13 じゃれる。
一体どうしたのだろうか。
いつも廊下を徘徊している幻獣が、私の教室に頭を突っ込んだ。
それは初めてのことで、内心戸惑っていれば私をじとっと見上げてきた。
私は額を押さえる。なんか幻獣までもが私に興味を抱いてしまったみたいだ。
どうしてだ! 小鬼のみやちゃんから始まって、狼くんに黒猫とがっつりと惹きつけてしまった!
恐るべき魔の領域!
「お前に怪我を治してもらいたがっているんだ」
すっかり定位置になってしまった私の足元の黒猫が代弁する。
怪我を治す?
「お前の霊力ならば治癒も可能。その素質がある。浄化の素質と言ってな、だから霊力が満ち足りているお前の家にお守りも手伝って、結界が出来上がったんだ」
な、なるほど。
でもそんなこと言われても、ね。治癒の仕方など知らない。
また黒猫がやり方を教えてくれるのだろうか、と見てみれば黒猫は私の上履きに顎を乗せて寝てしまった。
どんな体勢で寝ているのだ、この黒猫は。
幻獣はB組の教室に居座ってしまい、その巨大な身体は教室の前を完全に占領してしまった。あとの身体は教室の外にはみ出ている。
お昼休みになっても、幻獣はいた。
お弁当を食べる私とみやちゃんは、呆然としてしまう。
他の生徒はすり抜けていくけれど、確かにそこには美しい羽毛の幻獣がいる。そう視えているのは、私とみやちゃんだけ。
でも互いにそれを話さなかった。まだ狼くんから聞いていないみたいだ。
みやちゃんは普段通りだった。幻獣には戸惑っている様子だけれども。
「後ろから出よう!」
放課後、図書室に行こうとすれば、みやちゃんに腕を掴まれる。わざわざ教室の後ろのドアから出て、図書室まで見送られた。
何故か幻獣はついてくる。治療するまで付きまとうつもりなのか。
みやちゃんはこれでもかと牽制するような視線を送っていたけれども、幻獣には一ミリも効いていないようだった。
「じゃあね。小紅芽ちゃん、狼くん」
「さようなら、雅」
「また明日、みやちゃん」
先に図書室に来ていた狼くんとも挨拶を交わすと、みやちゃんは帰っていく。
黒猫はカウンターの上に座り、まったりした様子で私を眺める。
狼くんの尻尾は、今日は膝に乗せてこなかった。
狼くんは、何を考えているのだろうか。
私が視えていると知って、何を思っているのだろう。
まだ他言していないのは、どうしてかな。
悶々と考えていれば、図書室を利用する生徒がいなくなり、私は返却された本を本棚に戻す作業に入った。
すると、真後ろに狼くんが立つ。
「視えているのですよね?」
狼くんは、問う。
「な、なんのことかな」
苦し紛れのとぼけをして、私は逃げようとした。
でも本棚に狼くんの左手が置かれて、遮られる。
私は狼くんを見ない。ただ置かれた狼くんの手を見た。
「これでもですか?」
ゾクッと鳥肌が立つ。次の瞬間には、ブワッと狼くんの手は毛に覆われて、犬のような手に変わった。
振り返ってしまう。
そこには、狼の顔があった。毛に覆われていて、鼻が突き出ていて、シュッとした輪郭。深紅の学ランを着た、真っ赤な毛の狼だ。瞳は翡翠。
これが狼くんなのか? 変身するなんて。
放心して見つめてしまえば、翡翠の瞳が細められた。
眼鏡を外されて、上から覗かれる。
鼻と鼻がくっ付いてしましそうなほど、顔が近付く。
「ーー怖い、ですか?」
発しられたのは、間違いなく狼くんの声。
「今宵は満月。だから、この姿になるのですが……怖いですか? それとも俺達の存在そのものが怖いですか?」
「っ……」
そっと狼くんの左手が頬に添えられた。
もふもふ……! 肉球……!
思わずキュッと目を閉じてしまう。
満月だから変身したのか。
狼くんは慎重になって、私の真意を探っていたのかな。
妖を恐れているのかどうかを。自分達を恐れているのかを。
そんなわけないじゃないか。
狼くん達がいい子なのは、十分すぎるほどわかっている。
今更怖がる理由がどこにあるというのだ。
でも、答えるわけにはいかなかった。
「ーー本当、可愛い人ですね」
「えっ?」
「なんでしょう……くすぐられて、悪戯をしたい衝動にかられてしまいます」
恐る恐ると目を開けば、狼くんは私の左頬に頬擦りをした。
異性に頬擦りをされているこの状況に、私は固まってしまう。
いや大きなワンコにじゃれられていることに、固まってしまっているのだろうか。
「楽しいので、暫くの間は二人だけの秘密……ですよ」
耳元に囁かれて、ビクンと震え上がってしまう。
離れた狼くんは微笑んだ、ように見えた。
私が口をパクパクさせていれば、クスクスと狼くんは笑う。
狼の顔をしていても、気品ある雰囲気。間違いなく狼くんだ。
「ろ、狼くんが何言っているか、さっぱりわからない!」
「はいはい」
「っ!」
私から離れてカウンターに戻る狼くんは、完全に視えていると思っている。そういう流され方をされてしまった。
私はわなわなと震える。触れられた頬を両手で押さえた。
極上のもふもふ……ごちそうさまでした!!
じゃなくて、私!! しっかりして!!
「戸締り、俺がしておくので先に帰っていいですよ」
「っ……さようなら!」
「ええ、さようなら」
何か言ってやろうとは思ったけれども、私は結局何も浮かばず、鞄を持って先に図書室を出た。狼くんはまだ笑っている。
く、悔しい!!
廊下に出ると幻獣の身体があって私は躓き、倒れそうになった。壁に手をつけて免れる。幻獣の身体を踏まないように歩いて、学校をあとにした。
幻獣は校門までついてきたけれども、校門より前には出ない。
不思議に思い、見ていたら。
「結界が張ってあるから、奴は出れん」
「え? じゃあ、君はどうして出れるの?」
結界が張ってあるのか。
じゃあ同じ魔界から出てきた黒猫は、どうして出入りが出来るのかと問う。
「俺ほどの妖ともなれば、こんな結界に囚われない」
「……」
俺ほどの、っと聞いてもよくわからない。
妖のレベルってどういう基準なんだ。数値化してほしいものだ。
「そう言えば黒猫くん、黒猫さん? 名前はなんていうの?」
かれこれ数日も一緒にいるけれど、名前を聞いていなかった。
「……」
横を歩く黒猫から、返答はない。
「吾輩は猫である、名前はまだない?」
「……」
「じゃあ勝手につけちゃうね。忍び寄るのが上手いから、しのぶ! 忍くん」
「……」
黒猫の忍くん。
黒猫は嫌がらなかった。視線を寄越すだけで、何も言わない。
「そもそも忍くんって、なんていう妖なの? 化け猫?」
「化け猫だ」
返事した。化け猫かぁ。
「取り憑いてやろうか? そうすればお前の好きな獣耳が生えるぞ」
何故好きだとわかっているんだ!
「!? え、遠慮する。……それより、治療の方法は教えてくれる? あの幻獣が教室に居座られちゃ、授業に集中出来ないよ」
「教えてやってもいいが、いつ治療してやるつもりなんだ? 知られたくないのだろう? あの小鬼には、まだ」
「まだ、か……」
狼くんは秘密を守っているけれども。
みやちゃんに知られるのも、時間の問題だ。
頬を赤らめてしまった私は、頭を振るう。狼くんの頬擦りを思い出してしまった。極上のもふもふ。
「確かに治療する時間なんてないわよね……」
「……夜に行けばいいんじゃないか?」
「夜は……気が進まない」
にたつく忍くん。
違和感を覚えつつも、私は夜出歩きたくない気持ちが強い。
あの件で懲りた。痛かったもの。幻獣の強烈な一撃は。
「いや夜しかない。夜に行こう」
「嫌だってば」
「夜の学校は楽しいぞ」
くつくつと笑う忍くんに言われると余計嫌に思えた。
魔界と繋がる夜の学校なんて、絶対に楽しくない。
結局、忍くんに治療を教えてもらうことなく、家に帰った。
「私、このままでいいのかしら……」
夜、課題と向き合いながら、ポツリと思うことを呟く。
忍くんや幻獣に付きまとわれて、狼くんには秘密を握られた。
その秘密を知られてしまったことが、ムズムズする。
このままでいいかとぼやいても、もう誤魔化すことは出来ない。
じゃあどうすればいいのか。
わからないと、頭を悩めつつ、課題を済ませた。
20180301