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異世界旅行は落ち着かない  作者: 多真樹
第二部 少年時代 一章 大平原の獣人
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第23話 マリノア

 捕えた北国軍のドワーフや、東国のノコン将軍を使った人質交渉はすべてボンボンに丸投げして、俺は夕食の最中にひとり陸大亀から抜け出して、人気のない平原に足をのばしていた。


 夜の空は、星で埋め尽くされている。

 遮るもののない平原の夜空は、空まで広大だった。

 ひやりとした風が吹いていた。

 乾燥して、草の匂いを運んでくる。

 目を閉じ、風を感じた。


 食欲がなかった。

 理由はわかっている。

 直接の手応えはないにしろ、この手で何十、下手をすれば何百という命を奪ったからだ。

 落ち込むつもりはないが、胃が受け付けないのだから仕方ない。


 闇夜に紛れて足音が聞こえてくる。

 足音は、四つ、五つ、六つ……。

 気配を消して忍んでいるつもりか。

 ああ、身体強化で聴力を強化しているせいか。


 嗅覚を強化すると、獣人並みに匂いに反応できるようになるが、その分敏感になってしまうので、臭いものが顔面を殴られたような威力になるという弊害がある。


 まあそんなことはいまはいいか。

 不穏な気配だ。

 最初は猫ちゃんとマリノアかと思ったが、どうにも足音が多い。

 それに、見つからないように忍ぶ意味も分からない。


 要するに、魔術師としての力を恐れた何者かの差し金、か。

 いやあ、俺も中二病全開だな。

 痛い痛い。

 ちょっとくらい感傷に浸る時間が欲しいというのに。


 ひゅん、と、風を切って何かが飛んできた。

 だが、俺は動かない。

 ハイ・ブースト状態だからだ。

 俺の肌に触れる前に、飛来した何かは魔力の障壁に弾かれて地面に落ちた。

 それを拾い上げる。

 何者かがそれを隙と見たのか、接敵してくる。


「なんだよ、敵なら容赦しないぞ」


 ドワーフ軍を殺戮したからか、殺すことに麻痺している。


「“水断”」


 トラウマになっていたはずの、暗殺者を殺したときの魔術。

 それを何の躊躇いもなく、心の動揺もなく放つことができた。

 暗殺者が呻き、その場に崩れ落ちた。

 生きてはいまい。

 どうせ俺の知らない人間だ。

 殺したところで俺の心は痛まない。


 ちらっと見ると、見たことのない兵装だった。

 おそらく北の間諜か斥候だろう。

 俺がひとりでいるのを好機と思ったのかもしれない。


 血の臭いが鼻を掠める。

 嗅ぎたくなかった。


「一度やれば二度も三度も同じか……」


 嫌でも虐殺した事実を突き付けられている気がした。

 後悔はないのだ。

 ただ、殺したという事実を耳元でずっと叫ばれ続けているような錯覚を受けるだけで。

 これが幻聴というやつか。


「はは……やだな、こういうの」


 嫌なものを背負ってしまったのだと思った。

 だから殺したくなかったのだ。


 敵だという東軍も、獣人も、死なせないようにしてきた。

 北国軍のドワーフ軍団は、止めてもダメだった。

 土壁を壊し、越えられ、獣人や公爵軍と戦うことになる。

 誰も死なせたくないなら、敵を殺すしかない。

 殺してしまえば、幻覚に憑りつかれるのだ。

 見事に悪循環。


「アル様!」

「にゃにゃ!」


 身近なふたりの声がする。

 マリノアと猫ちゃんは、月明かりしかない中を動き回り、襲撃者を返り討ちにしていく。

 襲撃者は魔力を纏っていなかったから、身体強化を使えるふたりが圧倒的だ。


「大丈夫ですか? 怪我とかないですか?」


 マリノアが傍に来る。

 猫ちゃんは野生の本能か、襲撃者を片っ端から追いかけて無力化している。


「俺は大丈夫」

「あ、アル様は怪我とかしないんでしたっけ?」

「いや、怪我もするから」


 なんだと思われているのだろうか。

 こんないたいけな八歳児を前にして、超人と一緒にされても困る。

 マリノアは鼻をスンスンと小刻みに動かしていた。

 獣人では犬のように鼻が尖がる個体もいるらしいが、猫ちゃんやマリノアは人族寄りの可愛らしい小顔だった。

 つまり美少女が目を閉じ、鼻をスンスンと動かしているのである。

 あまりの可愛さにドキッとした。


 俺は目に魔力を集めれば、夜でも猫ちゃん並みに夜目が利くから、マリノアの行動もばっちり見える。


「ああ、そうか」

「なんですか?」

「ん? マリノアはやっぱり可愛いなって」

「な、何言うんですか! こんなところでやめてくださいよ!」


 照れてそっぽを向いてしまうマリノアの仕草も可愛い。

 じゃあどこならいいの? とじっくりたっぷり問い詰めたいと思ったが、やめにしておく。

 俺はその場にへたりこんだ。


「ど、どうしたんですか?」


 慌てたのはマリノアだ。


「やっぱりどこかお怪我を?」

「いや、気が抜けたら腰も抜けちゃって」

「なんですか、それは」


 呆れたようなマリノアの声。

 離れるかと思いきや、マリノアはしゃがみこんで、俺を抱き締めてくれた。


「たぶんひとりでも、アル様なら大丈夫なんでしょうね。わたしたちはあまり役に立っていないのかもしれません……」

「そんなことないよ」

「そんなことあります」


 曲げる気はないようだ。

 確かに戦力的な面で見たら、俺と対等な者はこの平原を探してもほとんどいないのかもしれない。

しかし、メンタル面で見れば、俺なんてゴミ屑も同然だ。


「わたしたちは、もしかしたらお邪魔ですか? 傍に付いて回らないほうが、アル様のためになったりするんですか?」

「だから、そんなことないって」

「でも、ひとりで抜け出してます」

「それは、ひとりになりたいと思ったから。でも今はそうじゃない。もっとマリノアにここにいて、こうしていてほしいな」

「あぅ」


 マリノアが離れようとした。

 しかし俺は素早くマリノアの背中に手を回し、更に抱き締めた。

 マリノアから、女の子のもどかしい匂いと、温かい熱が伝わってくる。


「本当にいいんですか? わたしたちが傍にいても」


 まだマリノアは不安なようだ。


「逆に聞きたいよ。俺の傍って嫌じゃないの?」

「そんなことはないです!」


 はっきりと言われた。ならばいいが。

 戦力で見れば、もっと動きの良い獣人はたくさんいる。

 助けた中に、人間語を喋ることのできる獣人は何人もいた。

 その中で最初からいるというだけで俺の側近のような扱いを受けているマリノアは、自分の中で優位性が揺らいでいるのかもしれない。

 もしくは、心無い誰かに何かを言われたか。


 千人の大所帯にもなれば、いつの間にか俺の側近となっている熊さんやミル姉さんと、並び立ちたいと思う者がいてもおかしくはないだろう。

 その中でも、マリノアはまだ幼く、足りない部分は多い。

そんなことを言えば猫ちゃんなんて足りているところがないというのに。

それはまた別の話か。


 マリノアは努力はしているが、身になるのは当分先だろう。

 俺が虐殺をして迷っているように、マリノアなりの迷いがあるのかもしれない。


 でも俺は、傍に猫ちゃんとマリノア以外、傍に置く気がなかった。

 幼く可愛い獣人たちが寄ってたかってぺろぺろしてきたら揺らいでしまうかもしれないが。


「マリノアも悩んでるように、俺にも悩みはあるんだよ。戦争に足を突っ込んだとはいえ、誰かを殺すのはやっぱりきついから」

「……アル様はすべて、お見通しなんですか?」

「そんなことはないけど。ただ悩みのない人なんていないと思うから」


 マリノアの問題に、解決策はあるのだろうか。

 グダグダ悩んでないで、俺の情婦になれよ、と言ってしまえば済む話だろうか。

 寵愛を受けているうちは庇護下、とかね。

 でもそれはできない。

 なぜならまだアル君のゾウさんは精通していないのである。

 ……そういうことでもないか。


「マリノアはまだ十一歳じゃん。俺だってまだ八歳だよ。これから成長していくんだから、前を向いてやっていくしかないんだよ」


 中身は三十後半のおっさんだけどな、というツッコミは不要だ。 


「がむしゃらに進むしかないんだと思う。でもときどき、こうしてひとりになって振り返りたくなるときもある。次の日から前を向いて歩くために」

「アル様は強いです。どこまでも進まれていきます」


 強いのだろうか? メンタルは豆腐だけどな。


「わたしにできることってなんでしょうか?」

「だったら、キスしてよ」


 後先考えない言葉が、口を突いて出る。


「ごめん、やっぱり冗談――」


 不意にマリノアの顔が近づいてきた。

 頬の両側をしっかりと押さえ、唇を押し付けられた。

 ぎこちない、マリノアらしいキスだった。

 ふっくらした女の子の唇だった。

 思わず吸い付いた。


「ふあ!」


 マリノアを驚かしてしまったようで、口が離れた。

 名残惜しさがわずかに生まれる。


「ご、ごめんなさい……」


 マリノアが逃げようとする。

 だが逃がさない。

 ふはは、逃がしてなるものか。

 それは冗談にしても、だってここでマリノアを逃がしたら、彼女は恥ずかしさのあまり今後も逃げ回ることが予想できるのだ。

 ならばここで一皮剥けてもらおうか。


「逃げちゃダメだ。立ち向かって前を向かなくちゃ。そして、ワンモア!」


 今の俺ダメだね。

 頭が悪い方向に流されてしまっている。

 違うか。

 あえて頭をからっぽにして、何も考えないようにしている。


「う、うぅ……恥ずかしい」


 目を伏せて俺の顔を見れないマリノアだが、少しすると、ゆっくりと顔を上げた。


「わたしは思い違いをしていたみたいです」

「なんのこと?」

「アル様は悩みのないお方なのだと」

「それだとおまえアホって言ってるように聞こえるけど」

「ち、ちが……!」


 見る間に狼狽えてしまったので、「嘘だよ」と背中をさすってやる。


「あんなすごい魔術が使えるんだから、きっとたくさんの命を奪うことにもなんとも思ってないのだなと思ってました」

「殺人兵器みたいな言い方されてるけど、でもま、そう思われてもしょうがないのかな。怖がらせるようなことをしたからね」

「怖がってはいません。わたしもミィナも。でも、遠くに感じたことはあります。この人は凄い魔術師だから、だからわたしたちを救うことができたんだろうなって。ずっと遠い人なんだと思ってしまいました」


 雲の上の人に思われていたのだろうか。

 結構ふたりの前ではだらしないところを見せてきたと思うが。

 マリノアには呆れられて見捨てられる一歩手前だと思っていたから、ちょっとびっくりである。


「敵を殺したことを悩まれたんだなと思ったら、なんだかアル様が近くに感じました」

「俺を何だと思ってたのさ」

「あの、笑わないでくださいね?」


 そんな風に前置きされた。

 頷いておく。


「救世主、だと」

「そんな大層なものじゃないって」


 それ、助けた獣人にも言われたし。


「はい、いまはそう思います。よく見ればただの八歳児ですもんね」

「よく見なくてもピチピチの八歳児ですけど?」


 言い方がおかしかったのか、マリノアは噴き出すように笑い、そして、なんの脈絡もなくキスで口を塞いできた。

 唇で感触を確かめるような、手探りなキスだった。

 俺が攻めようとすると、逃げるように口を離した。


「わたしなんかでもお役に立てますか?」

「何言ってんの。マリノアがいてくれたから今があるんじゃん。ありがとう。傍にいてくれて」


 マリノアの尻尾が、パタパタと振られている。

 喜んでいるようだ。

 またキスをされた。

 存在を確かめるような、マリノアらしい丁寧なキスだった。


 そのあと、拳やローブを血だらけにした猫ちゃんが戻ってきて、マリノアとの甘いひと時は終わりを迎えた。

 顔を真っ赤にして俯き俺から逃げようとするマリノアを、猫ちゃんは不思議そうに追いかけては、下から顔を覗き込んでいた。


「ありがと」


 俺はマリノアの背中に呟いた。

 背負ってしまった重いもの。

 俺の中で、今回の件、ようやく覚悟とやらが固まったのかもしれない。

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