらないでくださいな。エドナ様の顔色も今日はよろしいようで……良かったですわ」
「そ、そんな、わたしのことまで気にかけてくださっただなんて……嬉しい……」
何やら雲行きがいろんな意味で怪しい気がするのだが、ルミナリエの気のせいだろうか。
エドナは、エメラルドのような瞳をキラキラ光らせながら頬を赤らめる。
まるで、恋する乙女だった。
「あ、あの……ルミナリエ様さえよろしければ、なのですが……わたしと、お友だちになっていただけませんかっ?」
「え……っと……」
「お友だちが難しいようでしたら、せめてこれからお茶でも! お話をしたいのです! できればルミナリエ様の今までの武勇伝などを話していただけたらと!」
「え……ええ、それは、構いません、が……」
どんどん後ろに流されていく本命の予定に思いを馳せつつ、ルミナリエは苦笑したのである。