06 勉強会。
「それでは第一回、勉強会を始めます! イエイ!」
みやちゃんが声を潜めるのは、ここが図書室だからだ。
授業を済ませた放課後、約束通り図書室に集合して、四人固まってテーブルについて勉強会を始める。私の右にみやちゃんが座り、向かいには白銀くん。その左隣に狼くん。
「山勘頼りにしてるぜ、小紅芽ちゃん」
「頼りにしていると言われても、半分は中学の予習みたいなものだから必要ないのでは?」
「そうですよ。あまり小紅芽さんに負担をかけてはいけません」
「首席はいいよな、余裕で」
「え? 狼くん、首席だったの?」
「おや、見ていませんか? 俺、新入生代表で入学式に出ていたのですが」
高校受験の首席だったようだ。
ちょうど目眩を覚えて、転校したいと呟いている時にでも出ていたのだろう。
「ぼんやりしてて見てなかった……」と白状した。
「そういう小紅芽ちゃんの学力はどれくらいなの? 俺、首席と張り合うくらいは学力高いって自負してる」
「私は……平均より上の点数が取れるくらいだと思う」
「あたし、二十位くらいに入ればいいかなぁー」
ちょっとレベルは高いみたいだ。
負けていられないな、と気合いを入れて勉強をした。
「数学、この辺り出そう」
「よし。小紅芽ちゃんの山勘頼りに一位獲ってやる」
「……外れても責任取らないからね?」
「そこはパフェでもおごってよ、小紅芽ちゃん」
同じく気合いを入れている白銀くんに、一応言っておく。
嫌だよ。責任持たない。
「パフェと言えば、駅ビルの中の食堂に巨大パフェあるよね! ねぇ、四人で食べに行かない? 打ち上げでさ」
数学の教科書を開くみやちゃんが提案した。
そういえば、写真撮影付きで巨大パフェを提供していると、友だちが言っていたな。
「四人で食べ切れるでしょうか?」
スラスラと問題を解きながら、狼くんは疑問を漏らす。
「四人はつらいんじゃないかな。男子ふた……いや三人いても」
危うくみやちゃんが男の子だと忘れかけてしまった。
「六人で挑めばちょうどいい感じでしょうか?」
「いや! 別腹ってあるし、四人でもいけるよ!」
「私、そんなにいけないよ?」
パフェは普通サイズで十分だ。
無理して食べるのは気が進まない。
「行こうよ、巨大パフェ!」
「やめておきましょう」
私は断る。右隣でみやちゃんは膨れっ面をした。
「ではこうしましょう。雅の順位が、小紅芽さんを上回ったら、行くということで」
「さんせーい! 頑張っちゃう!」
「ええ……」
にこりと柔和な表情で考えを出した狼くんに、みやちゃんは声を上げる。
他にも勉強をしていたり、読書をしていた生徒の注目を浴びてしまったから、みやちゃんは「ごめんないさい」と謝った。
でも上機嫌そうに勉強に戻った姿を見ると、自信があるらしい。
負けてはいられないと、私も集中をすることにした。
下校時刻の前に切り上げて、支度をする。
下校時刻の放送が鳴ったとほぼ同時に、校門を抜けた。
「小紅芽ちゃんの家って近いんでしょ? 送っていくよ!」
「駅より離れてるから、いいよ。三人とも電車でしょ?」
「いいのいいの。勉強会に誘ったのは俺達だしね」
駅から十分弱だけれども、家まで送らなくてもいい。
そう断りたかったのに、三人はついてきた。
結局、話をしながら、私の家まで行く。
「……結界……」
「え?」
「いえ、なんでもありません」
一軒家の私の家を見上げて、狼くんは確かにそう呟いた。
にこりと微笑みで誤魔化される。
でも、しっかりと聞いた。結界、と。
みやちゃんも白銀くんも、そわそわしている。
「ではまた明日」
「じゃあね、小紅芽ちゃん」
「バイバイー」
手を振り、来た道を引き返そうとする三人は、やはり私の家を気にしていた。
お守り効果で、人ではないものが入れない結界が張られているということなのだろうか。
だから寝ている時に襲われたりしないのか。
なんて愛おしい我が家なのだろう!
「ただいま!」
私は元気よく家に帰った。
その直後のことだ。
「げ……ノート、忘れた……」
数学のノートがいくら探しても鞄の中にない。
考えられるのは一つ。忘れたのだ。ノートに足が生えて去ったわけではないだろう。
そういえば、一度椅子の上に置いてからまとめて革鞄の中にしまった。その際に落としたのかもしれない。
明日までの課題があるので、取りに行くしかないが、問題は開いているかどうかだ。
「お母さん、忘れ物したから取りに行ってきます」
「はーい、気を付けてねー」
開いていますように、と祈って私は結界のある家を飛び出した。
正直、この時間帯に出歩きたくはない。何故なら夕方から夜にかけてが、一番お化けを見てしまう確率が高いのだ。
目が合いませんように、と丸眼鏡をクイッと上げては走った。
もう十八時を過ぎていたから、空は赤みがさした暗い空になっている。
「ラッキー!」
校門は開いていたので、中に入った。
あとは職員室に行って、事情を話して図書室を開けさせてもらうだけだ。
そう思ったのに、足を止める羽目となる。
校門から昇降口までの広間、前庭には今まで見たことがないほど大きな大きなものだった。
そして何よりもーーーー美しいと思ってしまう。
それは水色かかった白銀の羽毛に覆われていた。
長い身体は、蛇のよう。でも比べ物にならないほど大きい。
鳥のような翼を羽ばたかせながら、蠢くそれはきっと妖と呼ばれるもの。
顔はそう、まるで龍を連想させるそれだった。
どうやらその妖は、怪我を負っているみたいで、唸りながら身体をくねらせる。血らしきものがところどころ白銀の羽に滲んでいた。怪我をしている妖を見ても、私にはどうすることも出来ない。
だから放心して立ち尽くしていたら、その妖が急に激しく動いた。
蛇のような尻尾が、私の方に飛んできて直撃する。
軽く飛ばされた私は、地面に転がった。
「いた、いっ……」
痛すぎる。気が遠くなりかけたけれど、必死に掴む。
気を失ったら、だめだ。抑えている霊力がただ漏れになってしまう。
そうなれば、この目の前の妖だけではなく、他のものにも集中的に狙われてしまう。軋む身体を無理矢理起こそうとしたら、またもや鼻息を荒くした妖が激しく動いた。
「小紅芽ちゃん!?」
その声は、みやちゃんのもの。
でも私の目に映ったのは、赤い尻尾だった。
狼くんが私の目の前に現れ、妖の尻尾を受け止めたのだ。
「どうしたの!? 小紅芽ちゃん、こんなところに倒れて!」
次に目に映るのは、角を生やしたみやちゃん。
どうしたもこうしたもない。巨大な妖に吹っ飛ばされたのだ。
そんなこと答えられない。私は視えていない設定だ。
「な、なにかに、ぶつかって……」
「保健室に行こう? 肩貸すよ」
「ありがとう」
私は巨大な妖を見ないようにして、みやちゃんに肩を借りた。
「でもなんで……」
あの妖が唸る声が響く。
「みやちゃん達がいるの?」
「あ、あたしが忘れ物したからだよ!」
嘘だろう。声が上擦っている。
「私も図書室に忘れ物したの……」
「そっか! 狼くん、和真、ちょっと代わりに見てきてくれない?」
「オッケー!」
どうやら、白銀くんもいるようだ。
前庭が騒がしいけれど、私は決して振り返らなかった。
一階の保健室に入ると。
「美雪ちゃん! 手当てをお願いします」
「あらあら、どうしたの」
棒付き飴を食べている養護教諭の村田美雪先生がいた。
水色の髪は波打っていて、それを雪の結晶模様のシュシュで束ねている美女な先生だ。
美雪ちゃんという愛称で通っている。
「えっとなんと言いますか……転びました」
「擦りむいているわね。ベッドに座って、消毒するわ」
村田先生とみやちゃんは、意味深に視線を交じり合わせた。
すぐに手当てをしてもらう。村田先生の手は異常なくらい冷たかった。氷みたい。それに人間ではない気配も感じた。
まさかこの先生も、人ではない?
右の掌と右膝を消毒して、絆創膏を貼ってもらった。
「これでよし。飴いる?」
「いただきます」
「気を付けるのよ」
白衣のポケットから取り出された飴を受け取れば、ポンポンと頭の上に冷たい手が弾んだ。優しい先生ではあるのだけれどね。
何故こんなにも人外の者が集まる学校なのだろうか。
よくよく気を配ってみれば、学校全体が異様な気配がいつもより深まっていた。夜になると、妖が多く視えることと関係があるのだろうか。
「数学のノート。落ちてたぜ、小紅芽ちゃん」
私が棒付き飴をくわえていると、保健室に白銀くんと狼くんがきた。私のノートを持ってきて。不思議なくらい早いな。
何をしていたのか、二人とも顔や手に血がついていた。それは多分あの妖のものだろう。視えていない、視えていない、視えていない定。
「ありがとう」
「また送りますよ」
「え? いいよ」
「だーめ! 怪我したんだから、転ばないように見張る!」
二度も送られるなんて、ごめんだと言おうとしたけれど、みやちゃんに先回りされた。
また巨大な妖と遭遇してしまった時のことを考えると、守ってくれた狼くん達といた方いいのかもしれない。
私は間抜けなことに、二回目の送りをしてもらった。
幸い何事も起きなくて、無事安息の地の家に到着。
20180225