第24話 まいぼーる
猫ちゃんとのんびり寝転がるのもいいが、遊びに興じるのも楽しい。
真剣鬼ごっこである。
ルールはマリノアにも説明し、猫ちゃんにうまく伝わるよう考慮している。
要は、鬼に触れられたら鬼になり、誰かに鬼役をなすりつけるまで追う側になるというシンプルなやつだ。
しかし、獣人相手にこの鬼ごっこは、とてつもなくアクロバティックになる。
猫ちゃんと俺で勝負したときは白熱した。
猫ちゃんが鬼。俺は逃げる側。
タッチしようと飛びかかってくる中を、飛んで躱し走って逃げた。
あまりに触らせないものだから、後半になると猫ちゃんは獲物を狙う狩猟の目になっていた。
それでも触らせないのは大人げないかな。
手で触れられない限り鬼の交代はない。
貫き手のような、もうタッチなんだか攻撃してるんだかわからないような一撃を、猫ちゃんの頭に手を置いてふわりと飛び越えたりしても、触れられたことにはならないのだ。
「むきー!」
猫ちゃんは怒り心頭のようだ。
とても悔しがっている。
「ほほほ、悔しかったらタッチしてみなさいよ、ほほほ」
「アル様、性格悪いです」
狩りから戻ってきたマリノアが、じと目で見てくる。
「いやいや、これも立派な訓練だってば。猫ちゃんを鍛えてるだけだし」
余所見をしながらでも猫ちゃんの動きが手に取るようにわかる。
半歩下がって、無音で飛びかかってくる猫ちゃんを避けた。
目の前にきた猫ちゃんのお腹の下に腕を入れて、三メートルほど空に放り投げた。
猫ちゃんは空中でくるっと体を丸め、しゅたっと地面に降り立った。
「にゃにゃにゃにゃにゃっ!」
ラッシュラッシュラッシュ。
猫ちゃんは一撃でダメなら手数で攻める手に出たようだ。
一発も貰わず、避けたり手の甲を叩き落としたりして、猫ちゃんを寄せ付けない。
「遊びと言うより組手ですね」
「組手なんて遊びの延長線上のようなものでしょ」
「ふがーっ!」
自分の攻撃は一発も当たらないのに、余裕で余所見をされることが気に入らないのか、猫ちゃんは吼えた。
「おーおー、可愛い鳴き声だこと」
「アル様、趣味悪いです……」
猫ちゃんの手を取って、勢いを利用して投げ飛ばした。
体がくるっと宙を舞った。
猫ちゃんは危うげなく地面に降り立ち、そのままころんと仰向けに寝転がった。
両手両足を広げて、白旗のポーズを取っている。
「俺の勝ちぃ~」
俺も猫ちゃんの横にごろんと寝転がった。
背中にごつごつした地面の肌を感じる。
「アル、ずるい」
「まだ負けるわけにはいかないでしょ、保護者として」
「ほごしゃじゃない。あたしの嫁」
猫ちゃんがポツリと言う。
「あはは、猫ちゃんの嫁じゃなくて、猫ちゃんが俺の嫁ね」
「??」
「嫁は女の子しかなれないのー」
「アルは?」
「旦那様」
「だんにゃさまー」
「そうそう」
猫ちゃんとの会話はもっぱら獣人語だった。
この四カ月の間に、おおよその獣人語を習得していた。
転生前は日本語しか知らない純ジャパニーズで中学英語にも躓いていたが、獣人語は覚えるのにそう難しくはなかった。
きっと受け皿となるアルシエルの理解力が高いのだろう。
獣人語は単語さえ覚えればよかった。
文はほとんど単語の羅列だ。
語調によって意味が変わるので、文字に表すのが面倒な言語だろう。
獣人には決まった文字はないみたいだし。
マリノアに文字を教えているが、それはすべて王国語だった。
逆に、猫ちゃんに人間語を覚えてもらおうと一緒に勉強しているのだが、覚えがいまいち悪い。
体を動かすほうの訓練なら、あっという間に習得するのに。
脳筋とは言うまい。
獣人の九割はそういう傾向にあるが、猫ちゃんにはなんとしてもマリノアのような一割に足を突っ込んでほしいと願っている。
「あ、アル様? あの……」
マリノアが申し訳なさそうに声を掛けてきた。
「ん?」
顔を上げるとそわそわしたマリノアがそこにはいた。
もじもじと足をこすり合わせている。
ピコンと、俺の頭上に電球マークが浮かぶ。
なるほどなるほどぉ。
我慢しているようですなあ。
「そういえばマリノア、俺さっきこんなものを作ってみたんだけど」
俺はぴょこんと起き上がり、膨れた荷物入れからあるものを取り出した。
それは俺の手作りだった。
まず土魔術で針金を作り、丸く型を作る。
藁を丸めて詰め込み、その上から皮を貼って硬め、手製のボールを作ったのだ。
マリノアの尻尾がぴくりと反応する。
猫ちゃんはがばっと起き上がった。
「これはボールって言って、蹴ったり投げたりして遊ぶものなんだよね」
手の上でボールを弾ませると、それを追って猫ちゃんの目が動く。
尻尾まで行ったり来たりだ。
マリノアも、ボールの弾む音がすると、追うように尻尾が跳ねている。
うまく気を引けたようだ。
「このボール、誰が最初に奪るかな!」
俺はボールを放ると、強く頭上に蹴り上げた。
猫ちゃんが四つん這いになって、じっと空中を見つめて構える。
獲物を狙う目になっていた。
マリノアも、性分なのか、無意識にボールを目で追って腰を落としている。
俺も落ちてくるボールを待ち構える。
落下したのは、俺たちから十メートルほど離れた場所。
落下地点がわかるなり、猫ちゃんが最初に飛び出した。
遅れてマリノア。
俺はふたりの後ろから追った。
さすがに獣人の反応速度は桁違いだ。
猫ちゃんが跳んだ。
ボールに手を伸ばす。
しかし追いついたマリノアも横並びになって、同時に手を伸ばす。
俺はそんなふたりのお尻を眺めながら、風魔術を使って落下地点を少しずらした。
彼女らふたりの指を掠めて落ちるボール。
俺は悠々と掬い取って勝ち誇る。
「俺の勝ちぃ~」
「ずるいです! 魔術使いました! ずるはいけないと思います!」
「ぶーぶー」
やはりというか、バッシングを受けてしまった。
「遊び方についての説明がまだでしょ。いまのは練習。いい? これを取った人は、上に思いっきり投げるなり蹴るなりします。そして落ちてきたのを掴んだ人が、またボールを上げる。単純ね。わかった?」
「わかった。わかったから次! 次!」
猫ちゃんは目をキラキラさせて待ち侘びていた。
単純に物を追いかけるのは習性だろうが、このまま獣の本能的な部分を伸ばしていったら今後にどんな影響がでるのか、と思わなくもない。
「でも次から魔術禁止です!」
「わかったよ。身体強化はアリね。訓練も兼ねてるから」
「わかりました。問題ないです。次は早くしないんですか? もう説明は十分だと思います」
マリノアも待ち切れないのか、尻尾がぶんぶん振られている。
いつもの理性で固められたマリノアからギャップがあって、見ていて可愛らしい。
でも足をもじもじさせているのは変わらず。
我慢しつつも遊びたい心が優っているようだ。
「そぉらいくぞっと」
俺は勢いよく蹴り上げた。
この遊び、単純だが白熱する。
本気で行かないとボールを取れないし、取れないと悔しい。
ふたりを出し抜いてボールを手にしたときの気持ちよさは、スポーツで勝ったような健全な清々しさがある。
最近は血なまぐさいことが多かったので、息抜きに最適だった。
ボールが上がる。
一番に飛び出すのは猫ちゃんだった。
続いて俺とマリノア。
反応は猫ちゃんが優勢だが、足の速さは俺とマリノアに分があった。
何度かやって、俺かマリノアにボールを奪われ、一度も猫ちゃんが触れないことが続いた。
悔しそうな顔をしている猫ちゃんも、頭を使ってボールを手に入れようとする。
一度など俺の背中にくっついて、横から掻っ攫おうとしたが、猫ちゃんの重みの分足が遅くなり、マリノアのひとり勝ちに終わった。
それならと、今度は猫ちゃんはマリノアの背中にひっつくが、先程と同様重みのないほうがボールを手にするわけで。
「くやしいー!」
猫ちゃんは地団駄を踏んでいた。
「頭を使うんだよ、猫ちゃん」
せめて頭を使ってもらって、学習能力を上げなければ。
俺は余裕を漂わせながら、ボールを上げる。
一方でマリノアは、そわそわしながらボールを追っていた。
目はキラキラとボールを追うが、足元は落ち着きがない。
常に股を擦り合わせているが、ボールが上がると追いかけるのを止められないのだろう。
猫ちゃんがマリノアの後ろにぴったりと着く。
「え? なに? ミィナ? なに?」
マリノアが背中を気にしながら走るので、俺が頭ひとつ先んじた。
ボールを受け止めようと手を伸ばす。
その瞬間――
「ふにゃ!」
「あうっ!」
猫ちゃんが地を蹴った。
ついでにマリノアの背も蹴った。
そして俺の後頭部を最後の踏み台にして、猫ちゃんは空中でボールをキャッチ。
滑らかな動きでしゅたっと降り立つ。
「にゃはは!」
猫ちゃんの底抜けな笑顔に、俺もマリノアも苦笑する。
ボールを抱え、獲物を捕らえたときのように自慢げに胸を張っている。
「ミィナ、お見事です」
「猫ちゃんすごいすごい」
「むふー!」
褒められてとても満足げな猫ちゃんである。
「さあ、早く次のぼーるを……」
「蹴るんだよ。投げてもいいし」
「やにゃー!」
猫ちゃんはボールを抱え、逃げ出した。
取れたことがあまりに嬉しかったのか、ボールを手放せなくなっている……のか?
「あ、ずるいです! 規則に反します!」
「次はボール争奪戦?」
猫ちゃんを追いかけてマリノアが地を蹴る。
あっという間に接近して腕を伸ばすが、猫ちゃんは体を捩ってマリノアの手を回避する。
それが何度も続く。
マリノアの手が掠めることもあるが、猫ちゃんは執念でボールを手放さない。
「しょうがないなあ。停滞はつまらないもんな」
俺は猫ちゃんの前に立ち塞がる。
猫ちゃんは俺を避けて突破しようとする。
すれ違いざま、俺は下からボールの一点を突いた。
猫ちゃんの懐から、ボールが飛び出す。
俺はそれをあっさりと掴んで奪い取った。
「あーっ! あーっ!」
猫ちゃんが恨めしそうな声を上げた。
ボールを空中に投げる。
「アルのばかーっ!」
「ぐふっ!」
俺は膝を突いた。
「猫ちゃんが……俺を、ばか……?」
「ばかばかばか!」
ポカポカ殴られる。
その拳は、形以上の重さを伴って俺を打った。
猫ちゃんの言葉の槍に貫かれて、俺のライフはゼロよ!
俺が蹲って膝を折っている間に、ボールはマリノアが手にしていた。
尻尾がちぎれんばかりに振られている。
「ミィナが油断しているのが悪いのです。ふふん。悔しかったら取り戻せばいいんです」
「むー」
珍しくマリノアが大人げない。
いや、年相応に戻ったというべきか。
今度はマリノアがボールを持って逃げる番だった。
追いかける猫ちゃん。
俺はというと、ショックから立ち直れないでいた。
「……これが反抗期ってやつですかい? はは、思った以上にダメージだぜ……」
「そんなことじゃ一生かかっても取り戻せないです。ふふん」
「むーがー!」
ひらひらと舞う二匹の蝶のように、ふたりは近づいては離れるのを繰り返していた。
底なしの体力である。
特にマリノア。
ボールを手に、いままでに見たことがないほど喜んでいる。
なんとかショックから立ち直った俺は、地面に寝ころび、肘をついて犬と猫が楽しげにじゃれ合う様子を眺めていた。
それが三十分も続いただろうか。
「あ!」
マリノアの動きがピタリと止まる。
その隙に猫ちゃんはボールを奪取。
奪ったものを取られまいと、すたこらと逃げていった。
そんなことよりマリノアである。
立ったまま、硬直している。
「あ、あ!」
ちょろちょろと水音が聞こえてきた。
目をぎゅっと閉じ、ふるふると震えている。
遊びに夢中になって時間を忘れ、しまいにはお漏らしをしてしまったようだ。
これでマリノアが漏らしたのを見るのは二度目か。
見る間に羞恥に真っ赤になり、耳を垂れてしまっている。
顔を手で覆い、その場に突っ立っていた。
遊びたい心が尿意に勝っていたのが敗因だな。
ま、狙ってやったんだけどね。
漏らすとは思わなかったけど……。
俺は浄化と衣類の乾燥を手早く行い、証拠を隠滅する。
「よしよし、今度からちゃんとトイレも行こうね?」
「う、うー……もうやだ……だから子供は嫌なんです……」
ほろほろと泣き出すマリノアの頭を優しく撫でてやった。
マリノアが理性的であろうとする理由の一端を見た気がした。
ちなみにボールは、ちび獣人たちの間で人気に火が付き、三日と経たずに壊れるまで、猫ちゃんを中心に不毛な奪い合いが続いたそうな。
おまけ回。
こういうのを書いていた方が楽しい。
むしろおふざけ回を書くために本編を進めているといっても過言では…ないかも?




