第34話 断罪とお別れと
俺は獣人愛に溢れる公爵に、猫ちゃんとマリノアを預けることにした。
本人の承諾なしに。
俺が眠っている間にいなくなったら、泣いて追っかけてきた猫ちゃんだ。
今回、それだけは本当に心からすまないと思っている。
俺も冷静じゃなかった。
猫ちゃんひとりくらいなら、お腹に抱えて移動できたはずだ。
マリノアだと空の旅はビビって漏らしちゃうだろうが、猫ちゃんは嬉々として楽しむ余裕も出てきている。
しかし、もう出発してしまった。
引き返すべきか? そればかりが頭を廻る。
後ろを見ると、城下は米粒ほどになっている。
前を向くしかない。
全力移動で村に帰り、様子を確認したら戻ってくる。
何日掛かるかわからないが、猫ちゃんを連れて旅をするよりあっという間なはずだ。
できるだけ時間を短縮しようと思った。
夜通し飛んで、疲れたら眠る。
その繰り返しをすれば、最短でも五日くらいで到着するかもしれない。
と、そこで自分の身なりに気づいた。
荷物を屋敷に置きっぱなしにしていた。
ローブもなければ荷物もない。
金貨五枚だけは、つねに携帯しているので、身なりを整えようと思えば次の町か村でできそうだった。
三分ほど飛ばすと、見えてきた町に降りた。
そこでローブと食糧を買って、西へ行こう。
地図はなくても、コンパスは買っておきたい。
俺は町の雑貨屋を回った。
ローブとコンパスを買うのに金貨を出したら店主に驚かれたが、自分の年齢を考えると納得だ。
まあ、どうせお使いをさせられていると勘違いするだろうから気にしないのだが。
次に日持ちする食糧を買うために肉屋やパン屋を回った。
狩りをして肉を得たら、日持ちさせるために塩を使うので、それも忘れず購入しておく。
主婦がふたり、話しているのが耳に入った。
「あの変わり者の領主様、また新しい獣人を屋敷に入れたんだって?」
「そうらしいわよ。また孕ませて役に立たない獣人の子を作る気かしら」
「世継ぎも作らず馬鹿みたいにねえ」
「ホントよ。それに孕ませる獣人は決まって幼いらしいじゃない?」
「貴族様ってのは性癖がどこかおかしいもんよねえ」
話している声が勝手に耳に入ってくる。
そういえば俺は、ボンボンの愛人や正妻を一度として見たことがあっただろうか。
同じ敷地内に暮らしているはずなのに、猫ちゃんによちよちついていくハーフの子供しか見たことがない。
それは……なんだかおかしい気がした。
まるで俺たちと、愛人の彼女らを隔てているような気さえする。
疑い出すとキリがないものだ。
ボンボン公爵の猫ちゃんやマリノアを見る目がちょっといやらしかったかもしれないと、いまさら思い始める。
念願叶って俺が傍からいなくなった今が、手を出すチャンスなのでは?
孕ませちまえばこっちのもの、とか考えてたらすげー腹立つ。
猫ちゃんはまだ幼すぎるが、マリノアはこの間お赤飯だったし。
十分に食指が動くのではなかろうか。
西で妹が待っており、東で猫ちゃんとマリノアの貞操の危機。
どうしよう。
いや、考えるまでもないか。
守りたいと思う子が増えると、こんな弊害があるのだ。
天秤にかけ、葛藤するのが嫌になる。
影分身の術でも使えたらいいのに。
俺は来た道を返し、城下町へと急いだ。
結果からいうと、町の噂は本当だったようだ。
マリノアと牛系獣人のおっぱいさんがなぜかメイド服を着ていた。
ボンボンの寝室で。
気づかれないように採寸し、仕立てたのだろう。
限りなく無駄とも思えるその熱意には、グッジョブと言いたい。
しかし。
しかしである。
猫ちゃんだけは裸だった。
裸で、ボンボンが毎日寝起きしているだろうベッドに、仰向けに丸まっていた。
泣いていた。
目元が赤い。
酷いことをされたのではないかと、心臓がギュッと締め付けられる。
ボンボンも裸だった。ベッドの上で。
いまにも猫ちゃんに覆いかぶさらんばかりの体勢で、いきり立っていた。
まだ酷いことをされる前だったのかもしれない。
俺はそんなときに、窓からガラスをぶち破って乱入したのだ。
全員の視線が俺に向けられる。
俺は部屋を見回し、一瞬で結論を出した。
なんでふたりはメイド服なのかとか、なんでふたりは乱心した素っ裸のデブを止めないのかとか、そういった些細なことまで頭は回らない。
ただひとつの答えが、目の前に歴然として広がっている。
「おいてめえ。人のモンになに唾かけてんだオイ?」
「あ、こ、これはですなあ……あ、あーっと……」
「下半身丸出しで? 人の女ひん剥いて? ナニしようとしていたわけで? で、言い訳は? 出てこない? おいコラ」
「は、はひぃ……」
仮にも公爵であるボンボンが、九歳児の俺を見て小さくなっている。
ソーセージもポークビッツになろうというものだ。
この男に見合った刑罰。
簡単である。
タマタマを潰せばいいのだ。
性欲が強いから猫ちゃんに手を出そうなどと狼藉を働くのだ。
腐っても公爵家。
殺すと一生追われることになりそうだから、お家の恥を刻んでやればいい。
ということで。
俺は躊躇しなかった。
「覚悟せいや。そんで歯ぁ食い縛れや!!」
俺はボンボンの股間を力いっぱい蹴り上げた。
合わせ技で魔力を流し、内部破壊を引き起こす。
ぷちっと潰れる感覚が、足の甲にあった。
「ぎぃやああぃぁぁぁぁっ!!!!」
ボンボンの絶叫が辺りに響いた。
泡を吹いてベッドの向こう側に落ちたボンボンから、猫ちゃんを救い出した。
手を広げると、裸の猫ちゃんは目を腫らした顔で抱き付いてきた。
「ふええぇぇぇぇぇん……」
泣き崩れる猫ちゃんをよしよしと撫でる。
やっぱり置いていくべきではなかった。
「さっさとこの変態のところから脱出しよう。猫ちゃんに襲い掛かる奴と一緒になんていられないだろ」
俺は立ち上がり、猫ちゃんを抱えてさっさと部屋を出て行こうとした。
その俺の前に、困惑したマリノアが立ちはだかった。
「違うんです、アル様。誤解なんです」
「違うも何も、裸でいきり立ったものを猫ちゃんに向けて、いまにも襲い掛かろうとしている姿を見て何の誤解だっていうのさ」
「それは、そうなのですが、行き過ぎたといいますか、そんなつもりはなかったと思います」
「そんなつもりって?」
問い返すと、マリノアは真っ赤になってしまった。
エッチな想像でもしたのだろう。
相変わらずの耳年増だ。
「とにかくウチの大事な猫ちゃんを裸にひん剥いた時点でダメ、絶対」
「それはミィナが自分で脱いだんです。着せられたメイド服? を嫌がって」
「そもそもメイド服を着せるとか、それが――」俺はまじまじとマリノア、ミル姉さんのメイド姿を眺める。「――まあ、ありだな」
「真顔で言わないでくださいよ、恥ずかしいんですから!」
「恥じらうマリノア、かわいい……」
「かわいいなんて、そんな……」
俺の視線から体を隠そうとしてか、自分を抱きしめて目を伏せるマリノア。
すごくいい!
ミル姉さんの方は、暴力的なおっぱいが慎ましやかなメイド服によって、さらに凶悪になっている。
本人はそのことに無頓着で、牛耳をぴくぴく動かしながら、俺ににこりと笑顔を浮かべてくる。
首にカウベルをつけたい。
……と、いつまでも遊んでいる場合ではない。
ボンボンが起き出す前にさっさと屋敷を出ないと。
「とりあえずこの屋敷の獣人全員を連れて村まで行こうか。村の連中と合流したら、全員で東国に行こう。ライアンに話を付ければ故郷まで安全に行けるはずだ」
獣人たちを連れ出そうとしたが、マリノアとミル姉さんが難色を示した。
「アル様、ちょっとお待ちください。誰もついていきませんよ」
「なんで?」
「彼らは彼らの意思でここにいるからですよ」
ミル姉さんが穏やかに言った。
「公爵さんが好きでここにいるのに、無理に連れてはいけませんよ」
「猫ちゃんの貞操が」
言いかけた俺を、ミル姉さんがふわりと包み込んだ。
喫せずして爆乳を顔に押し付けられることになり、俺は一瞬にして怒りもこの世のしがらみも忘れて陶然となった。
このアルシエル・ラインゴールドを殺したくば、豊かな胸に挟むだけでいいのだ。
ミルクの匂いに包まれ、俺の意識は楽園へと旅立った。
甘い時間が俺を誘惑する。
ベッドの中で起きようかとまどろむ時間よりも最高の心地だ。
そんな俺を楽園から無理やり引き剥がすものがいた。
「うう!」
猫ちゃんだった。
俺をベッドに引き倒し、上に跨って抱き付いてきた。
ない胸を押し付けられる。
まだ膨らむ成長期に達していない猫ちゃんでは、俺を楽園へと誘えない。
むしろ現実に引き戻す効果しかない。
よしよしと背中をさする。
すべすべの肌だ。
俺が毎日のように浄化し、良い物を食べさせ、適度な運動をさせ、磨いてきただけはある。
魔力を纏えるようになると、成長すらも魔力で操れるらしいからな。
これからの成長を、俺が左右してしまうかもしれない。
日に一回は猫ちゃんやマリノアの手を握り、魔力を体に行き渡らせる訓練をしていた。
魔力に慣れる一環の流れを毎日続けることで、魔力を操るのがぐっと楽になる。
ふたりが身体強化を使えるようになったのも、日々の積み重ねのおかげである。
何が言いたいのかというと、俺の力があれば、平均して胸がそれほど成長しない猫系獣人の宿命を、猫ちゃんを通して変えることができるかもしれない。
まさに、俺好みに育てられるというわけだ。
やべえ、リアル光源氏……。
さすがに猫ちゃんを歩くフェロモンと揶揄されるミル姉さんのような、ムチムチエロ爆乳美女に一日足らずですることはできないが、通常の成長に働きかけて成長を促すことはできる。
未来の猫ちゃんを想像した。
うっふんと、しなを作っている。
流し目もエロい。
むっちりした体型に、猫耳&尻尾。
「…………」
……俺天才じゃないか?
まあ気長に頑張ろう。
目標は十年後である。
さて。
何をしていたんだっけか?
「とりあえず公爵様が起きられるまで待ってもらえませんか? 判断を下されるのはそれからでも遅くはないかと」
顔を赤くして、昏倒したままの裸の公爵にベッドのシーツをかけるマリノア。
「結構強めにやったから、二、三日は起きないだろうね」
「ならアル様の治癒魔術で治したらいかがです?」
「なんで猫ちゃんに悪戯しようとした男を治さないといけないのさ」
「だから理由があるのだと……もういいです」
平行線だと思ったのか、マリノアは途中で言葉を切った。
「アル様も悪いんですよ。わたしたちに何も言わずに出て行ってしまうから。それでミィナが取り乱したところもあるんです」
「それは……そうだけど」
痛いところを突かれて、俺は素直に認める。
「でも本当に待ってる時間がないんだ。用事を済ませて戻ってきたら話を聞こう」
「どれぐらいで戻られるんですか?」
「ひと月……で戻ってこられたらいい方かな」
「そうですか……」
猫ちゃんとマリノア、そのほかのパーティがいると、移動に時間がかかる。
ボンボンが言ったように、片道ひと月半で、三か月の旅になるかもしれない。
「いますぐ準備して出掛けよう。そいつには、誰かに言付けておけばいいし」
「そのことなんですが、わたしは残っていようと思います」
「私も残ります」
メイド組が残留を望んでいる。
寝耳に水である。
「……正気?」
「大丈夫です。アル様のご想像の通りにはなりませんから」
ボンボンにあんな悪戯やこんな悪戯をされてしまうマリノアやミル姉さんを想像した。
はらわたが煮えくり返りそうになる。
ミル姉さんと目が合った。
おっとりしているが、なかなかに聡い彼女には内心を見抜かれていそうだ。
「大丈夫です」と、にこりと微笑まれた。
「連れていくならミィナをお願いします。わたしたちはここか、新興村でお待ちしていますので」
素っ気なく聞こえるが、マリノアは元々そんな感じだ。
なんでも合理的に判断しようとする。
ちょっと突けば年相応の幼い顔も見られるが、いつも大人顔負けであろうとするのだ。
「……本気?」
「本気ですよ。急ぐ旅に、わたしたちはきっと足手まといですから」
寂しげにマリノアは笑った。
確かにそう考えるところはあった。
自分と猫ちゃんだけならひと月、その他の人間を入れると三か月という計算が頭にあったからだ。
「とにかく、用事を済ませて、戻ってきましたら、一度公爵様と落ち着いて話し合ってください。そこで誤解が解けると思います。いまのアル様は冷静ではありませんから」
「そう言われてもな……」
「それまでわたしはここでお待ちしていますから。あ、アル様が嫌でなければ、わ、わたしを迎えに来てください……」
メイド服の裾をぎゅっと握りしめたマリノアが、顔を真っ赤にして俯いた。
もしかしてそれって、意味深……?
「ちゃんと迎えに来てくれなきゃ嫌ですよ……」
「マリノア……」
女の子にここまで言わせたのだ。
守ってやらなきゃ甲斐性なしになってしまう。
「わかった。用事を済ませたら必ず戻ってくるから」
「はい、アル様!」
「ちゃんと迎えに来るから」
「待ってます。ずっと、待ってますから!」
なんてできた子なんだろう。
尻尾をぶんぶんと振っている。
忠犬ハチ公みたいだ。
俺は思わず近寄って抱きしめてしまった。
「あ、う……!」
照れて真っ赤になってるマリノアも可愛い。
尻尾をちぎれんばかりに振っているのも可愛い。
俺の自慢の愛犬だね。
尻尾を念入りに撫でてやった。
もっと赤くなり、身を強張らせて、小さく震えた。
「マリノアは可愛いなあ……こんなことがなければもっと可愛がってあげたのに」
「い、いまは、やめてください……おねがい、します……」
顔が上気している。
尻尾が内側に丸まってしまった。
耳がぺたんと伏せられる。
いじめすぎたか。
「必ず戻る」
「……やっぱり戻ってこなくていいです」
ツンデレか。
本気で言われていたらショックだ。
と思っていたら、頬を手で挟まれて、強引に引き寄せられた。
「まあ」
ミル姉さんが驚いたような、楽しそうな声を上げる。
マリノアに唇を奪われていた。
いつも女の子の方からキスされるってどうよ? まあ……最高だよね!
触れるだけのソフトなキスを終えて、マリノアが離れる。
マリノアは逃げるように、ミル姉さんの後ろに隠れてしまった。
素気無い態度はすべて照れ隠しだったようだ。
なんだか無性に嬉しいな!
「猫ちゃん!」
「あい!」
俺がマリノアと漫才をやっている横で、ミル姉さんに着替えさせてもらって旅装を整えた猫ちゃんが、俺の背中に飛びついてくる。
猫ちゃんの荷物には、俺がここまで持ってきたものも含まれている。
「じゃあ、行ってきます!」
「んにゃ!」
シュタッと手を上げると、猫ちゃんも真似する。
俺は自分がぶち破った窓から、ひらりと身を投げた。
NTRが好きな皆様には残念な結果ですね。




