15
場の空気が、凍った。
それはそうだ。バルフ子爵と違い、マクディーン侯爵は軍の上層部の人間である。爵位も軍位も他者からの信頼も、比較にならないほど高いのだ。
もし本当に何か不正に加担しているのだとしたら、できる限り早く縁を切りたい。
しかしそうでないのなら、敵に回したくないから味方をするか、傍観者でいたい。
それが、その場にいる貴族たちの大半が思ったことだろう。そのためか、全員が成り行きを見守っていた。
(話を進めるなら、今しかないわ)
少なくともこのタイミングを逃せば、ルミナリエの話を聞いてくれる人はいなくなるだろう。
もちろん、マクディーン侯爵を庇う側が出てくることで王家に反する貴族を一気に摘発できるかもしれない。だけれど。
ルミナリエにはまだ、それができるだけの力がないから。
だからルミナリエは、声高に訴える。
今自分にできることはそれだけだと、分かっていたから。
「バルフ子爵。一つ聞かせてくださいな。あなた方に今回の話を持ちかけたのはどなたですか?」
「…………知らん」
「あら、もう一度飛びます?」
それに対しバルフ子爵は青い顔をして黙り込んだが、チェルノのほうがぶるぶる震えながら慌てて叫んだ。
「マクディーン侯爵閣下だ! 父は閣下から話を持ちかけられ、今回の件に乗った! そうだ……全部全部、閣下のせいなんだ、僕たちは悪くない、悪くないっっ!」
チェルノがぎゃんぎゃん犬のように喚き散らすのを、マクディーン侯爵は冷ややかな目で眺めた。
「これはこれは、犯罪者はよく騒ぐ……なんの話だ? 何か証拠でもあるのか?」
「証拠なら、指示書が! …………あ…………」
「どうした、若造。そんな青い顔をして」
チェルノが何かを言おうとしたが、すぐに顔色を変え口を戦慄かせる。
それを見たマクディーン侯爵は、ふんっと鼻で笑った。
「そんなもの、ないのだろう? どうだ?」
「………………そうだ、ないんだ。国を出るからって、全部処分したんだった、……」
ルミナリエは内心舌打ちをした。
(用意周到だこと……!)
おそらくバルフ子爵側も、自分たちにとって都合の悪いことだと思ったから処分したのだろう。リクナスフィール王国からもう出ようとしていたのだ。ならば必要ないと思うのも仕方がない。
「ならあなた。あなたはベーレント帝国の魔術師なのよね? あなたは何か証拠を持っていないの?」
「……わたしはもう、ベーレント帝国の魔術師ではない。引退した身なのでな。なので今回の件は、わたしが金欲しさにやったこと……それにわたしの雇い主は、バルフ子爵だ。そこな貴族ではない」
(そんな……!)
ルミナリエはぎりっと歯を食いしばった。
すると貴族たちがざわめき出す。
『そうだ、あのマクディーン侯爵閣下がそんなことするわけがない……』
『そうだな。あの方はとてもこの国に尽くしてくださっている……』
『そんな閣下を侮辱したのだから、彼女はやはり王太子殿下の婚約者になるべきではないのでは?』
まずい。ルミナリエは焦る。
せっかくヴィクトールがルミナリエを守ってくれると言ったのに、それをルミナリエが台無しにしてどうするのだ。
完全にタイミングを見誤ったとしか言えない。
(どうする、どうすれば……!)
すると、ぽんっと。誰かに両肩を叩かれた。
振り返れば、そこにはルミナリエの両親であるシャルスとルミナリエがいる。二人は優しい顔をして首を横に振った。
「ルミナリエちゃん、よく頑張ったわね」
「……え?」
「ああ。よく時間を稼いでくれた」
「……あの、お母様、お父様、それはどういう……」
――バンッッ!!!
瞬間、大広間のドアが乱暴に開かれた。
「お待たせしました!!!」
見ればそこには、ぜえぜえと息を切らせたフランシスとエルヴェ、ヴィクトールの部下たちがいる。彼らは皆上着を脱いだシャツ姿で、あちこちを土と汗まみれにしていた。目にはクマもあるし、明らかにやつれている。
しかしフランシスの手にはしっかりと、赤子ほどの大きさの木箱が抱えられていた。
「このような格好でこのような場に現れてしまい、申し訳ありません。王太子殿下付きの補佐官、フランシス・アルファンであります。ですが陛下、少々よろしいでしょうか。早急に報告したいことがございます」
「……許そう。こちらに来なさい」
ルミナリエは思わず、肩を震わせた。
気づけば、目の前に国王陛下が佇んでいる。ヴィクトール同様漆黒の髪をした、紫と赤のオッドアイを持っている美しい中年男性だ。
彼はルミナリエとヴィクトールを庇うように、フランシスを見つめている。
フランシスは赤い絨毯の上を急ぎつつ、しかしちゃんと貴族令息らしい態度で駆けた。
国王の前にたどり着くと、一同は一斉に挙手敬礼をする。そして箱の中身を差し出した。
「こちらは、連続殺人事件の第二の被害者である年若い軍人が残した暗号の場所にあったものです。中にはマクディーン侯爵閣下直筆のサインがされた、ベーレント帝国との契約書の写真や、その他様々な証拠が入っておりました」
「ほう……これはこれは。随分と面白いものが出てきたようだな」
国王陛下はそう呟きながら、証拠を確認する。
陛下のそんな様子を目の当たりにしたマクディーン侯爵は、今までの態度から一変大きく動揺したようだった。目を大きく見開き、一歩引き下がる。
すると国王は、マクディーン侯爵を一瞥する。
「マクディーン侯爵。わたしはとても残念だよ。お前がまさか、このようなことをしていたとはな」
「……へ、陛下……それ、は……」
「とても悲しい、悲しいが……事実なのだから仕方ない。わたしが動かねばならぬ案件だろう」
そう言ったとき、マクディーン侯爵は勢い良く出口めがけて駆け始めた。周りにいる貴族たちを押しのけ逃げる姿に、余裕など一つもない。その姿に、息子と娘は一瞬呆気にとられたが、父親に続くように逃げ出した。
しかし国王は焦ることなく呟く。
「荊王の蝕み詠、解放。マクディーンと名のつく者たちに告ぐ――その場で全員跪け」
――がくん、と。
マクディーン侯爵一家が、一斉に膝をついた。
自分の意思に反した突然のことにわけが分からず、ブリジットが目を白黒させながらもがく。だが、体は一向に動かない。
それを見たルミナリエは、他人事ながら体から血の気が引いた。
(これ、もしかしなくても……王族特権、よ、ね?)
王族特権。それは、代々王家にのみ伝わるとされている特別な魔術だ。
今回のように命じた相手の意思に関わらず言うことを聞かせることもできるし、他にも様々な魔術があるらしい。そのどれもがとても強制力の高い魔術なので、昔はそれを乱用し独裁する王族もいたようだ。その一件から、現在は王家の間でもかなりの使用制限があるとされている。
だが、国王陛下はそれを使った。
それはつまり――マクディーン侯爵家が、リクナスフィール王国の敵だと国王直々に認めた、ということだ。
それを知った貴族たちは、ルミナリエのときのような悪口を言うことなく口をつぐむ。その中でも軍位を持つ人間は、率先してマクディーン侯爵家の人間を拘束し始めた。
シャッターが切られていく音、光。その場にいる人間たちの悲鳴や怒号が上がり、誰かが指示を飛ばす声がする。ルミナリエの目が、頭がチカチカくらくらする。展開があまりにも早すぎて、何がなんだか分からなくなってしまった。
(……終わったの? 終わったのよ、ね?)
終わった実感が湧かず目を瞬かせていると、ヴィクトールがぎゅっと抱き締めてきた。
ルミナリエは恐る恐る手を伸ばし、彼の背中に触れる。
「あ、の、ヴィクトール、さま」
「なんだ」
「終わったの……ですよ、ね?」
「ああ、終わった。終わったよ、ルミナリエ。あなたがいたおかげで、全部終わった」
「……そう、です、の……終わった……」
張り詰めていた全身から、じわじわと力が抜けていく。
そのときようやく終わったのだという実感が湧き――ルミナリエの瞳からぽろりと、涙がこぼれた。
今まで起きた色々なものがぶわりと、体の奥底から溢れて止まらない。
辛かった、悔しかった、憎かった、許せなかった、とにかく許せなかった。それらが、ルミナリエを動かしていた原動力だ。
だけれど敵はあまりにも大きくて、なのに姿が見えなくて。でも、とにかく歩いた、進んだ。それは、周りに頼りになる仲間がいたから。
そんな気持ちの全てが報われたのだ。
それからルミナリエは控え室で、ヴィクトールに抱き着いたまま気の済むまで泣いたのだ――