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 エドナ・グランベルは目を覚ました。

 真っ暗だ。体が動かず確認してみれば、縄がぐるぐる巻きになっている。

 グラグラという独特の揺れ方に、頭までもが揺れてめまいがしてきた。

 確実に、王都にあるグランベル家のタウンハウスではなかった。グランベル領の屋敷でもない。


 ――ここは、どこ?


 頭を振って何が起きたのかを確認する。

 そこでようやく、エドナは自身が攫われたことを思い出した。


「……そうです。わたしは、チェルノに……」


 昨夜、グランベル家のタウンハウスに何者かが侵入してきたのだ。

 その中の一人はチェルノだった。

 覚えているのはそれだけで、あとは途切れている。それはおそらく、今の今まで一度も目を覚まさなかったからだろう。


 得体の知れない恐怖に、エドナは身を震わせた。


 ――怖い、怖い。

 ――誰か、誰かいないのですか。


 助けてほしい。そう思う。自分では絶対に、こんなのどうにもできない。頭が混乱して、でも貴族令嬢としての矜持も捨てられず、エドナは何度か声もなく喘いだ。

 そのときに浮かんだのは、不思議と彼の少女の顔。


 銀色の長髪が光を浴びて虹のように輝き、澄んだ水のような瞳がまっすぐこちらを見ている。

 初めて見たときから綺麗だと思っていたが、助けてくれたときの彼女はより一層強い色彩を放ってエドナの記憶に焼きついた。


 ――ルミナリエ、さまっ……!


 そう思ったとき、きい、と音がした。突如として入り込んできた光に目を焼かれ、エドナは目を細める。


「なんだ、起きたのか」


 その声は、エドナがこの世で最も嫌う男のものだ。


 チェルノ・バルフ。


 今まで人を恨んだり憎んだり嫌悪したり、そういうことをほとんどしたことがなかったエドナが初めて、そういう感情を抱いた相手だ。

 彼はニヤついた顔をしながらエドナのほうに近寄ってくる。

 嫌悪感を感じたエドナは、顔をしかめ後ずさりした。


「そんな顔をされるなんて心外だな」

「っ、来ないで!」


 そう叫んだが、チェルノはニヤニヤしながら近づきエドナの顔を掴む。そして無理矢理、顔を上に向かせてきた。

 より顔を歪ませると、チェルノは嗤う。


「そんな顔するなよ。どんなに嫌がろうが、君はこれから僕の花嫁になるんだからさ」

「……は? 何を言っているの」

「状況が分かっていないみたいだから教えてやるけど、君は今船の中にいるんだ。そしてベーレント帝国に連れて行かれる。君はそこで治癒魔術師としての訓練を受け、帝国のために尽くす道具になるんだ」

「……言語を喋って頂戴。わたしがそんなことするわけ、ないでしょう?」


 エドナは努めて平静を装いながら、そう言い放った。

 なぜチェルノが、エドナに治癒の力があることを知っているのか。聞きたいことは山ほどあったが、焦りを悟られたくなかったエドナはそれを聞かなかった。本当は怖くて仕方ないが、それを悟られるほうが恐ろしかったからだ。


 しかし体は正直で、震えてしまう。チェルノはそれを感じ取ったのか、よりニヤついた顔をした。


「いや、君はするさ。そして僕の花嫁になる。――帝国には、人の意思を捻じ曲げて傀儡にする力があるからね」

「――――ッッッ!!」

「大丈夫、安心すると良い。君は最後まで、僕とベーレント帝国のためにその命を散らすだけ。それは幸福なことだと、刷り込んでくれるらしいから」


 ――敵国であるベーレント帝国の犬になるだけじゃなく、この世で一番嫌いな男の花嫁にさせられる?


 チェルノが何を言っているのか、分からない。分かりたくない。


 なのに、エドナの体はガタガタと大きく震え始める。

 もし本当にそんなふうになるのだとしたら、死んだほうがマシだ。


 ――怖い、怖い。

 ――誰か、誰か……っ。

 ――ルミナリエ様、お願い、お願いっ……!




 ――助けて――――ッッッ‼︎




 そう心の底から絶叫し、固く目を瞑った。

 そんなとき、だった。


 ゴォォォンッッッ!!!


 凄まじい音を立て、船が大きく揺れたのだ。

 その揺れにより、チェルノはエドナがいるほうとは逆の壁に飛ばされる。エドナも逆側の床へと転がった。

 壁に全身を強く打ち付けたチェルノは、苛立たしげに叫ぶ。


「なんだよ、一体!!!」


 すると、部屋に誰かが入ってくる。

 まだ年若い青年だ。下っ端だろうか。


「チェルノ様!」

「何、何が起きた⁉︎」

「それが、そのっ」


 青年は焦っているのか、言葉を上手く紡げないようだった。


「なんだよ、ちゃんと言え!」

「あ、あの……海がっ」

「海がどうした!」




「――船の周りの海面が、凍りました……!!!」




「……は?」


 チェルノがあんぐりと口を開ける一方で、エドナはある人物のことを思い出した。


 ――ルミナリエ様。


「……また、助けてくださるのですね」


 そうつぶやき、エドナはぽろりと涙をこぼした。



 *



 高度二千メートル、距離一万メートル。

 銀色の髪をなびかせ、ペールブルーのドレスをはためかせながら、ルミナリエは魔術を放った。


 ――『時止まる栄華の庭ル・ジャルダン・ダンタン』。


 ルミナリエが使える氷属性魔術の中でも、最も影響範囲が広い魔術だ。非常に侵食性の高い魔術で、魔術使用時に使った魔力が続く限り氷の花咲く庭園に変え続ける(・・・・・)

 そのため、何かで砕いたり火属性魔術で溶かしたとしても喰らい続けることができるのだ。

 凍らせる対象が水なら、侵食は余計進む。


(――無事命中したわ)


 照準器(スコープ)から見える光景を見て、ルミナリエはほっと胸を撫で下ろした。

 距離がかなりあったため正直怖かったのだが、狙ったのは船本体でなく海面だ。予想よりも船の近くに当てられなかったのだが、侵食性の高い魔術のおかげでなんとかなったようだった。


 構えていた銃身の長い銃を下ろしながら、ルミナリエは大きく息を吐いた。


 共に銃を支えてくれていたヴィクトールは、そんな彼女を見て顔を曇らせる。


「ルミナリエ、大丈夫か? 反動で痛みなどはないか?」

「心配してくださりありがとうございます、ヴィクトール様。ですが大丈夫です。――それよりも、早く進みましょう。二十分ほどは足止めできますが、それ以上は無理だと思いますので」

「分かった。それまでの間に、再度撃てるよう魔力を溜めておいてくれ」

「はい」


 ルミナリエはこくりと頷いた。

 すると、ばさりと大きな羽音がする。

 その音の正体は――漆黒の鱗と金色の瞳を持った竜。

 黒竜はヴィクトールの命令に従い、滑るように空を舞った。


『……どうにかできるかもしれない』


 ヴィクトールがそう言った理由は、二つある。

 一つは、ヴィクトールが契約している黒竜・ジャードノスチ。

 そしてもう一つが、ルミナリエが現在手にし、はめ込まれた魔石に魔力を込めている物体――超遠距離狙撃銃の存在があったこそ言葉だった。


 ジャードノスチは、現在のリクナスフィール家が所有する竜種の中でも最強と言われている竜である。そのためその速度たるや凄まじい。能力値も高く、乗り手に負担がかからないよう防御魔術を展開したり、上空で停止することも可能だ。今回ブレることなく銃を使うことができたのは、ジャードノスチとヴィクトールが支えてくれたおかげなのである。


 もう一つの超遠距離狙撃銃は、現在軍が研究している武器の一つだ。

 従来の遠距離狙撃銃では二千メートルほどでなければ当てることができないはずなのだが、それよりもさらに遠く、最高で一万メートルまで飛ばせるようにように改良した研究段階の銃である。


 代わりに一つの魔術しか組み込めず、一発辺りの消費魔力も多い上に銃や魔術師への負担も大きいという。耐久テストで五発ほど撃てば、銃にはめ込まれた魔石が割れたらしい。

 その上距離を伸ばすことばかりを意識したため、人間を当てることはほぼ不可能に近い設計だとか。おかげで戦争時に使うのは無理だと匙を投げられ、お蔵入りしていた代物だという。


 しかし今回のように個体対象に当てるつもりがなく、アジュールからバルフ家を追っている軍人たちが追いつけるよう足止めのために広域系魔術を広げる目的で放つ場合には、有効であった。


 おかげで午前中にやることになっていた記者会見は、パーティーと同時にやることになってしまった。

 だが今回のことは、それをやるだけの価値があること。そのため国王陛下も許可してくれ、アジュールの一軍を動かす権限もくれたのだ。


 ヴィクトールの腕に抱えられながら、ルミナリエは今まで聞かなかったことを聞いた。


「ヴィクトール様。一つ、聞きたかったことがあったのですが」

「なんだ?」

「……この魔術を使うのでしたら、母でも良かったと思うのですが」


 ヴィクトールがルミナリエを頼ってくれたのは、ルミナリエが氷属性魔術師だからだ。

 しかし魔術師としての能力や今までの経験の量で言えば、ミリーナのほうが上である。より正確性を狙うなら、ミリーナのほうが良いと思うのだが。


 そう自分で言っておいて、なんだか胸の奥がもやりとした。それが事実なのになぜ、こんなにも嫌な気持ちになるのだろう。


 するとヴィクトールが首を横に振る。


「ジャードノスチは、わたし以外だとルミナリエしか乗せてくれないんだ」

「……え?」

「竜種は、強ければ強いほど気難しい性格をしているからな。だから、背中に乗せる対象も選ぶ。わたし以外だと、わたしの伴侶であるルミナリエしか許してくれないんだ」

「そう、なのですか」


 明確な理由が分かりすっきりしたはずなのだが、胸の奥にたまったものは未だに拭えないままだった。


(……いけない。まだ撃たなければいけないのに)


 魔力を込めながら、ルミナリエは自分を叱責する。

 時間がないため着替えることができなかったルミナリエは、今回足止めをすることが仕事なのだ。他に意識を向けている暇はない。


 なのにどうしてこんなにも嫌な気持ちになるのだろう。


 ルミナリエ自身も自分の気持ちが分からず、持て余していたときだ。

 ヴィクトールが、笑った。


「――というのが、建前的な理由だが。実を言うと、本音は違う」

「……は、い?」


 ルミナリエはきょとんと、ヴィクトールを見上げる。

 彼はジャードノスチにかけた手綱を握りながら、目を細めた。


「共に戦うなら、ルミナリエが良かった」

「え」

「ここに乗せるなら、ルミナリエが良かった」

「っ、あ……」

「だがこんな私情しかない本音、王太子であるわたしが言っていいものではないからな。……秘密だぞ?」


 いたずらっぽくそう言うヴィクトールを見て、ルミナリエはこくりと頷く。そしてすぐに俯いた。


(今の顔、ヴィクトール様には見せられない……)


 鏡を見なくても分かる。ルミナリエの今の顔は、だらしないほど緩みきっていた。

 ヴィクトールの本音を聞いただけなのに胸のもやもやが晴れ、代わりに喜びでいっぱいになる。自分でも単純だと思うが、嬉しかったのだ。


 ルミナリエは銃を抱え直し、唇を噛み締める。

 そして目をつむり、意識を切り替えた。


 次に瞼を開けば、胸の奥には闘志が燃えたぎっている。


(待ってて、エドナ様――必ず助けるから)


 心優しい友人の顔を思い浮かべながら、ルミナリエは魔石に魔力を溜めることに集中したのだった。

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