第9話 家族
追加編集:2017/6/5
「お、おかあさん……ぐるじいよう……」
「あ、ああ、ごめんなさい。とにかく、どこかに怪我とかない? 痛いところは?」
リエラがぷるぷると首を振る。
ママセラの目が俺にも向けられたので、俺も横に振った。
「そう、本当に良かった……」
そういい、涙を溜めてまた抱きしめられた。
優しい、母の匂いがした。
遅れて父も子ども部屋に現れた。
ママセラは寝巻姿に剣を佩いた剣士の出で立ちで、パパジャンはフードのついたローブを羽織っていた。
「うお! 暗殺者が死んでるじゃねえか。セラか?」
「私じゃないわ。来たときにはもう、メイドと暗殺者が死んでいたわ」
「もしかして……アリィか?」
パパジャンとママセラが、顔を覗き込んでくる。
俺は迷った。
言うべきか。黙っているべきか。
しかしいま、緊急事態なのは親の顔を見ればわかる。
いつもの余裕をかなぐり捨てて、パパジャンはいつにない厳しい顔をしている。
俺はこくりと頷いた。
「……そうか。五歳にしてオレを抜くような魔術師か、アリィは」
燭台を掲げる父の顔が、どこか寂しそうだった。
「あなたの魔術じゃ暗殺者相手に後れを取るものね」
「ああ、オレには剣士様がついていて心からよかったと思ったね。オレの女神は夜の楽しみを邪魔するやつを一刀両断するんだからな」
「女はどんなときでも気を抜かないのよ」
「夫の前くらいでは気を許そうぜ?」
冗談めかした両親の会話。
リエラには意味など分かるまい。
両親の夜の営み最中に襲われたのだと気づいてちょっとげんなりした。
父は快楽に耽っていたかで後れを取り、剣士である母が撃退した。
情けないの一言に尽きる。
問題は最後までイったか、ということか。違うか。
「とにかく、この屋敷をいったん出ましょう。ジャン、お爺様の方はどうだったの?」
パパジャンが首を振る。
それだけで祖父の生死がわかった。
「護衛長や他の手練れたちまで全滅だった。オレも非番じゃなきゃ死んでたかもしれない」
「運がいいのか悪いのか」
「悪いに決まってるよ」
あのパパジャンが顔色を悪くして言う。
軽口のはずがとても重たい。
「今回の襲撃は、どうやら当主を狙ったもののようだ。政敵の仕業だろうな。あとは騒ぎを大きくするために無差別に殺して回っている、と言うところだろう」
「私たちは逃げて生き延びれば勝ちと言うことね」
「そう単純ならいいんだが……」
パパジャンを先頭に、四人は屋敷から脱出をはかることになった。
「アリィ、リエラ、歩ける?」
「ぼくは大丈夫です」
「やだ。歩きたくない」
「もう、こんなときにわがままを言わないでほしいわ」
「お母様、ぼくはだいじょうぶですから、リエラをお願いします。ぼくは自分で歩きますから」
「……頼もしいお兄ちゃんの顔ね。いつの間にそんな顔をするようになったのかしら」
ママセラは微笑んで、頭を撫でてくれた。
リエラが駄々をこねたので、ママセラはリエラを抱き上げて進むことになった。
状況を理解していないリエラにしてみたら、眠たいのを起こされてひどく不機嫌なのだ。
パパジャンの後ろに俺。
最後尾にリエラを抱き上げたママセラがついた。
「おうアリィ、おまえいつの間に強い魔術が使えるようになった?」
「隠れて訓練はしてました。お父様のプライドを傷つけたくなかったので」
「はっ、言ってくれるぜ。なんかいつもと違って頼りがいがあるじゃねえか」
燭台を掲げて歩く父の顔は、どこか青白かった。
その理由は、もう片方のだらりと垂れた腕にある。
傷を負っていたのだ。
暗殺者に後れを取ったときの傷だろうか。
毒。俺はまずそれを心配した。
だが、パパジャンは気丈に振る舞っている。
俺が何かを言ったところで、パパジャンは鼻で笑い飛ばすだろう。
途中、おろおろする年嵩のメイドと合流した。
そのメイドにリエラを預け、ママセラは剣を構えて進むことになった。
一階に降り、裏口から抜け出そうとしたところで、パパジャンの顔が険しくなる。
「最悪だ……」
外を覗いた父の顔が青ざめていた。
俺も隙間から覗いてみた。
目に見えるだけで五十人。
軍隊がまるまる屋敷を包囲していた。
「最悪ですね。ちなみにお父様、あれはぼくたちを助けにきたひとたちですか?」
「だったら飛び込んでいくんだがな。飛び込んだ瞬間血祭りさ。おっと、子どもには過激だったか」
パパジャンはいつもより気さくだった。
こんな緊急事態に遭遇して、無理にでも周りに不安を抱かせないように、との配慮とも思える。
「お父様の魔術でなんとかなりませんか?」
「息子の期待に応えてやりたいのは山々だが、オレは中近距離のタイプでな。あいつらの前に姿を晒さなくちゃならない。オレがあからさまに姿を見せて魔術を使うと、助かった後に問題になる。アリィじゃ言ってる意味がわからないだろうが、要するにお父さんでも難しいってことだ」
「じゃあぼくがやります」
「なんだと?」
俺は近距離とか遠距離など気にしたことはなかった。
対人魔術なんて覚えようとも思わなかったからだ。
だが、応用ができればなんとかなる。
使う魔術は何がいいだろう。
火は論外だ。死人が出る。
何十人と立ち塞がっている軍人相手に威力を抑えることもできないので風も被害が大きいだろうし、水は先ほどの一件からどうしても死を連想してしまう。
ならば混成魔術の水蒸気で霧を作ろう。
「霧を作って視界を奪います」
「おいおい、それって上級魔術だぞ……」
魔力を練る。
狙いは上半身から頭にかけてだ。
火と水を混成させた霧を、取り囲む兵士たちの頭上に発生させるイメージだ。
距離にして三十メートル。
大丈夫。
魔力の消費が激しいが、無理ではない。
霧を発生させると、沈黙していた兵士たちの間にわずかに動揺が走った。
体からごっそりと魔力が抜け、疲労感に襲われる。
「アリィ、おまえ杖なしで魔術ができるのか? それに無詠唱じゃないか」
パパジャンは驚き、目を白黒させる。
「そんなにすごいことなんですか?」
「ああ……魔術は万能だから、理論上は不可能じゃないが、普通魔力ってのは操作が難しい。だから魔術具と詠唱でカバーするもんなんだが……」
「あなた、授業は後にして」
「あ、ああ……」
ママセラに窘められて、パパジャンは落ち着きを取り戻す。
「おまえいつの間にそんな魔術が使えるようになったんだ」
「本に載ってました」
「嘘つけ」
「嘘です。ぼくが考えました」
「だろうな。オレもこの家の魔術書は最低でも三回は読み返してるからな」
以外に勉強家らしい。
興味のあることにはとことんのめり込むタイプなのだろう。
「じゃあ今度は、父の威厳を見せるかな」
裏口のドアを少しだけ開き、そこから詠唱を始める。
「“汝は光。駆け抜ける閃光。形なき刃となりて疾走れ”」
パパジャンはドアから飛び出し、杖を霧に向けて詠唱を唱え終わった。
杖先が眩く光ったと思ったら、紫電が軍隊に向かって迸った。
瞬き程度の時間だった。
バチバチっと弾ける音がして、崩れ落ちる音が重なる。
それで片が付いたのか、警戒しつつもパパジャンは、兵士に向かって走っていった。
気絶しているのを確認して、手招きしている。
ママセラを先頭に、俺と、リエラを抱えたメイドが続く。
パパジャンを先頭に、俺たちは倒れ込む軍人の間をすり抜けて道に出た。
焦げ臭いにおいが鼻を掠める。
軍人たちは全員気を失って、虚ろな目をして折り重なっている。
「くちゃい」
リエラが鼻をつまみ、しかめっ面になる。
妹の言う通り、一帯に漂った臭いは好んで嗅ぎたい類のものではない。
俺たちは屋敷を脱出した。
夜の道は明かりがほとんどなかった。
月明かりを頼りに走った。
「アリィ、おんぶしてほしいか?」
「だいじょう、ぶです。これくらい」
五歳児ではちょっと厳しいが、魔力を足に集めて強化している。
リエラを抱えたメイドには後れを取っていないつもりだ。
それに、パパジャンは道を曲がるときも確認を怠らないので、常に走っているわけではなかった。
パパジャンやママセラが警戒を強めている間に、俺は息を整えさせてもらう。
「貴族の知り合いの伝手は頼めないな」
「じゃあ冒険者の頃の伝手を行きましょう」
「それがいいな」
ふたりは話がまとまったらしく、足取りに迷いがなかった。
そして路地裏に入り、一軒の商店の裏に回った。
パパジャンは勝手知ったように、勝手口を叩く。
しばらくして家人が現れた。
「どなたですか?」
「フィルマークを頼む。冒険者のジャンと言えばすぐにわかるはずだ」
「かしこまりました」
使用人か何からしい。
一端引っ込むと、しばらくしてまた勝手口が開いた。
「こんな夜更けに誰かと思えば、どうした一体? 妻と子どもたちを自慢しに来たわけでもないだろう、ジャンよ」
ちょび髭の大男が現れた。
彼はパパジャンを見るなり、人好きのする笑みを浮かべる。
彼と握手を交わして、両親も表情を緩めた。
「フィルマーク、頼む」
「そんな血相を変えちまって。人の親になるってのは性格も変えちまうみたいだな、ええおい。あのジャンが頭を下げてやがる。これはオレの夢かもしれん」
「ふざけてる場合じゃないだろ」
「事情はわかっているつもりだ。とりあえず中に入るといい」
そうして大男の商人に中に通され、俺たちは一息つくことができた。
リエラは眠そうにしており、ママセラがメイドからリエラを受け取った。
ソファに腰かけてリエラの背中をさすっている。
「アリィもおいで」
「ぼくはいいです。リエラをお願いします」
ママセラに誘われたが、それよりも大人たちの会話のほうが気になった。
パパジャンと商人のフィルマークは、少し離れたところで声を抑えて話していた。
「大変な目に遭ったようだな、ジャン」
「ああ、子どもたちまで殺されてたかもしれないと思うとゾッとしないな」
「家族が殺されたおまえたちふたりが復讐の鬼になっていなくてよかったよ。冒険者時代を知るものからすれば、王都を火の海にするんじゃないかと心配するだろうからな」
「そうならなくてオレもよかったと思ってるさ。あんたの店が燃えなかったんだからな」
「ともあれだ、大方強硬派の貴族が焦れて、穏健派のあんたのところの屋敷に手を出したんだろ。誰がけしかけたかは想像がつく」
「軍を動かしてたんだ。オレだってわかるさ」
「他の家族は? ラインゴールド卿は逃げられたのか?」
「親父はダメだった。最期まで逃げずに、自分の意志を貫いたよ」
「そうか。惜しい人を失くしたな。あのような人を簡単に死に追いやってしまう。それがこの国の限界でもあるな。それにラインゴールドの大旦那とは誠実な付き合いをさせてもらったからな。そういう意味でも恩はある」
「兄貴と弟の息がかかった使用人までやられていた。無差別だな。余計なことを知ってるヤツはすべて皆殺しだぜ。冷酷にもほどがある。きっと青い血が流れてるんだぜ。どんな親から生まれてきたのかね」
「それだけ皮肉を言えればまだ大丈夫だな。オレの方でそれとなく調べておいてやる」
「助かる」
「オレのところで匿うか?」
「いや、子どもたちは街を出たほうがいい。騒ぎが収まるまでしばらく渦中に置いておきたくない」
「おまえたちは今回、巻き込まれただけだが、追手がかかるぞ?」
「こういうとき同じ釜の飯を食った冒険者仲間は血を分けた兄弟よりも頼りになるよな。何人かに連絡を取りたい」
「エドは国中旅をしてるし、他もすぐに掴まるとは思えない。気が急くだろうが、少なくとも数日は様子を見ようか」
「王領の関所を越えるのが山だな」
「なに、抜け道はいくつもある。伊達にこの大都市であくどい商売はやってないよ」
「おまえが言うとその通りのような気がしてくるぜ」
「悪友に死なれちゃたまらんからな。任せろ。それで、子どもらを匿う場所は決めているのか?」
「スピカ村で数年は様子を見ようと思ってる。土を耕すのも悪くないさ」
「あえて西へ向かうか。逃げたところで大霊峰は越えられないぞ? なにせ前人未踏だ。ここから一カ月はかかるしな」
「山越えなんてしねえよ。普通、東か南に行くと思うだろ。裏をかくのさ。木を隠すなら森の中って意味じゃ王都の近くも悪くないが、安心できないしな」
「そうだな。少し離れた方がいいだろう」
話の途中に、ママセラに呼び戻された。
俺はすごすごと戻り、ママセラの腕に収まった。
俺たち家族は一週間ほどフィルマークの家に匿ってもらった。
その後、朝方に身を隠すように隊商の馬車に乗り込み、しばらく揺れた。
ママセラから黙っているように言われたので、大人しくしている。
メイドもついてくるようだ。
本当なら商人に匿われたときに離れるはずだったのが、本人の意思で同行を申し出たのだ。
メイドを解雇する際にわずかばかりのお礼ということで、ママセラが銀貨を握らせているのを見てしまった。
それでもメイドは引き下がらなかったのだ。
『いいえ、奥様。私はどこまでもお供します。いまが大変な時期なのは承知しております。ですが若旦那様なら必ずやこの苦難を乗り越えますわ』
『エルマ、ありがとう……』
ママセラは涙もろく、メイドの言葉に感動していた。
それでも受け取ってと握らされた銀貨は、返さずメイドのポケットに大事にしまわれていた。
世の中金だなと、俺は捻くれた感想しか思い浮かばないのだった。
それに、どうせメイドをお供させるならナルシェが良かった。
人殺しだと誤解されたまま離れ離れになったことが悔やまれる。
お姉さんメイド……くぅ……!
「街を出たんですが、後ろから軍が追いかけてきますわ、旦那」
「全然裏をかけてないな」
「王都から出るすべてに目を付けていたんじゃないかしら」
それが冗談だと笑い飛ばせない相手を敵に回しているのだ。
御者が声を掛けてくるのを聞き、パパジャンが立ち上がる。
幌馬車の垂れ幕を少しだけめくり、後続を確認している。
「二十騎か。オレたち以外に用があるとも思えないな」
「ちょっとしつこくないかしら。私たちにはなんの権限もないのに」
「向こうさんはそう思ってないってことさ。オレたちに用はなくとも、子どもたちにはあるだろうしな」
パパジャンは御者と何やら話をしてから、幌馬車の後ろに立った。
しばらく行くと、幌馬車は止まった。
軍人に止めさせられたのだろう。
「エルマ、子どもたちをお願い。私たちと行動を別にすることがあっても、迷わずスピカの村を目指してちょうだい。ひと月待ってくれればいいから」
そういってママセラはメイドに金貨を握らせた。
これで旅費の足しにしろ、ということだ。
ママセラは剣の柄を握り、パパジャンの隣に立った。
「おまえは子どもたちと一緒に行くべきだろう」
「あら、魔術師の前衛は剣士が務めるものよ。あなたの伴侶となったときから、生涯行動をともにすると決めたのだもの」
「おい、こんなときまでオレを感動させないでくれよ」
両親はお互いに笑い合った。
人の目がなければ抱き合ってベッドインしてしまいそうだ。
「すぐに追いつくからな。アリィ、妹を守れよ」
「リエラ、いい子にして待ってるのよ。私の可愛い天使たち……」
俺たち双子をぎゅっと抱き寄せる。
離れるとき、ママセラは目元を拭っていた。
そして止める間もなく、ふたりは馬車から飛び降りる。
俺が最後に見た両親の背中は、いつもより大きく、強く、そして眩しく見えた。