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エドナ・グランベルが攫われたという情報をもらったのは、ルミナリエが朝、婚約発表用のドレスに着替えていた最中だった。
婚礼発表用のドレスは、全体の色がペールブルー、ヒップの辺りに鮮やかなラピスラズリ色の布で薔薇を模した花が咲く鮮やかなものだった。
ルミナリエはそれを着たまま、ヴィクトールのいる部屋にまで駆ける。
「失礼いたします!」
ドアを開ければ、ヴィクトールやルミナリエの両親がいる。
簡易的な挨拶を交わした後、ルミナリエは再度ベルナフィス家にやってきたというグランベル家の使者に話を聞くことになった。
彼が言うには、昨夜突然侵入者が入り込みエドナを攫っていったという。そのときにエドナを守ろうとした数名が負傷。現在グランベル家は、婚約発表パーティーに出るどころではない状況にあるという。
その中には見知った顔――チェルノ・バルフもいたという。
グランベル伯爵は現在、動かせるだけの人数を動かしてエドナを探しているそうだ。
ヴィクトールは部下を使い国王夫妻にもそれを伝えるように言伝を頼んでから、ぎりっと歯を食いしばった。
「そうか、そういうことか……完全に忘れていた……!」
「ヴィクトール様、それはどういう意味ですの?」
「チェルノ・バルフがどうして、エドナ・グランベルに絡み続けていたのか。その理由に思い至ったんだ」
「理由……?」
ヴィクトールは渋面で頷く。
「ああ。エドナ・グランベル。彼女には――治癒の力がある」
ルミナリエは息を飲んだ。
(エドナ様に、治癒の力が……⁉︎)
確かにエドナの瞳の色は、エルヴェ――治癒魔術師が持つ緑色だった。
しかし緑色の瞳は風属性魔術師も持つ色である。そのためその可能性を考えたことはなかった。
ヴィクトールが早口で言う。
「治癒魔術師は、国における宝だ。その中でもその情報を秘匿された彼女を連れ去り国外、敵国に連れて行くとしたら、それはリクナスフィール王国にとっての痛手になるし、敵国に力を与えることになる。ついでに言うなら、そんな彼女を連れて行ったバルフ家はそれ相応の待遇を受けることになるだろう」
「し、かし。どうしてエドナ様は秘匿されていたのですか? 治癒の力を持つならば、性別の違い関係なく軍に集められ、治癒魔術を学ぶことになっていたはずです」
「……グランベル家に、グランベル嬢しか子がいないからだ。グランベル伯爵にも相談を受けていたが、そういう理由ならと陛下が秘匿することになされたのだ。グランベル家は国に尽くしている家系だからな……しかし秘匿こそしたが、グランベル嬢に治癒の力があるということは資料として残る。そんな資料を見られるのは……マクディーン侯爵くらいだ」
つまりそれは、マクディーン侯爵がバルフ子爵に話をし、エドナを口説き落とすようチェルノ・バルフをけしかけたということだろう。
エドナがチェルノに恋をしたとしたら、駆け落ちという形で連れて行ける。
しかしそれはなかった。そのためマクディーン侯爵とバルフ子爵は、今日強硬手段に出たのだ。
(ほんっとうに、性格の悪い……!)
なんというタイミングでやってくれたのだろうか。
今日は婚約発表パーティーということで、王宮の警備が強化されている。地方にいる軍人もこちらに回されているはずだし、みんなの視線が婚約発表パーティーに集まっている。上手くいけば普段より楽に国外逃亡ができるはずだろう。
そしてこのタイミングで売国奴を逃したとなれば――現王家の信頼は勢い良く落ちる。
国の宝である治癒の力を待つ人間を外に出したとなれば、なおさらだ。
何から何まで手のひらの上で転がされているような気がして、ルミナリエはダンッ! と床を踏みつけた。パキパキと、敷かれていた絨毯が凍る。
普段なら咎めるはずの両親も、そのときばかりは無言だった。
ヴィクトールがうなる。
「昨夜グランベル嬢を連れて行ったということは、そう遠くまでは行っていないはずだ……ルミナリエ。あなたは彼らがどこのルートを使って国外逃亡すると思う?」
「どこって……そんなの、私に分かるはず……っ」
ルミナリエは首を横に振った。
(私が諦めてどうするの……!)
諦めるということは、エドナを諦めるということと同義だ。そんなことは絶対にしない。
(思い出せ、思い出せ……っ! エドナ様の家に行って、私はチェルノ・バルフの手紙を見た! あの男は性格上、なんでも自慢していたわ、なら何かしらの情報を残しているはず……!)
昨夜から現在まで、だいたい十時間ほど経過している。それを加味した上で、可能性を考えるのだ。
昨夜ということは列車は動いていない。つまり馬車での移動だ。夜の見通しの悪さを入れても、かなりの距離移動できる。魔術的な強化や風による負担軽減など、魔術師なら様々な方法で馬の負担を少なくできるのだ。馬の脚が早ければさらに遠くに行けるはず。
バチバチと、頭の中に火花が散る。
そのときルミナリエの中で、手紙に書いてあった一文がきらめいた。
『港町に懇意にしている商人が所有している小型遊覧船があるので、貸切にして一緒に乗らないか』
港町。
この国で言う港町は、一つしかない。
――アジュール。
ここからさらに南へ百キロほどのところにある、大きな港町だ。
そこから海を渡っていけば、陸路を使っていくよりも確実に国外逃亡できるだろう。
(そうよ、海を越えた先には、ベーレント帝国がある)
ベーレント帝国。そこは、新王になってから領土を広げるために近隣諸国と幾度も戦争をしている国である。リクナスフィール王国にとっては敵国と呼べる国だ。
もしバルフ家がベーレント帝国に向かおうとしているのであれば、ヨアンが暗号でベーレント帝国の言葉を使った意味も分かる。
(ヨアン、ごめんなさい! すごいヒントだったわ!)
「アジュール! もしバルフ家が国外逃亡を図るのだとすれば、向かう先は港町アジュールですわ! そこには、先日の連続殺人事件で一番目に殺された商人が所有していた小型遊覧船があります。それを使えば、ベーレント帝国はもう目と鼻の先です」
「……そうか。確かにその可能性が高いな。――すべて繋がった」
「はい」
そう言うと、ヴィクトールが部下を呼び出しアジュールにいる支部と連絡を取らせた。
少しして、ヴィクトールはため息を漏らした。
「船はもう、港にはないようだ。すでに出た後だな」
「そんな……!」
(希望が見えたかと思ったのに……!)
ルミナリエが力なく床に崩れ落ちると、ミリーナがそっと肩を掴んで撫でてくれる。
「……ルミナリエちゃんは頑張ったわ。あとはアジュールにいる軍人に任せましょう」
「だけれどお母様、今よりもっと前に出たなら、同じように船を使っても追いつけないわ……! それがたとえ戦艦であったとしても、ベーレント帝国が絡んでいる可能性が高い以上きっと待ち受けている!」
ミリーナは押し黙った。それは、ミリーナも理解していたことだろう。
それはもうどうしようもない、本当にどうしようもないことだった。
悔しくて悔しくて涙が出る。
しかし――
「……どうにかできるかもしれない」
ヴィクトールが、そう言った。
確かに、そう言ったのだ。
ルミナリエは、顔を上げた。
するとヴィクトールが、優しく笑いながら手を差し出してくる。
「が、この無茶振りはルミナリエがいなければできない。どうだろう――わたしと一緒に、戦ってくれないか?」
ルミナリエは、差し出された手とヴィクトールの顔を見比べる。
その目は嘘を言っているわけでも、ルミナリエを慰めようとしているわけでもなかった。
ただ純粋に、ルミナリエの力を必要としている目。
その瞳に吸い込まれるように、ルミナリエは手を伸ばす。
「――もちろん、ですわ」
手を掴んでそう笑えば、ヴィクトールが力強い手でルミナリエのことを引き上げ、涙を拭ってくれた――