第26話 平原の終わり
平原の終わりは、遠くに聳える山が目印だった。
「あれはベドナ火山と呼ばれる活火山でありますぞ」
「噴火とかあるの?」
「何十年に一度か、噴煙が上がることがありますぞ。我輩がこの領地を得てからは一度も噴火は起こってないのでありますが。一度見てみたいのですぞ。目の当たりした人間が言うには、大地が怒り狂ったようだと」
「火山か……ふむ」
俺はボンボンの興奮した様子を話半分に聞きながら、火山から連想されるものを考えていた。
日本も世界有数の火山国である。
肌寒い日が続く今日この頃、温まりたいなあと思う日も多い。
夜はいつも体温の高い猫ちゃんが密着し、マリノアとも身を寄せ合って眠るので寒くはないが、それでも疲れを癒したり、血行を良くしたりする、地から湧き出る『あれ』を期待してしまう。
「え、えっと、ちょっと聞きたいんですけど、熱いお湯が沸きだす泉って……あったりするの?」
要するに温泉だ。
温泉と言って通じるとも思えない。
「ありますぞ!」
元気いっぱいにボンボンは答えた。
「おお!」
「しかし山の傍でないと、温かい水は出ないのですぞ。飲むのはやめたほうがいいと我輩思うのですぞ。あれは臭いと言われております。毒水ですぞ」
わかってない。わかってないよ。
それって硫黄臭でしょ。
フグの肉を食用にした人間がいるように、誰かがその硫黄臭のする温泉が良い物だと証明しないとダメなのだ。
日本で最初に温泉を利用したのは、山猿とか野生の動物だったんだったか。
それを見て人間も浸かるようになった……というのを聞いたことがある。
温泉、入りたいなあ。
機会があったら積極的に入りに行こうか。
数日後、火山を迂回するように平原を抜けた。
すると物々しい砦が見えてきた。
五メートルはあろうかという城壁が威を放っていた。
門の上には櫓があり、そこで動いている人影が遠目にも見える。
「グラスヘッド砦ですぞ。平原から攻めてくる東方国に対する防波堤であります」
ボンボン公爵が逐一説明してくれる。
「ここからは街道を通って行くことになりますぞ。獣人諸君は目立たないようにしていただきたいのですぞ」
獣人好きのボンボンですらこういうのだから、いかに領地といえど獣人たちの扱いの悪さを嫌でも感じ取る。
ボンボン公爵自身は獣人たちに友好的だが、彼の率いる軍隊は獣人たちと距離を置いている。
そこには見えない壁が確かにある。
移動の際も、完全に分かれているし。
「必要最低限の人数で領地に入って、あとは平原で野営して待っていた方がいいんじゃないですか? 無理して領地に入る必要もないと思いますが」
「我輩の屋敷に行って帰ってくるとなると、十日はかかってしまいますぞ。待たせておくのは偲びないのでありますぞ」
「だったら故郷に帰りたい連中には、付近の街とか村から食糧を買い上げるとか」
「むむ……正直申し上げると、我輩の屋敷に全員を招待したいのですぞ。獣人たちには肩身の狭い思いをさせますが、我輩だけでも彼らを歓迎したいのであります」
「うーん……ここは折衷案を取りましょうか」
簡単な話である。
東国に帰る者たちには近場から食糧や必需品を買い上げて贈る。
ボンボンの作る村に入る、あるいはボンボンに仕えようと考えている者は領地に向かえばいい。
と言う話をした。
「やだやだ! 我輩、全員を歓迎したいのである!」
それは貴族のわがままだ。
却下である。
というか、やだやだとか肉を揺らしながら駄々をこねるな、キモイ。
俺の案を強制的に進めようとしたが、ボンボンは途端に真顔になって俺を見る。
「しかし真面目な話、いま彼らを東国に帰しても、捕まって奴隷にされるのが見えておりますぞ」
「うーん……それもそうか……」
百人規模で移動すれば、東国は軍を出すだろう。
数人単位でバラバラに移動することも考えたが、必ず何割かは犠牲になる計算しか思い浮かばない。
「確かに故郷に帰るまでの道筋を付けなければいけないですよね。そのためには、東国で信用できる人間に守ってもらう必要があると」
思い浮かぶのは元赤騎士のライアン・レゲロ。
彼以外にも何人も将軍を拉致して交渉の場に引きずり込んだが、彼以上に話せる東国将軍はいなかった。
だいたいが敵意を持って接してくるか、こちらを侮って居丈高に振る舞うかだった。
他の将軍の中でましそうなのは、ちょっとお姉が入ったノコン・ビルバルドくらいか。
獣人の代表が俺であることを知るなり色目を使ってきたことを抜いても、比較的スムーズに交渉が進んだ方だ。
彼の副官も、真面目で状況をよく把握していたし。
でもまあ、色目を使われた時点でないな。
ライアンもそっちの気があるのか最後までわからなかったし、東国は男色が流行っているのだろうか。
それとも、男ばかりの軍隊にいると、同性を愛してしまう病気が広がってしまうのだろうか。
深くは考えまい。
怪物(男色)と戦う者はその過程で自分自身も怪物になることのないように気をつけなくちゃダメだ。
深淵(男の世界)を覗くとき、深淵(向こう)もまたこちらを覗いているらしいからな。
昔の哲学者、ニーチェ先生も言っている。
めくるめく男の世界にいつ引きずり込まれるかわかったものではない。
なので、彼らの故郷への帰還は先送りになりそうだ。
「まず、獣人の村を作った方がいいですね。そこを拠点にしつつ、帰郷組は東国の人間と交渉に臨んで、少しずつ帰していく方向で固めましょう」
「うー……できれば屋敷に招きたいのでありますが。異議なしでありますぞ」
領地に入る前に、平原にて全員で宴を開いた。
ここで獣人たちの今後の経緯を説明する。
了承すれば、村を作るほうに人材を割き、自らの力で故郷へ帰ることを望む者には食糧など必要物資を持たせて見送ることになる。
強制はしない。
すべては己が考えて、己の答えを出すのだ。
奴隷とは違うということをはっきりさせたいと思うのは、俺とボンボンに共通した考えだった。
「最後となれば、我輩、盛大になるよう用意いたしますぞ!」
鶴の一声ならぬ、ブタの一声で、付近の村から食糧や酒が集められた。
「えっと、これって徴収じゃないよね?」
「そうしたいのは山々なのですが、我輩に領地の経営を教えてくれたものが言うのですぞ。領地の人間から搾取すれば、恨みを買う。良心的な値段で買い上げれば、恩を売れると」
一見馬鹿そうなボンボンも、年齢は二十だと言う。
二十歳にして土地持ちの公爵家って……。
普通、王都で貴族連中とパーティを毎日のように開いているのではないだろうか。
爵位にしても、公爵と言えば、王族に最も近しい貴族家の筆頭ではなかろうか。
王都で派閥だなんだと日夜腹黒い駆け引きが行われているイメージだ。
そこらへんを宴の肴に聞いてみた。
「王都ですかな? ええ、我輩も十六までおりましたとも。しかし肌に合いませんな。人間の下心など見ていても面白みなどひとつもないでありますからな!」
「公爵家ならそうでしょうけどね」
「だから吾輩、家を飛び出したのですぞ! さすがに体裁があるのか、領地を与えられましてな」
ボンボンは貴族同士の人間関係を投げ出した口だろう。
獣人を異常なほどに愛しているのも、その反動かもしれない。
ちなみに我がラインゴールド家は土地を持たない侯爵家だった。
つまり爵位はボンボンの一つ下だ。
穏健派だったらしい祖父でも派閥だなんだと諍いが絶えず、その煽りで一族ごと暗殺の憂き目に遭ったわけだから、もしかしたらボンボンの行動が正解なのかもしれない。
俺も王都に住んでいたから、よくよく考えればボンボンとも近しい接点があったのだ。
社交界にデビューする前に夜逃げしたから、直接は会っていないだろうが。
俺の素性について、ボンボンに話すつもりはなかった。
どこから情報が漏れて、暗殺者をけしかけられるかわかったものではない。
俺は貴族に返り咲く気はないのだ。
裕福な生活をしなくても、愛する家族と愛する女の子に囲まれていれば何も望まない。
どこかへ行っていた猫ちゃんが戻ってきた。
俺ではなく、マリノアに抱き付いて頭を擦り付けている。
いつもは口うるさいが、それでも猫ちゃんの中ではマリノアはお姉ちゃんなのだろう。
ここ最近、俺が忙しいので、マリノアが相手をしていることが多かった。
「…………」
ちょっと寂しい。
俺の隣には、猫ちゃんが苦手意識を持つボンボンがいるからなあ。
声が大きいし、汗が飛び散っているし、暑苦しいしで、意外にクールな猫ちゃんとは正反対だ。
この際だ、マリノアや獣人が近くにいないからこそ聞けることをボンボンに聞いてみよう。
「はぁ、獣人と人族の違いですか? たくさんありすぎて語れませんぞ」
「じゃあ本能と知性について」
「哲学的ですな。それは具体的にどんなことなのでありましょう?」
「猫ちゃんを見てると分かるけど、かなり獣の本能寄りの思考回路じゃないですか。マリノアは意識して知的に振る舞ってる。熊さんは半々かな。ミル姉さんは本能寄りだ」
「よく観察されているようですな。それでこそ獣人愛好家ですぞ」
いつの間にそんなものに入ったのか。
でもまあ、否定はしまい。
「我輩が思うに、心の成長次第でしょうな。幼い獣人は本能的な部分が大きい。成長するに従い、知的になる可能性も出てくるのだと思いますぞ」
「そのまま本能寄りで成長することもあると」
その結果が熊さんとミル姉さんか。
熊さんの戦闘力は随一だが、王国語が少し通じるくらいには学がある。
ミル姉さんはぽわぽわとおっとりして見ていてひやひやするが、雑事をてきぱきとこなしてくれるので頭の回転は悪くない。
獣人の中には狩りをして、吼えて、寝るだけのものもいるのだ。
種ごとの違いもあるだろうが、成長の違いとも考えられるか。
「同じ種で比べてみればいいのですぞ。でもまあ、大半は種の性質に引っ張られるでありますが」
縦社会重視の犬系獣人と個性重視の猫系獣人を比べてみれば一目瞭然か。
その中で、本能に傾倒するか、知性的になるかは、個々次第。
「じゃあ、教育も無駄にはならなそうですね」
「教育ですか?」
「ええ。どうせ村を興すなら、教育も施せばいいんです。算術、語学、地理に農学。どれもあって困るものではないでしょ?」
ボンボンは目から鱗が落ちたような顔をした。
「ええ、ええ、確かに。種ごとの性質も大きく関わってくるでしょうが、我輩、良いこと聞きましたぞ。屋敷に戻ったらすぐさま優秀な教師を見つけて村に送りますぞ」
「人族が獣人族に教えることに抵抗がなければいいんだけど」
「難しいでしょうが、人選は我輩に任していただくであります!」
ボンボンは鼻息荒く、意気揚々と言った。
任せれば大丈夫そうだ。
「そういえば西のことについて聞きたいんですが」
「なんですかな?」
「大霊峰の麓にあった村の話は、何か入ってきていますか?」
「王国の西端ですな。穀倉地帯だと記憶しておりますが、あっておりますか?」
「ええ。そのあたりにあった村のことです」
「いえ、恥ずかしながら国内の内部事情には疎いのであります。次に話をする機会までに調べておきますぞ」
「助かります」
情けないことに、ついさっきまで情報収集を忘れていた。
グランドーラの地に入るのだと思ったら、急に思い出したのだ。
ボンボンなら、正規のルートで情報を集めてくれるだろう。
「そうだ、あともうひとつ」
「なんでしょうか?」
「神殿に言付けをお願いしたいんです」
「それで、誰宛てにでありますかな?」
「エドガール・マリーズ神官と、ファビエンヌ・マリーズ神官見習いに。アルは無事だと、一言だけ」
「承りましたぞ。我輩の領地に点在する神殿すべてに伝言を残しておきますぞ」
気を回してくれて助かる。
ボンボンは陽気な様子で近寄ってきた獣人たちに連れられ、また飲み比べをするようだ。
宴会は続き、俺はマリノアと猫ちゃん、ふたりと並んでお腹を満たした。
傍にはミル姉さんもいて、鼻歌を口ずさみながら体を揺らしていた。
猫ちゃんとマリノアも、それにつられて尻尾が揺れている。
篝火は百や二百では済まないほどに焚かれている。
千人以上の獣人がいる。
彼らはこの時間を思い思いに楽しんでいるようだ。
犬系獣人の誰かが、雲ひとつない月夜に吼えた。
それを皮切りに、獣人たちが吼え始める。
「みゅー! みゅー!」
猫ちゃんも頑張っている。
「わぅぅー!」
マリノアも照れを隠しつつ、夜空に喉を晒している。
その夜は、平原に獣人たちの遠吠えが鳴り止まなかった。




